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宗教や信仰についての雑記 #43

◯感謝するために

この投稿を始めて思うようになったことがあります。それは以下の二つです。

①信仰や信心は神仏(あるいは「実在」)から与えられるものであって、個人の努力で得られるものではないこと。
②そうであるならば、今のところ私に、非常に薄く微かな信心しか与えられていないことにも何かしらの意味があるということ。

上記の②については、政教分離政策のもとで宗教色をなくした教育を受けてきたことや、現代の宗教の様相が、一方では先鋭化・カルト化し、もう一方では世俗化・形骸化するという、2極化が進んでしまっている状況であることなどが関わっているのだとも思います。

そんな中で適度にバランスのとれた宗教感覚を得るためにはどうしたらいいのでしょう。

そのための一つの方策として「感謝すること」があると思います。
これは人口に膾炙していることですが「言うは易く行うは難し」で、なかなか実行できません。
感謝するためにはまず、自分の存在や生活が恵まれたものであり、様々な人や物事に支えられていることを知らなければなりません。
でも一つ所に留まっていては井の中の蛙の如く、知識や見聞が狭いままとなってしまいます。
自ら動いて知識や見聞を広げること、それがひいてはバランスのとれた宗教感覚を得ることにつながるのでしょう。

アインシュタインの言葉に「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。」というものがあります。
この言葉の「科学」を「知識」や「理性」に置き換えてもいいと思います。
競争に勝つためではなく、他者を批判したり論破したりするためでもなく、心の平安や感謝のために、理性的に知識を得ること、それも大切なことだと思います。

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