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宗教や信仰についての雑記 #168

◯自分の思考や感情

今回も前回の続きです。

受容とコミットメント療法(ACT)の認知デフュージョンの方法について、個人的には1のラベリングと2のメタファーが使いやすいかなと感じています。
しかし強い感情の波に襲われているときに、理性的になってそこから距離をとるのは、実際にはなかなか難しいようにも思えます。
ですからラベリングやメタファーさえも難しいようならば、3のデフレクショントークでまずは気をそらすのが現実的なのかなとも思います。

様々な手法を用いて自分の思考や感情を自分自身から切り離すことを目指しているのは、言うまでもなくそれらの思考や感情が自分自身を苦しめるからなのでしょう。
つまり、苦悩をもたらす感情の元となっている思考とは、自分自身ではないということなのでしょう。

思考とは現実そのものを分解してそれを再構成した、言わば現実を原型としたモデルのようなものであって、現実そのものではないということだと思います。
そして「私自身」も、その「現実そのもの」の一部でもあります。ですから私が私について考えた思考も、その思考により発生した感情も、私自身ではないということなのでしょう。

そのことをさらに考えてゆけば、本当の私は捉えられない(対象化できない)、ということになります。これは仏教の言う「無我」に近い考え方だと思います。
それは、受容とコミットメント療法(ACT)がマインドフルネスに基づいた心理療法であり、マインドフルネスが仏教の瞑想や禅を元にした技法であるからかもしれません。

自分の思考や感情から距離をとり、客観的な視点から観察するためには、まず、そういった原理的な理解も必要なのではないかとも思います。

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