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ことばの力がなくても思いはある、と伝えることの大切さ

学会、ということばは、とても聞きなれないことばかもしれません。専門家が集まって、自分たちがふだんやっていることや新しくとりくんだことについて、仲間に共有したり、質問にこたえたりする場です。

なんの分野にもたいてい「学会」があって、IT関連の人たちがあつまっている学会もあれば、建築に関係する人たちがあつまっている学会もあります。自閉症のことを研究したり、実際に教育したりしている人たちがあつまっている学会もあります。

先日、お医者さんや看護師さんがあつまっている学会にいく機会がありました。そこで、患者家族として、当事者がどう思っているのか、伝える講演をする友人のお手伝いです。友人は難しいことばを使うのは得意ではない、と最初しりごみしていましたが、ふだん、たくさんの当事者と話したり、相談にのったりしている友人なので、感じていることやみんなの声を届ければいいんだよ、と、サポートしました。

わたしは今年PTA会長5年目ですが、1年目のときはどうしていいかわかりませんでした。挨拶文を考えたり、東京都への要望をまとめたり、ことばの力を借りる場面はたくさんあります。先輩PTA会長のみなさんに、都に提出するときはこういうことばには気を付けるんだよ、とか、「子どもたち」ではなく「子供たち」と表記してね、とか教えていただきながら、なんとか乗り切ってきました。

これを読んでくださっているみなさんも、もしかしたら「PTA会長の挨拶」や「広報誌に載せる文章」をまとめるのは苦手だな、という方も多いかもしれません。ふだん、「お母さん」「お父さん」業をしていても、なかなかこういう場面にはあわないですから、苦手だなと思われても当然だと思います。

「こども家庭庁」ができて、ひとつ大きく変わってきていることがあります。子どもの権利について、大人がちゃんと守ろうよ、という声が、以前よりも大きくなってきたことです。

「子どもの権利」とか「子どもアドボカシー」ということばを聞いたことありますか?

子どもたちのことばは、時にとてもつたなくて、とぎれとぎれで、まとまりがありません。それでも、子どもの権利条約第12条には、こうあります。

「自分の意見を自由に表していいんだよ
自分の意見を表すことができる子どもは、自分に関係することについて、自由に自分の意見を表すことができます。
そして、その意見は、子どもの年齢と成長によって、きちんと考えてもらいます。」

https://www.worldvision.jp/about/childrights_wv.html

最近は、国がこどもに関係する報告をするときには、「やさしい版」というのも一緒に公開されることも増えました。子どものなかに、もちろん寝たきりの子も入るし、病院で生まれたばかりの赤ちゃんから、いろんな特性のある子、どこで生まれて育っている子も含まれています。みんな、意見を言っていいんだよ、と、この条約で決められています。

であれば当然、わたしたち大人も、たとえ難しいことばは使えなくても、漢字がでてこなくても、わたしたちの意見を伝えていいんじゃない?と、わたしはお伝えしたいです。よくわからないから、かわりに副校長先生にお願いする、それがベストな形であることもあるかもしれませんが、ときには、あなた自身のことばを伝える場があることが大事だし、それこそ、PTAという場でやっていけないか、と思っていることでもあります。

もちろん、難しいことばをなぜ使うか、それは、だれが聞いても誤解が少なかったり、説明に対してその意図がずれて聞こえたりすることがないよう、学校の先生方はことばの力を使ってお仕事をしてくださっています。それも大事なんだな、と知りつつ、保護者として、伝えたいことは自分のことばで伝える力をつけることを、少しずつトライしていただきたいです。PTA会長でなくても、行政の窓口で、あるいは相談支援事業所で、いろんな場でわたしたちはそういう機会があります。特に知的障害のある子を育てる親は、子どもの声を勝手に代弁するのではなく、自分の思っていることは親の希望や意見として伝える力がついたら、その先に、子どもの選択や希望をどうやって引き出していくか、まわりの専門家の力を借りながら一緒に考えていく、ということができていくのかなと思います。

先日、学校運営連絡協議会(地域とともにある学校となるための会議)で、本校の児童生徒の声を聴く機会を学校が作ってくださいました。中学3年生、ひとり7分間で、おふたりから話を聞けました。質問にうまくこたえられなかったり、知らない大人を前にして緊張や不安から声がでなかったりするようすだったので(比較的ハキハキと話せる生徒もきてくれていましたが、わたしと話した生徒さんはことばがすらすらでるタイプではありませんでした)、わたしは、まず「今日はきてくれてありがとう」と伝えてから、午後だったので「給食はたべられましたか?」と聞いてみました。あらかじめ「○」と「×」の紙をお渡ししてあったので、下をむいたまま座っていた彼は、小さく「○」をあげてくれました。「牛乳はのみましたか?」「○」「おいしかったですか?」「○」などやりとりしていると、だんだん「○」や「×」をあげるスピードがあがってきました。そこで、「きらいなたべもの、もしあったら教えてもらえませんか?」と聞いてみたら、「・・・」でもなにか口が動いているように思ったので、耳を口のすぐそばにもっていって「ごめん、もう一回いってくれますか?」と聞いてみたら「・・・とまと」と、かすかな声でこたえてくださいました。

このかすかな声をとらえられるかどうか。ちなみに7分経った頃には、国語数学がたのしいとか、クラスには○○くんがいるとか、先生のはなしはわかりやすいとか伝えてくれるくらいのやりとりができたのですが、関係性の最初の一歩をどう作るか、それは大人でも子どもでも変わらず大事だなと、改めて学ぶことができました。

ぜひみなさんも、かすかな声のひとことから、はじめてみませんか。


全国特別支援学校知的障害教育校PTA連合会 2023年度活動内容、および知的障害に関する情報の発信用noteです。