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赤坂見附ブルーマンデー 第8話:すれ違いまくりの純情

 
 清治とは、過去に一度だけ、互いに口もきかなくなってしまうほどの大ゲンカをしたことがある。
 
「鳥やす」を出たあと、オレたちはそのまま駅で別れた。清治は歓楽街へと一人繰り出し、オレは東西線に乗ってそのまま帰宅することになった。

 日曜の夜ということもあってか、乗客は少なかった。少し酒に酔っていて気が大きくなっていたオレは、座席にどかっと座り、ぼけっとしながら車窓の外を見つめていた。

 オレは「鳥やす」で清治に言われた言葉を反芻しながら、そのままなぜか、清治と大ゲンカをした十年前の日のことを思い出していたのであった。

 大学一年生の頃、オレたちは共通の授業で知り合い、すぐに意気投合し、互いに映画が好きだったということもあって、シネマ研究会に二人で入った。シネマ研究会は、大学でもっとも有名な映画を作るための実践的なサークルであり、OBには「ぴあフィルムフェスティバル」の入賞者がいたりする。

 だが、映画の趣味嗜好や考え方の問題で、先輩たちとウマが合わなかったオレは、シネマ研究会をすぐにやめることになってしまった。
 簡単に言ってしまうと、映画をただのエンタメとしてしか捉えていなかったサークルの先輩方と、映画は文学に匹敵しうる高尚な芸術であり、思想でもあると考えていたオレとでは、意見がまったく嚙み合わなかったのだ。

 清治は、わりかし誰とでもうまくやっていけるタイプの人間だったので、しばらくサークルに残っていたようだが、オレに気を遣ってか、結局、数ヵ月してからやめることになった。

 映画を作るという具体的な実践活動のないまま、オレたちは大学一年から二年という期間は、ただ好きな映画を見て、互いに批評し合い、ずっとカフェや居酒屋でだべっているということを繰り返していた。
 いつか映画を作ってやるという思いだけは一丁前にあったオレは、清治と飲みに行くたびに熱っぽく語っていた。オレは、清治を巻き込んで、二人で映画を作るつもりでいた。清治も賛同してくれて、ぜひやろう、とやる気になってくれていた。

 大学三年生。その時期になってもオレは、まだ映画を作ることを諦めていなかった。たまたま入ったメディア論のゼミで、卒論のかわりに映画を作るとゼミの先生に啖呵を切った手前、オレは何がなんでも映画を作る必要があった。

 カメラマンや役者は、学校内で勧誘活動をすればどうとでもなると考えていたオレは、まずはシナリオ作りに取りかかった。一にも二にも、まずは映画の骨子ともいうべく「シナリオ」である。

 そのシナリオができあがったので、清治に読んでもらおうと、学校近くのシャノアールに呼び出した。

 季節は、夏休み前の六月であった――。

 清治は、オレのシナリオにひととおり目を通すと、原稿を静かにテーブルに置いた。それから、アイスコーヒーをぐびぐびと音を立てて飲む。

「なんだよ、感想はないのか?」
 
 清治の反応に少し苛立ちながら、うかがってみる。

「まあ、いんじゃないの。ただ、昔のお前が書いていたものには、もっとユーモアみたいなものがあった気がするけど、それが消えちまった気がするな。なんか思弁的すぎるというか、おかたいというか・・・」

「そうか。ゴダールみたいなものばっか見ているからかな」

「これさあ、オレからの提案なんだけど、映画じゃないとダメなのかね?」

「どういうこと?」
 
 清治の唐突な質問に、オレは戸惑いを見せる。

「たとえばさ、小説とかでもいいんじゃないかなって。小説なら、役者とか、機材とか、場所とか、物理的な制限がないわけじゃんか。お前の作品って、やっぱりお前の意志が強そうだからさ。小説みたいに、一人でやれる表現の方が向いてるんじゃないかな」

「なんだよ、急に。二人でずっと考えてきた話だろう? 小説じゃ意味ねえだろ」

「映画にこだわらなくてもいいんじゃないの、ってこと」
 
 清治の突き放し方は明らかだった。清治はもはや、オレの映画に関心を持っていないように思えた。

「いや、オレは映画が作りたいんだよ。お前だって同じだろ?」

「オレはお前ほどのこだわりはねえよ」

 その一言は決定的だった。

 まさか清治の口からそんな言葉が出てくるとは、露にも思っていなかった。

 同時に、梯子を外されたような、裏切られた思いがこみ上げてきた。

「なんだよ、えらく他人事のように言いやがって」
 
 オレは少し語気を強める。
 
 すると清治は少し剣幕な顔をして、吸っていた煙草の火を灰皿でもみ消す。

「あのさあ、オレたちもう三年だぜ。早いやつはもう就活始めてるみたいだぞ。どうすんだよ、いつまでオレはお前の妄想ごっこに付き合うんだ」
 
 清治は急に興ざめするようなことを言い出す。

 それを言ってしまったら、今やろうとしていることは何もかも終わりだろう?

「そうか、それがお前の本音か」

「本音もなにも、足元を見ているだけだって。絵空事だけでは、社会人やっていけねえからな。お前だってどうすんだ、就職どうするつもりよ?」 

 清治が突き付けてきた問題は、オレにとってはずっと曖昧にし続けてきたものだった。就職活動。いつかそのことに直面することはわかっていた。わかっていながら、自分には少しも現実味がなかった。

 オレはただ、映画を自らの手で作り、作品として成就させたい、そのことだけを考えていた。そして、それを世に問い、評価されることによって映画監督への道へと踏み出していく。もしそれが駄目でも、世に認められるまで映画を作っていく。そんなことを想い描いていたのだ。

「オレは映画を作る。映画監督になる、それがオレのこの先のプランだ」

「じゃあ、映像制作会社とか、映画配給会社とかそういうところに就職するってことか」

「いや、映画監督になりたいのであって、映画に携わる仕事だったらなんでもいいってわけじゃない」
 
 すると、清治は半ば呆れたような顔をして、うーんと唸り出してしまった。

「別に映画監督目指すのはいいと思うよ。でも、映画監督になるためのプロセスとか、ステップとか、そういうのはもう少し調べてみろよ。昔は、そういう道があったみたいだけどな。大卒で、「松竹」に入って映画監督になるとか。でも、今は、そういうのないみたいだしよ。何にせよ下積みとかが必要な世界だろ」

「オレはサラリーマン的な発想はごめんだね。今できることを瞬発的にやっていく。後先のことなどどうでもよい」

「お前はそれでいいかもしれないが、オレは違う。オレは食っていくために必要なことを考えたいからさ」

 清治の口調には、はっきりと苛立ちが混ざっていた。

 実のところ、オレは最近の清治の変化に薄々気づき始めていた。清治はこれまでよく付き合ってくれていたと思う。そのことへの感謝はもちろんあるが、オレはここで「悪かったな」と言えるほど、人間ができていなかった。清治に煽られ、オレの感情も怒りで昂っていた。

「なんていうか、お前変わっちまったな。オレには理解できんが、そんなこと言うなんて残念だよ」
 
 オレは財布から千円札を抜き出すと、叩きつけるようにしてテーブルに置いた。清治の手元にあったシナリオの原稿を取り上げると、バッグにしまいオレは席を立った。

「オレ一人でやるからいいよ。これ以上は付き合わなくていい」
 
 オレはそう捨て台詞を吐いて、清治を置いたまま、シャノアールを出ていった。清治は何を言い返すわけでもなく、すました顔で煙草を吸っていた。
 
 もう二度と、清治と口をきくことはないだろう。シャノアールを出てからの帰り道、オレはそう心に決めていた。

 そこからだ、清治と学校で顔を合わせても、お互いを避けるようになってしまい、これまでのように、一緒に煙草を吸ったり、くだらないことをだべったり、酒を飲んだり、映画を見たり、ということがなくなってしまった。

 今思えば、ただの強がりでしかなかったのだが、オレたちはここから和解するまでに、半年以上もかけてしまったのだ。

 そんな苦い日のことを思い出しながら、オレはいつの間にかうとうとしかけていた。だが、薄っすらとした眠りに入る前に、電車は、自宅がある浦安駅に到着していた。

 妻と娘と三人で住むアパートは、浦安駅から歩いて十五分程のところにあった。妻と結婚して、しばらくは共働きだったのだが、妻は派遣社員だったとうこともあり、二人の収入あわせても、とてもじゃないが東京には住めないと判断した。少しでも東京に近い場所ということで千葉の浦安を選んだが、駅前は東京と変わらないくらいに高い。結局、駅からだいぶ離れたところ、それも二階建てのアパートだった。

 妻と結婚し、最初に思い描いていた都内マンション暮らしという理想からはかけ離れた環境だったが、二年前、娘が生まれたことは、オレたちにとってかけがいのないものになった。安月給ではあるが、貧困というわけではない。慎ましい生活でいいじゃないか。娘が元気に育ってくれればそれでいい。それで十分じゃないか。

 自宅のアパートまでの帰路、まだ酔いの残っていたオレの頭の中には、T‐BOLANの『すれ違いの純情』が繰り返し流れていた。

 カラオケにでも行きたいな、そう苦笑してオレはアパートに到着すると玄関の扉を開ける。2LDK。娘が大きくなったら、すぐに手狭になってしまうのだろうな。

 リビングでは、妻が一人、テレビを見ながら洗濯物をたたんでいた。

「カリナはもう寝てる?」

 オレは妻に声をかける。

 カリナ。ゴダールの恋人で、ゴダール映画のシンボル的女優であったアンナ・カリーナをイメージして、オレがつけた娘の名だ。

「こんな時間だし、寝てるに決まっているでしょ」

 妻はなぜか苛立っていた。その理由がすぐにわかった。

「ねえ、出かけるなら言ってよね。わたし、てっきり家にいると思って。帰ってきたらカリナのお風呂、寝かしつけ、全部お願いするつもりでいたのよ。久しぶりの友達とのご飯で、お酒少し飲んじゃって。でも、帰ってきたらあなたはいない。LINEしても返事がない」

 オレはスマフォを確認し、妻からのLINEが来ていたことを、たった今知る。しまった、と心の中で叫ぶ。

 少しでも妻のご機嫌をとろうと、洗濯物をたたむのを変わった。それでも妻はずっとぶつくさ言っている。

「カリナだけでも大変なのに、お風呂掃除もわたし、ご飯作るのもわたし、ゴミ出しもわたし。夫は学生気分そのままに飲み会。どうやらうちには、子供が二人いるみたい」

 妻がソファに寝転びくつろぎ始めた頃に、ようやく会話らしい会話ができるようになった。妻のご機嫌が戻るまで、下手に話かけてはいけない。 

「そういえばさ、美代いたじゃん。わたしの同級生」
 
 洗濯物をたたみ終えたオレが、リビングの床に寝転がろうとした時であった。ソファを占領していた妻が、何気なく声をかけてくる。

「ああ、美代ちゃん。元気している?」

「今度、引っ越すんだって。どこだと思う?」

「さあな」

 オレは気のない返事をする。

「築地だって。築地。銀座の近く」

「すげえな。旦那さんそんな高給取りだったのか」

「大手建設会社にいるんだけど、役員になったみたいよ。まだ四十手前だってのにね」

「ふーん」

 再びオレは適当な相槌を打つ。いつもなら、こんなやり取りはすぐに終わるものであった。ところが、妻はまだ続けようとする。次に妻が言い放った一言が、ただでさえ、清治にダメを出されていた、けだるい日曜日の夜のオレに、さらなる追い打ちをかけた。

「わたしは、働かなくていい日が来るのかな」

 オレは凍り付いた。「働かなくていい日だと? 今、働いていないだろう」という言葉が、喉を通って出て行こうとするのがわかったが、寸でのところで止めることができた。それを言い放ってしまったら、「大戦争」が勃発することはすぐに予測できたからだ。その冷静さだけは、まだあったのだ。

 それよりも、妻はこの先、専業主婦になりたいのだろうか。子育てが落ち着いたら、働かないつもりでいるのだろうか。今のオレたちの世帯年収で? 
 
 そんなことが気になって仕方なかった。

「人は人、うちはうち、だろう?」

「そう。うちはうちね。でも、うちは<一緒に>じゃなくて、<互いに>だからね。結婚したのに、子供がいるのに、互いの自由と権利を主張したいのなら、美代の旦那さんくらい稼ぎがないと、ね」

 妻は、何が言いたい? オレは妻の言葉がのみ込めなかった。のみこめないまま、固まってしまった。

 フリーズ、思考停止だ。バカなのだろうか。そう、オレはバカなんだろう。何も考えられない、考えたくない。面倒くさいことは、考えたくないのだ。明日から、また、「戦場」に赴かなくてはいないというのに。せめてもの憩いの時間さえ、オレには許されていないというのだろうか。

 余裕がない。妻にも、オレにも余裕がない。オレは仕事という戦場で、妻は家庭という戦場で、互いに、切羽詰まっている。息苦しい思いをしている。

 結婚した時にはまだあった、「幸せな家庭をつくりたいね」という二人の純情は、こういうところで、すれ違っていくのだろうか。純情なんて、そんなもの、もともとあったのだろうかというくらいに、すれ違い始めるのだろう。

「ごめん、風呂入る」

 オレは、妻からのさらなる追撃を予測して、逃げるようにしてリビングを去った。妻の口から、大きな溜息が漏れた。なんでこんな簡単なことがわかってくれないの? とばかりの、大きな嘆きだ。

 わからない。オレにはわからない。わからないまま、また、月曜日がやってくる。


 
続く

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