赤坂見附ブルーマンデー 第9話:アニメファン熱狂の祭典
田村の異動は年明けからということだった。
その田村にとっての、宮戸チーム最後の仕事が、年末に行われるビッグイベント、『アニメ・ファンタジーフェスタ』だった。
アニメ・ファンタジーフェスタ、略称「アニファン」が開催されるのは、イベントの聖地幕張メッセだ。
アニファンは国内人気アニメの人気声優が、ファンサービスとしてステージに登場したり、その場でしか手に入らないアニメグッズなどが販売されたりなど、全国のアニメファンが一堂に会する祭典である。
田村はずっとこのアニファンの案件を仕切ってきていて、今回はなんと全体プロデューサーという立ち位置で現場にのぞむという。人気声優が集まるステージの演出進行には、今後は田村の上司となる忍さんがスポット参戦する。その演出のアシスタントに高山さなえが抜擢され、運営統括を宮戸さんが担う。
オレはといば、宮戸さんの下で、人気声優が集まるスペシャルステージの誘導ディレクターを任されることになった。
アニファンのような大型案件は、企画から当日までの全体進行管理を担当するものがいて、基本的にはその人間が案件責任者ということになるわけだが、イベント当日は別の社員にスポット参加してもらうことで、進行や運営における重要ポジションを担ってもらう。そうすることで、現場をより確実なものとして「固める」のである。
むろん、フリーでやっている恵君のような人間や、専門でスタッフを抱えている業者に外注するのが通常の采配ではあるが、今回のようにサティスファクションの社員を配置させていくというやり方は、絶対に失敗が許されないという気持ちの強さの表れでもある。
これは、田村が初めて全体プロデューサーに任命されたということもあり、この先の上司となる忍さんの配慮によるものであろう。このアニファンを全体プロデューサーとして成功させ、その実績をぶら下げた田村が、晴れて忍さんチームへ移籍する。これが、忍さんが描いているシナリオであろう。
そんな中、高山さなえが、忍さんのアシスタントにつくという異例の抜擢も気になるところではあった。オレにはそのような声はかからなかった。だが、オレのポジションが、実は極めて重要なものであるということは、イベント前日の全体会議で知らされることになる。
「いいか、このアニファンの中でも鬼門と言われるのが、人気声優が一同に集まるスペシャルステージだ。声優目当てで集まってくるファンが狂ったように殺到してくる現場で、十年前、もみくちゃにされたファンの中から死傷者が出て、アニファンが中止に追い込まれそうになったという経緯がある」
これから戦場に赴く武将のように、ディレクターチェアーにどっしりと腰かけた忍さんが、腕組みをしながら社員たち一人一人を睨みつける。忍さんは柔道をやっていたということもあり、風貌はまさに御大将という感じで、その表情、声の一つ一つに、常人にはない威圧感がある。田村と並んで座っていたが、どちらが今回のプロデューサーか、わからない。
「そこで肝になるのが、中谷のポジションだ」
オレは、忍さんの口から自分の名が出たことに驚き、思わず背筋を伸ばす。
「いいか、客は我先にとステージ前を争ってやってくるから、客の興奮を抑え、しっかりと整理誘導することが重要だ。奴らは何もなければしっかりルールを守ろうと大人しくしてはいる。だが、ルールハックしている奴をオレたちが見逃してしまうと、守っている奴らの不満になりかねない。だから、ここはとにかくルールハックする奴に目を光らせろ」
オレは忍さんの言葉を聞きながら、何度も頷いた。
「そして何より会場オープンだ。ここのスタートダッシュを絶対に許さないこと。今回は待機エリアから会場までは階段を降りていかなくてはならない。この階段では絶対に走らせるな。後ろから押されて雪崩のように転げ落ちたら、本当にやばい事故につながる。トラロープを張って、ゆっくりと歩かせ、誘導するんだ」
忍さんの説明から、アニファンの危険性が伝わり、オレは固唾を呑んだ。
「それから声優アテンドを担当するのは、桜庭だな」
桜庭もまた宮戸チームの現場に駆り出されていた。彼は、今回のシークレットゲストである人気声優、二階堂彩夢のアテンドである。このゲストの登場は、世間には公表されていなかったので、文字通りのシークレットゲストだ。
オレはその存在をまったく知らないのだが、アニメファンの中では唯一無二のカリスマ声優とのことだ。Jポップでいうところの浜崎あゆみとか、宇多田ヒカル級の存在といったところだろうか。
「わかってるよな、桜庭。今回のゲストをステージ袖までに、誰にも見られることなく連れてこい。少しでもファンに気づかれてみろ。パニック間違いないしだ」
「了解しました」
桜庭は忍さんの言葉にしっかりと頷く。忍さんの一番弟子ということもあり、二人の信頼関係は厚そうだ。
問題はオレである。本当にそんな大役がこなせるのか。
「いいか、中谷。お前はアニファン初めてだろうが、通常の現場と一緒に考えるな。来場者がまるで違うからな。大丈夫、百戦錬磨の恵も、ディレクターとして手配している。お前の全体指揮をサポートする」
「了解です」
オレもまた力強く頷いた。忍さんへのアピールの場とすべく、任された役をしっかりこなすしかない。
翌日、朝の六時には会場入りした。ダウンコート無しではとても過ごせない寒さで、動いていないと顎が勝手に震え、歯がガチガチと音を立てている。
会場入り口前の外では、入場待ちするアニメファンがすでに長蛇の列を作っていた。数量限定のグッズ販売などがあるためであろう。段ボールを敷き、毛布にくるまって眠る者、原画のコミックを黙々と読む者、湯気を立たせてカップヌードルを食す者、過ごし方はさまざまである。
会場オープンの九時にもなると、会場は一瞬で、若い男女のアニメファンでごった返した。「通常の現場と一緒に考えるな」という忍さんの言葉がよくわかった。高揚した人間たちの、内から滾る熱気のようなものが凄まじいのだ。
中でも殺気さえ感じるのは、カメラ小僧と呼ばれる連中である。会場外の一画では、アニメの美少女キャラクターに扮したコスプレガールが、過激な衣装で現れる。そのたびにカメラを持った鼻息荒い男たちが、われ先にシャッターを押さんとばかりに群がる。
彼らはイベントそのものではなく、コスプレとその撮影自体が目的で来場しているのだ。それはそれでマーケットが成立しているのだからよいのだが、中にはマナーの悪い連中もいて、そんな奴らを取り締まるために、運営スタッフが奮闘する姿もよく見る光景である。
スペシャルステージの開始は十四時だった。オレはそれまでに、ディレクターの恵君と入念な打ち合わせを繰り返した。
会場となる展示ホールの特設ステージには、中央モールと呼ばれる通路から入場して、長い距離の階段を降りていく必要がある。通常のイベントであれば、そこを行き来するのに何の問題もないのだが、アニファンでは想定以上の来場者が殺到し、かつ集団で走ったりするという危険性が伴うため、まず中央モールの通路に来場者を整列させ、入場待機させる。
それから、五十名単位でブロック分けして順に誘導する。前のブロックがある程度の階段を降りた時点で次のブロックを誘導し、それをピストン運動のように繰り返すのだ。
ブロックの先頭には誘導スタッフを二名つける。そして後方にも二名。スタッフは、トラロープという工事現場で使う黄色と黒の虎模様のロープでブロックを囲いうことで、列をはみ出そうとする者をけん制する。トラメガでしっかりと「危険ですので絶対に走らないでください」というアナウンスを行いながら、ゆっくりと階段を降りていく。
恵君とのシミュレーションはばっちりだった。
「大丈夫です。ここまで計画がしっかりできていれば、心配ないですよ」
恵君にそう言われるのは、頼もしい限りだ。
ディレクターとは、何よりもまず現場を安心させることにある。何も起こらない。すべては通常通りというイメージを、個々のスタッフがちゃんと持っているということが重要なのだ。イメージできないものについては、対応ができない。すなわち、予期せぬ事態につながってしまう。
いよいよ、スペシャルステージの開演が近づいてきた。
続く
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