言語学と高齢者福祉

この note は松浦年男先生が企画されたアドベントカレンダー 2023「言語学な人々」の 5日目の記事として書かれたものです。

https://adventar.org/calendars/9134

言語学は何の役に立つのか、という問い


「言語学な人々」であれば、おそらく一度は「あなたの研究は何の役に立つのか」という趣旨の質問をされたことがあるのではないだろうか。
そんな時、私は迷わず「何の役にも立ちません」と返答している。
なぜか。
質問者が考える「役に立つ研究」というのは、画期的な治療薬の開発で多くの命が救われる、だとか、エネルギー革命をもたらす新たな技術の開発で、地球温暖化に終止符が打たれる、だとか、そういうものであろうと想像がつくからだ。
そもそも「役に立つのか」という質問を投げかける時点で、相手は「言語学など無益なものだ」と考えているはずであり、そのような人と問答をするのは面倒なこと、この上ない。

しかし、そうも言っていられない事態が発生した。
今年、米国のウェストバージニア大学(州立大学)が人文系学科やプログラムの大幅な縮小・廃止を検討しているとのニュースが耳に入った。左派の温床であり、役にも立たない人文学コースなど潰してしまえ、ということらしい(単なる憶測です)。
私は理工系の大学に勤めているので、こうした議論には耐性がある。
同僚から「うちに、なぜ言語学の研究室があるのか(=要らないはずだ)」という心ない言葉を5億回は投げかけられている。我が研究室は、大学で最も低いカーストに位置しているため、私など、いまだに名前も覚えてもらえず「語学の先生」と呼ばれているほどだ。

これはいけない。文科省は「アメリカがやってるなら、うちもやっちゃう?人文学とか要らない気もするよね」などと言いかねない。「言語学な人々」は、どんなに面倒でも、言語学が、いや、言語学こそが社会を飛躍的に良くする学問であるということを積極的に発信しなければならない。
というわけで、前置きが長くなったが、今日は「言語学と高齢者福祉」について書きたい。

これからの福祉の環境づくり


先月、嬉しいお知らせをいただいた。ユニベール財団から研究助成金をいただけることになったのだ。これは、豊かで明るい高齢化社会の創造に関わる調査研究の支援を目的とした助成金である。

応募した部門は「これからの福祉の環境づくり」。
ウェブサイトによれば「これからの社会に必要とされる福祉の制度や仕組み、また支援サービスの事業化についてなど、新たな福祉のあり方を展望する研究に助成します」とある。

https://www.univers.or.jp/index.php?researchgrant

「?? いやお前の研究、福祉に関係ないやろ」
と思ったあなたは鋭い。
確かに私の研究(社会言語学)は、福祉から縁遠いように見える。しかし、それは仮の姿。
実のところ、私の研究は、新たな高齢者福祉のあり方を模索する、とんでもない代物なのだ。
これからは私のことを、高齢者福祉の申し子と呼んでいただきたい。あるいは、高齢化する日本社会に舞い降りた天使と呼んでいただいてもいい。

財団に提出した書類に記した「研究の目的」は、以下である。

衰退の危機にある大井川上流域の井川方言について、地域コミュニティの高齢者と協働し、啓蒙・教育活動を実施し、その成果を広く社会に発信する。また、限界集落に暮らす高齢者が活躍できる場を創出することで、支援モデルを構築する。

超巨大風呂敷を広げてしまった気もする…
しかし、何かを成し遂げるためには、まず言語化することが必要なのだ。言語化さえしてしまえば、あとは現実がついてくる、そういうものだ。「現実よ、俺について来い!」ぐらいの心意気が必要だ。
とはいえ、実現の可能性がない目標は、いくら言語化しても無駄である。「休肝日を作る」などと口に出したところで、月曜は週の始めなので景気づけに飲まなければならず、火曜は会議の日で、ストレスが限界値に達しているため、仕方なく飲むし、水曜は「折り返し地点!」、木曜は「あと1日!」ということで飲まなければならず、金曜日以降はもう飲まない理由はないので、休肝日など作れるはずはない。

…話を元に戻そう。
私が方言調査を行っている静岡県北部山岳地帯の旧井川村(現・静岡市葵区井川)は、地理的条件から他の地域との交流が長く隔絶されていた「言語の島」である。中部地方では唯一、無アクセントであるなど、周辺の中部方言とは異なる言語的特徴が見られる。
また、語彙や語法には、古語の残存が見られるとの説もあり(例:「来るな → キソ」のような禁止の「〜ソ」)、これまでも学術的な関心を集めてきた。しかし近年、井川方言は、その話者が激減し、消滅の危機にある。また、旧井川村では少子高齢化が進み、人口は既に300人近くまで減少している。うち、中学生が2名、小学生は2名であり、高齢化率は65%を超えていることから、井川方言が将来的に継承されていくことは困難であることが予想される。加えて、コミュニティの衰退により、集落の高齢者は社会的に孤立した状態に置かれている。

私は2019年から井川方言の研究に参入した。
(その経緯は、昨年の「言語学な人々」をご覧ください)

月刊みんぱく2021年12月号の「ことばの迷い道」もどうぞ!

https://www.r.minpaku.ac.jp/gekkan_minpaku/index.html
 
もちろん、最初から「新たな福祉の場を創造します!」と意気込んでフィールドに入ったわけではない。当初は、私なんぞに方言研究ができるかしら…ぐらいの気弱な気持ちで村を訪れていた。多くの方言学者がするように、私もまず、行政機関にコンタクトを取り「方言について調査したいが、どなたか話者をご紹介いただけないか」と依頼した。すると、役所の方が地域支援員の女性をご紹介くださった。その方は、高齢者のお宅を一軒一軒周り、困っていることはないか丁寧に聞き取り、皆さんが安心して暮らせるようサポートする、というお仕事をなさっていた。私は図々しくも、地域支援員の訪問にくっついて回りながら、土地の方々に方言を教えていただいた。あれから早、4年。気づけば村のほとんどの高齢者の方と顔見知りになっていた。

何かがおかしい


不思議なことが起こっていた。
こちらが方言を教えていただく立場なのに、なぜか感謝されている。

「こんなとこまで来てくれてありがとね」
「若い人(注:井川では70歳未満は若手)と久しぶりに話をして、楽しかった」
「私でもまだ役に立てることがあるだねぇ」

お腹空いたでしょう、とお昼ご飯を作ってくださったり、帰り際には、たくさんのお土産を持たせてくれたりもする。
しばらくご無沙汰してしまうと、「次はいつ来るの?」とお電話をくださったりもする。

そうこうしているうちに「井川ことばお茶会」なるものが自然発生した。お年寄りの思い出話に耳を傾けつつ、方言を教えていただくという、緩やかな集まりだ。話題は、子どもの頃の遊び、戦時中の話、ダム工事で多くの人が出入りしていた頃の村の様子、小学校や中学校での思い出など多岐にわたる。最近では、他所から井川に移住してきた方も会の活動に興味をもってくださるようになった。
 
これまで私は、なんとなく、福祉というのは「何かをしてあげる」ものだと考えていた。井川で参加させていただいた老人会でも、誰かがやって来て、お年寄りに何か(マッサージ、塗り絵、工作、歌、体操など)をしてあげる、という図式が成立していた。もちろん、それも大切な活動だ。

井川方言を教えていただく学生たち

しかし、人間というのは誰しも、「人から必要とされたい」という思いがあるのではないだろうか。私も数十年後には、体が思うように動かなくなり、記憶力も衰え、認知能力も相当怪しくなっているだろう。それでも、何らかの形で社会と関わり、できれば誰かに「この人がいてくれてよかった」と思ってもらいたい。他者に必要とされながら生涯を終えることができたら、それは幸せなことだ。

言語学だって


方言調査への協力は、多くの場合、高齢者にしかできない。図らずも、方言調査が、限界集落に暮らす高齢者にとっての活躍の場を創出しているのだとしたら、これはまさに「新しい福祉の場」と言えるのではないだろうか。
 
村の方々と共に、井川方言の記録・保存・継承に取り組むことで、集落の高齢者が、人とのつながりの中で、何かしらの喜びをもって活躍できるようなコミュニティを創ることは、大それた夢でもないような気がしている。少なくとも私が休肝日を設けるよりは、ずっと現実的である。
介護ロボットの開発も重要な研究課題だが、それと同じぐらい、言語学だって、より良い社会を目指す大切な営みなのだ。

3人の子どもを育てながら、新幹線で大学院に通い、どうにか学者になるという夢が叶いました。どうぞよろしくお願いいたします。