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社会から断絶していた9.11の頃

9.11から20年経ちました。

私はこのニュースを知った時のことを鮮明に覚えているので、綴ってみようと思います。


その年、私は博多で浪人生活を送っていました。

医歯薬系専門の予備校に通っており、寮という名目のワンルームマンションに住んでいました。

その当時付き合っていた人と、勉強が終わると夜少し散歩に行く、というのがその頃の息抜きでした。

その夜、私たちはたくさん歩き、繁華街の中洲の中を歩いていました。

そしたら、彼氏の携帯に友達から電話がかかってきて

「なに!?ペンタゴンに飛行機が突っ込んだって?」

彼氏は大興奮。

「これはヤバイ、これはヤバイ」と騒いでいますが

私はポカーン。

とりあえず「ペンタゴンって何?」と

尋ねました。

彼氏は友達の家にTVを見に行くというので、「あっそ」と言い、私は自宅に帰りました。


その予備校では自分の部屋にTVを置くことを禁止しており、数人の友達はその規則を破ってTVを持っていましたが、私は持っておらず、TVを全く見ないまま一年間過ごしました。

最初に9.11の映像を見た時は、いつか覚えていませんが、かなり後。

ものすごい衝撃を受けました。

思えば、インターネットもスマホも普及していない中、その頃の情報源はもっぱらTV。でもTVは禁じられていたので、世界のこと、世間のことは何も知らず、過ごしました。

本当は男女交際も禁じられており、付き合っていることが予備校にバレたら、呼び出しをくらうことになっており、実際バレた友達は厳重注意を受けていました。


TV見ちゃダメ。
異性と付き合っちゃダメ。
勉強に集中するために。


今思うと、あれはなんだったのかなぁと思います。

私の行っていたところはそこまで厳しくありませんでしたが

近くに北九州予備校があり、噂によると

寮でコワーい舎監が木刀を持って、うろついているとかいないとか。



浪人生は高校も卒業して、18歳以上。

自己判断、自己責任の年齢に差しかかっているけれど

大学に合格しておらず

親のスネもばりばりかじっている。

浪人生とは辛い状況です。


医学部に受かるか受からないか、全然見えない自分の将来。


でも浪人は浪人で楽しかったし

なにより人生勉強になったことが多かった。

なんだかんだ5浪の人としゃべったりするのが新鮮だった。

ストレートで行ったら社会人になっているような年上の先輩。


欧米にはギャップイヤーとかサバティカル休暇もあるし

今思えば1年とか2年とか大したことじゃない気がするけど

あの時は必死だったなぁ。


20年経って、色々また経験して、成長して

また20年後どうなってるかな?



最後まで読んでいただきありがとうございます❤︎

これからもどうぞよろしくお願いします!



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