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宗教や信仰についての雑記 #10

◯弱く愚かな者のために

これまで色々なことを書いてきましたが、実は私自身は、神仏を深く信じたり、「実在」を自他の内に感じ取ったりすることなど、全然できていません。
ごく些細なことにイライラしたりクヨクヨしたりを繰り返す毎日です。

でも考えてみれば、世にある諸宗教は、そんな弱く愚かな者たちのためにあるものなのではないでしょうか。
我々の思議を超えた「実在」を己の力のみで感じ取り、生きてゆくうえでの苦悩のすべてを、己の力のみで乗り越えられる人には、宗教は必要ありません。全く健康な人には医者や薬が要らないのと同じことです。
言うまでもなく、そんな強い人はごく一握りです。大多数の人々は己の弱さや愚かさをもてあましているような気がします。

ここから先書くことは、直感的に感じたことなので、論理的な根拠は全くないのですが、今ある諸宗教はそんな弱く愚かな者たちのために、姿形のない「実在」がそれぞれの地域の文化に合わせて、姿を現してくれたもののように思えます。
人間が人間の方から言葉を用いて「実在」を分節化して切り取ったのではなく、「実在」の方から歩み寄って姿を現してくれたもの、そんな気もするのです。

それも、人間が長い進化の末言葉を得た、その理由のひとつなのかもしれません。

そして人間が物質的にも精神的にも進歩してゆけば、諸宗教はその姿を薄めてゆく。でもそれは「神は死んだ」のではなく、我が子が成長するにしたがい、親が徐々に手を出さなくなるように、「実在」が徐々に干渉するのを控え始めている、ということなのではないかとも感じるのです。

ただ、たとえそうであっても、人間はようやく成長し始めたばかりで、この先道はまだまだ長く続くのでしょう。ですから、宗教が消え去るのはずっとずっと先のこと。それまでは、カルト化・先鋭化することなく、また世俗化・形骸化することもない、バランスの取れた宗教感覚をこの社会が持てるようになることを望みます。

現実は醜く、人生は厳しい。そんな中でも、周りの物事や、こんな弱く愚かな自分の内にも、「実在」が宿っていることを信じたいです。

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