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いいかげんで偽りのない僕のすべて ⑭


 桜が咲く前に僕は上京した。暮らし始めたのは1LDKの分譲マンション。
両親が買ったのだった。近くに広い公園のある8階建ての7階にある見晴らしのいい部屋だった。8畳の寝室に10畳のリビングダイニング。学生ふぜいが暮らすには贅沢過ぎる部屋だったが「安心で綺麗なところ」が条件の母には、築10年未満でオートロック付き、学校にもそう遠くなく、都内でも緑が豊かな環境が気に入ったようだった。当然賃貸だと思っていた僕は購入すると言う母に「ほんとにいいの?」と何度も念を押したが「いいのよ子供のために使うなら」とあっさり契約書に捺印した。
 宝くじに当たったことが知れ渡ると、疎遠だった知人から金を無心する電話が相次いで掛かってきた。それ以外にも新興宗教や謎の環境団体からの献金依頼、銀行やなんとかファイナンスに「今が買い時」と株や投資を持ちかけ、これでもかと資料を送りつけてきては「どうですか?」とやると言うまで粘られる。おかげで電話恐怖症になった母親は「もう全部使ってしまったので一円もありません」と答えて撃退し、なら本当に使ってしまえと決めた。ちょうど僕が上京するにあたり、都内のマンションなら売ろうと思えばそこそこの値も付き、即金でローンもないから売却額がそのまま戻ってくると算段し、実用を兼ね備えた手堅い投資にあぶく銭をつぎ込んだのだった。なので好きに使えた。壁紙も自由に変えられるし、ペットも飼える。面倒臭がりの僕はどちらもする予定はないが、かつて使っていた実家の部屋と似た間取りは居心地がよかった。違うのはいつも明るいとこで、地上から出てきた蝉の気分を味わいながら、少しずつ自分らしい部屋に整えていった。

 全く新しい環境で始まった大学生活だったが、おおよそ予想していたものとほぼ相違なかった。多くの小説や映画で描かれていたことは間違いないのだなと思った。広いキャンパス。綺麗な女子学生。威張ってる内部進学者。
部活に精を出してる真面目な生徒もいれば、下らないイベントのチケットを高額で売るさばいてるヤクザな奴もいる。僕はごく一般的な大学生として過ごした。最初の一ヶ月はほぼ誰とも喋らなかった。サークルにも部活にも入らず、全然人見知りではないが、自分から初対面の相手に話しかけるタイプでもないからだ。けど話しかけてくる人はいるので、喋って気が合えば親しくなり、やがて行動を共にする友人が何人かできた。その誰かの部屋で深夜までゲームをやったりして盛り上がり、レポート作成のために図書室に入り浸った。二十歳前で酒を覚え、生活費を稼ぐために大型のディスカウントショップで週四日、品出しのアルバイトをした。

 僕は文学部に進学し、翻訳とイタリア文学のゼミを取った。課題で出された小説の一節を日本語に訳して提出すると、いつも先生に首を捻られ、毎回同じことを言われた。
「君の翻訳はとても正確だけど、合理的すぎるね。ひと言で終わらそうとして、気持ちが後回しになってる。つまり言葉に血が通ってないんだな。これではただの伝達だ。翻訳というものは会話を通して登場人物の魅力も伝えなければならない。君はもっともっと人と関わって、感情や情感を豊かにしなさい。簡単な言葉でも言い方ひとつで受け取り手の印象は変わる。君は今まで誰かと意見を戦わせたり、女の子を必死に口説いたことがないんだろう。言葉というのは矢にも薬にも快楽にもなる。正確さより気持ちや思いを表現しなさい。君自身が君の文章で興奮しなければ、読者は着いてこないよ」
 僕の足りなさをズバリと突く指摘だった。僕は本質的にはひとりが好きな人間で、苦労知らずで育ってきたため、相手を喜ばせる会話ができないのだ。頼まれたらやるだけで、基本受け身の立ち位置にいる。「伝える」という誠意が身に付いていないんだなと思った。僕は本を読み漁り、はっとする言葉を求めて映画をよく観るようになった。
 同じゼミで映画オタクの志田真保という女の子と知り合い、彼女とよく映画館に行った。志田は洋邦どちらの映画にも詳しかった。良し悪しは後で決めればいいと、全国ロードショーの大作から、観る側に問いかけるような、ニッチな題材でディープな内容の単館上映まで、選り好みせず鑑賞した。昼ならその後カフェで、夜なら安い焼き鳥屋で感想を言い合う。小柄な志田は頭の回転が早く、会話がぽんぽんと進むため、軽快なやりとりに慣れていない僕は、いつも途中から相槌担当になった。
 趣味も性格も違うが、物語はハッピーエンドで終わるべきという共通意見で志田とは合致していた。だが映画に対する思い入れは一致しない。僕は小説でも映画でも創作物に影響を受けない。教訓もエールも求めておらず、自分と重ね合わせたりもしない。作品として面白かったかどうかの感想しかないのだが、志田は感情移入しやすく、結末のその後の展開まで真剣に考えたりする。「私ならこうするのに」といつまでも作品の世界から出られず、
架空なのに不幸にする意味が分からないと監督への文句を言い続けるのだ。
「でも映画の半分は理不尽だよ。2分の1の確率外した時はどうするの?」
 学校のカフェで次に行く映画を決めていた。前日に観たよう分からんスペインの不条理映画に納得のいかない志田はずっとぷりぷりしていた。彼女はいつも泡がもこもこのラテを注文し、表面をスプーンでならしながら話す。いつ会っても不機嫌そうなへの字の口が、無意識に嘴みたいに前に尖る癖を見るのが好きだった。
 
 志田と話すようになったのは10月の終わり頃。彼女の書いた小説が地方文学賞で最優秀に選ばれ、その作品がとても面白く、感想を言いたくて僕から声を掛けたのがきっかけだった。小説の内容は、パワハラとセクハラに嫌気の差した28歳のOLが祖父の残した僻地の土地を譲り受け、そこで自給自足の生活に奮闘する物語だった。都会育ちで自然と触れあうことのなかった主人公が開墾したり、害獣駆除に悩まされたり、自力で家を建てようと建築の勉強をするがことごとく失敗する。彼女は当座の生活費を稼ぐために週末だけスナックでアルバイトをし、そこに来る農家や工務店や住宅設備のプロであるお客からノウハウを学び、時には手を借りて自分だけの城を完成させるサクセスストーリーで、読んでいてワクワクが止まらないほど面白かった。
「作品読んだよ。めちゃくちゃ面白かった」
 すると志田は「そう言ってくれたのあなただけよ」と物珍しそうに僕を見上げた。文学部には作家を目指している生徒も少なからずいて、文芸雑誌の新人賞に応募したり、同人誌やネットの小説サイトに作品を発表してたりする。ひとつ上にその界隈ではそこそこ有名人の女子生徒がいて、熱心なファンもいた。彼女の作品が掲載されている同人誌が学校の図書室に置いてあったので読ませてもらったが、何がいいのか全然分からなかった。確かに文章はうまい。語彙力もあって淀みなく読み進められるのだが、話自体が全然面白くないのだ。繊細で悲しい過去のある主人公の女性が不安定な恋愛に寄りかかりながら、都会の片隅で自問自答してるだけに終始する物語。途中作為的に猥雑な描写を挟みつつも、作者の過剰な美意識以外は何も感じ取れなかった。その辺にある短編集の第四話に収まってるようなすぐ忘れる話。しかしながら文学部では彼女を神格化する風潮が蔓延していたため、先に世間で認められてしまった無名の志田を称賛することは、その文学賞で一次落ちした彼女への侮辱であり、しいては支援者でもあるファンの審美眼も問われるからか、誰も志田の作品も功績も讃えてやらず「あんなのどこがいいの」と、批判する者もいた。彼女に比べて志田の文章は確かに劣っていた。荒削りで文法もめちゃくちゃだったりする。でも先を読みたいとページを捲らせる勢いは断然志田が強かった。志田は作家になるつもりはなく、生活資金がほしいから書いただけだったと言い、賞金の50万も奨学金の返済と光熱費に消えてしまい、その後一作も書かなかった。
「私物語は好きだけど、文学のなんたらにはまるっきり興味がないの。太宰治も教科書の走れメロス以外読んだことないから。人間失格なんてタイトルだけでやんなる。暗そうで絶対読みたくない」
 僕は暇だったから太宰もひと通り読んだが志田に異論はなかった。人間失格はタイトルの勝利だと思ってる。あれが「ダメ男の一生」とか「ナルシシズムのなれの果て」だったらここまで評価されず、ある種のコメディ作品になっていたかもしれない。僕も本は好きだが文学に心酔はしない。創作物は娯楽であるべきと変わらず思っている。孤高を好む僕は、他とは相容れない志田に人生で初めて自分から友達になりたいと志願した。

「そういう時はディズニーかジブリの映画を観てから寝るの。きちんと着陸場所に降りてくれる作品で気持ちを洗い流したいから。好きな作品ある?」
 志田はすくった泡をペロリと舐めた。
「アニメ観ないからよく知らない」
 寝坊して朝食抜きだった僕はお腹がペコペコだった。チーズとハムのオーブンサンドを頬張りながら首を振った。嘘でしょー、と志田は叫んだ。
「どれも観てないの?いっこも?」
「紅の豚だけ観た。あれアドリア海が舞台だから」
「アドリア海が好きなの?」
「昔憧れてた。でも、ニュー・シネマ・パラダイス観て、やっぱりイタリアっていいなって思った。あれシチリアが舞台だよね」
「うん。私もあの石畳の広場を歩きたいって思った。雑多でガヤガヤしてる
港町の雰囲気がいいのよね。あの映画を観て私も映画技師になりたいって思ったもの。 自分のすることを愛せってセリフ、あれ以上素晴らしい言葉はこの世にないと思う。一時期紙に書いて部屋に張ってたぐらい心に響いた。今はもう映画も全部デジタルで、フィルムの交換もないから映画技師っていう仕事もなくなっちゃたけど、あの作品は私が映画を大好きになるきっかけになった一本で、シチリアって聞くだけで、トトたちのいた村がぱっと浮かんでくる。なんたってタイトルがいいのよ。ニューにシネマにパラダイスよ。
映画、新しい、楽園、なんて、わくわく言葉が三つも並んでる。だからあの映画を観ると幸せな気持ちになるんだわ。ああ、一度でいいから大きなスクリーンで観てみたい。どこかでリバイバル上映やらないかな」
 志田は頬杖をついて、どこでもない虚空を見上げた。これだけ一気に喋っても息も切れていなかった。
「もしやったら一緒に行く?」
 僕が尋ねると、志田は高速で首を振った。
「行かない。絶対泣くから。行っても席は離れて観る」
 志田らしかった。ほんとにへんてこな子だと思った。
「ねえアニメ観ないって言ってたけど魔女の宅急便も?」
 僕が頷くと志田はあんぐり口を開けた。
「あれは私のバイブルよ。多分百回は観てる。セリフも全部そらで言えるわ。あの作品のいいところは魔法があっても戦いがないところよ。魔法を悪用したり、力の誇示に使わないからいいの」
「じゃあハリー・ポッターは邪道?」
「成長物語として観るなら面白いと思う。どうして毎回毎回戦ってるのか不思議だけど」
「戦う方が簡単だからじゃないの。敵味方はっきりしてるから見やすいし。魔女の宅急便には敵はいないの?」
 本当に知らないから聞いただけだったが、志田は眉間にシワを寄せて「こんな話をする人がいると思わなかった」とあからさまににため息をついた。
 「明日DVD 貸してあげる。絶対観るべきよ。あれを観てないなんて、私の人生の半分がないのと同じよ。私が魔法に憧れるのは、やっつけたい相手がいるからじゃなくて、自分の足りなさを補いたいからよ。魔法で世界征服して何になるの?気に入らない人をひとりずつ消していって、最後は一人ぼっちになるのよ。それが万能なんておかしいわよ」
 志田の髪の緑色のリボンが猫耳みたいだった。怒った猫娘がここにいた。
彼女は原色が似合った。性格同様黒に白なんか絶対に混ぜず、はっきりこの色と主張する。甘い飲み物を飲みながら、甘さを許さないあべこべさがおかしい。僕は矛盾した生き物が好きなんだなとつくづく感じた。

 翌日志田は会うなりDVDを渡してきた。珍しく嬉しそうだった。まだ観てないのに要所要所の見所をピックアップするので、なんとなく話の流れが分かってしまったが、せっかくなので部屋で観た。
 原作は児童文学なので、男子大学生が夜にひとりで鑑賞するには相応しくないほどのキラキラしたストーリーに、もう澄んでない自分の目に映すのが恥ずかしくなった。いい映画だったけど泣きはしなかった。舞台はデンマーク辺りかなと言って次の日に返すと、志田はもっと驚き、半ばショックを受けてるみたいに僕をまじまじと見つめてこう言った。
「あなたって、きっとどこか欠けてるんだわ」
 志田は僕を「あなた」と呼ぶ。映画の友になって久しいのに、未だに名前で呼ばれたことがない。彼女は常にうっすらバリアを作る。いつかはひとりになるからと予防線を張るように親しげな態度を拒絶するのだ。それは志田の子供時代の傷が起因していた。彼女の両親は離婚していた。母親が家庭というものに関心がなかったからだという。離婚の話し合いの最中、母親は志田に言った。
「どっちを選ぶか真保が決めていいわよ」
 当然母親は自分と暮らしたがっていると思っていた子供だった志田は、
母親に捨てられたのだと悟った。以来「いらない子」のレッテルを剥がせないままでいる。だから必要以上に近付かない。犬でも猫でも名前をつけると愛着が湧いてしまう道理に従って、志田は僕を「あなた」と呼ぶのだ。叱咤の際は特に語気が強めになる。
 それっきりその日は喋ってくれなかった。毎回正直に感想会をしてるので、僕はそのままのトーンで告げてしまった。志田にとってこの映画がどれほど大切な作品かと考えることを疎かにしたのだ。翌日にランチを奢ってなんとか機嫌を直してもらったが、小言は止まらなかった。僕は黙って聞いていた。子供向けの映画でも志田にとっては支えとなる作品で、僕は彼女の宝物を無下にし、傷つけてしまったんだと反省した。
 小柄でマンチカンみたいな顔してる志田は、秋田出身だからか肌がすごく綺麗で、もう二十歳なのに完全ノーメイクの珍しい女子大学生だった。家事の邪魔になるからとマニキュアも一切しない。つい最近もやってきたセールスマンに「お嬢ちゃん、ママいる?」と聞かれたと、僕を爆笑させたエピソードも納得するぐらい幼く見えるが、気はとにかく強かった。ゼミでも納得できないことがあれば教授にばんばん質問し、半ば口論のようにもなる。僕は楽しんで見物しているが、他の生徒は思いっきり引いている。なのでクラスでは変人どころか恐れられていて、アーモンド型の魅力的な瞳をしてるのに、人前で笑わないので全然男が寄ってこず、同性の友達もいない、けどそれも気にしない本物の一匹狼だった。
 志田と唯一付き合いのある僕は「なんであいつと仲いいの?」と友人らによく聞かれた。だが僕は正直なんにも考えておらず、面白ければ誰でもよかった。大学は効率のいい若さの消費と堕落までのカウントダウンと思っていたからだ。それに東大に受かったのにこっちの大学に来た僕も相当変わり者扱いされていて、勝手に似た者同士だとくくられてもいた。
 
 だが志田は変わり者というより理想の高過ぎる超真面目人間だった。父親と祖母だけの家庭で育ち、奨学金を申請して通っている彼女は遅刻も欠席もせずに毎日学校に来て、全部の授業を受けていた。なので時々サボる僕が許せないと叱った。
「なんのために進学したの?親に高いお金出してもらってるのに」
 反論の余地はなく、彼女の言うことが正しいので「すいません」と僕は謝る。
「あなたは他の人と違うと感じてるのよ。ぶっきらぼうだけど頭がいいし、
すっごい鈍感だけど、ちゃらちゃら遊ぶために通ってるんじゃないはずよ」
 褒められてるのか落とされてるのか分からないが、志田は僕を思い違いしていた。課題の提出も期限内にし、テストも今の所追試もない。だが僕はあくまで一般的な男子だった。最低限の勉強はするが、それより優先することも当然ある。分譲なので家賃はないが、光熱費や携帯代、日常に掛かる生活費はバイトで稼いでいる。東京は物価も高く、遊び場も多い。十万ちょっとのバイト代なんてすぐなくなってしまうので、金が足りなくなりそうな月は学校を休むか、講義をサボって働く。
 東京にも大学にも僕は案外すんなり馴染み、そもそもこだわりがないので誘われれば付いていった。都会を楽しみたいより自分の適性と耐性を知るためだった。だからガラじゃないことも挑戦した。
 中目黒のダーツバーに行ったり、男女グループで海や高尾山にも行った。いかにも軽薄そうな遊びをする一方、映画研究会に頼まれて、ルキノ・ヴィスコンティの本国でしか上映しなかったインタビュー映画の通訳を引き受けたり、バンドやお笑いのさくらになってと頼まれて劇場やライブハウスにも数回足を運んだ。新しいことをする度に出会いもある。当然それなりに女の子とも知り合った。
 都内の女子大学はみんなお洒落で綺麗。聞けばほとんどが地方出身者なのに、自分以外は垢抜けて見えた。気が合って仲良くなった子もいたが、二人きりで会うことはなかった。飲み会なんかでいい雰囲気になりかけても、いもしない猫が腹を空かせてると言って終電に間に合うように帰った。
 
 僕は東京に来る前にひとつだけ決めていた。他の女の子を好きにならない。誘惑に負けないと心に誓っていた。大学を卒業したら星野先輩と暮らしたいと思っていたからだ。やっぱり彼女の側にいて支えたかった。
 帰省の際は必ず会っていた。あれから意欲的に義足での歩行を始めた先輩は、競技用義足を装着して走る練習もしていて、僕は補助として付き添った。だが東京で体たらくな生活にすっぽりだった僕は、完全な運動不足がたたり、目覚ましい成長を遂げる彼女に追い付けなくなることもあった。
 スポーツ用義足は近年生身の人間を超越する技術に達していて、障害者の補助器具ではなく、サイボーグになるための最先端アイテムだった。彼女は昔とほぼ同じフォームで走り、パラ陸上の大会に出場すればいつも上位。膝から下のない左足を堂々と出して表彰台に登り、笑顔で手を振る。それはどんな女神像より美しかった。
「健太郎君のおかげよ。もう一度空の下で走れることが嬉しいの。前はあんなに足がないことを必死に隠そうとしてたのに、今はみんなに見てほしいの。見られる方が勇気が湧くのよ。不思議よね」
 額の汗が光る。長距離移動の時は車椅子を使っているが、家の中や近所への買い物だったら杖を付きながら歩く。腫れ物に触るようにこわごわ接していた両親も、今では大会に向けたメンテナンスを進んでやっていた。彼女の練習を動画で撮影しては、フォームの調整や分析などをデータ化して全面的にサポートした。SNS で自分発信を始めた彼女は高校時代の友人とも交流が戻り、一度だけ僕の部屋にも来てくれた。


⑮へ続く https://note.com/joyous_panda989/n/n490c812d2abd


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