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小説|腐った祝祭 第ニ章 18

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 公園は馬車通りに面して細長い形をしていて、すぐに通り抜けることができた。
 ハリーランドはギリヤ街よりも人通りが多かった。
 アーケードのない建物ばかりなので、サトルは傘を差し、カレンも一緒に入っていた。
 時々二人はすれ違いざまに睨むような目付きで見られることがあったが、どれもすぐに面倒臭そうな表情に変わって顔をそらされた。
 自転車に乗っている者も何人か見かけた。
 馬車の通らない道では貴重な移動手段だ。
 自転車は都心部では規制があって、普段は見かけることがあまりない。
 緊急時に使用することや、新聞や郵便の配達用などは許可されているが、駐車位置はもちろん色も指定されている。
 落ち着いた街並みに派手に目立つ色が行きかうのを嫌うからだ。
 ここでも派手な色はあまり見かけなかった。

 狭い道幅では、面した建物の間に洗濯物を干すためのロープがよく渡されていた。
 雨模様だが、中には取り込まれずに残っているシャツもある。
 その下を通る時に、ちょうどそこに溜まった大きめの雨粒が傘を打った。
 カレンはビクッと肩を揺らして、サトルは少し微笑んだ。
 道を進むほど建物は低くなり、木造の家が増えてきた。
 屋根は冬の雪が滑り落ちるように、傾斜がややきつめの切妻が多かった。
 この辺りの住民は所得のきわめて低い貧困層だ。
 高齢者が多いのも特徴だった。
 ルルでは親を残したまま若者が国外に移住するというケースが多い。
 貧しいほどその傾向は強かった。
 背後から自転車の近付く音が聞こえたので、二人は道の端に避けた。
 避けなければ通れないほど狭い道ではなかったが、二人は立ち止まってそれを見送った。
 自転車乗りは追い越す時に会釈をした。
 それは珍しい三輪自転車だった。
 色も赤と派手で、サトルは物珍しくてよくそれを見てみた。
 全体的にグレーで暗い街並みに、その赤は明るく映えていた。
 嫌な色ではなかった。
 街を少しでも活気付けている。
 そんな雰囲気があった。
 既製品ではないようで、二輪の自転車を改造して作ったような溶接の跡があった。
 後ろの二つの車輪の間には、荷物を入れるカゴが取り付けられていて、中に大きな白いポリタンクが積んである。
 カレンが言った。
「雨がやんだみたい」
 言われてみれば、いつの間にかやんでいる。
 サトルは傘を閉じた。
 と、カレンがサトルの腕をそっとつかまえた。
 サトルは何も言わなかった。
 近くの家から大人の怒鳴る声が聞こえて、五、六歳くらいの男の子が飛び出してきた。
 ドアに向かって舌を出し、振り向いて二人に目を留め、驚いて目を見開く。
 ここではあまり見かけない服装だったのだろう。
 サトルは足を止めずに歩いた。
 男の子は隣の家に飛び込んで、次に出てきた時は自分と同じくらいの年の子供と、それより幼い女の子と一緒だった。
 そしてコソコソと喋り、偶にキャッと笑いながら、サトルとカレンの後ろについてきた。
 カレンは少し笑って、サトルの耳元に囁く。
「子供がついてきてるわ」
「物珍しいんだろう。人懐っこすぎる気はするが」
 子供は歩いてるうちに一人、二人と増えてきた。
 町の水汲み場をかねた広場にたどりついた時には、十人ほどの子供が後ろにいた。
 中には赤ん坊をおんぶしている子供もいた。
 若い夫婦の多い町ではないので、もしかしたらこの辺りの子供は全部揃っているかもしれないと、サトルは思った。

 小さな広場の真中に、噴水風に仕立ててある水汲み場がある。
 各家に上下水道はいき届いている筈だ。
 これはそれが完備する前からある物だ。
 この水を使えば水道代の節約になるので、今でも利用する人は多い。
 そこでは先程のすれ違った三輪車の男が、ポリタンクに水を汲んで帰るところだった。
 すれ違う時に子供たちに向かって「悪さするなよ」と、説教して去っていく。
 二人は、その丸い人工池の縁に腰を降ろした。
 石は少し湿っていたが、濡れるほどではなかった。
 子供たちが二人の周りに集って興味深げに顔を見上げた。
「なにしてるの?」
 と、女の子が聞いた。
「お昼ごはんを食べる場所を探してたんだ」
 サトルは言って、紙袋からパンを取り出すと、ぱくっとかぶりつく。
 ジョエルたちが作ってくれるものほどではなかったが、割り合い美味しく、サトルは少し嬉しくなった。
 子供の一人が思い出したように言う。
「お腹すいた!」
 笑う子もいたが、頷く子もいる。
 サトルは言う。
「食べるかい?」
 みんな、笑ったり頷いたりした。
 サトルは一人に一つずつパンを手渡した。
 幸いパンは足りて、残りは二つだった。
 最後にカレンに一つを渡す。
 カレンは少し驚いたが、受け取った。
 しかし、目の前の子が食べ終わったのを見て、それを渡そうとした。
 すると隣の子が「ずるーい」と、不満をもらす。
 カレンは困って手を引っ込めた。
「じゃあ、それを半分にして」
 サトルはカレンに言った。
 カレンは言われた通りにパンを二つに割った。
 サトルは残りの一つを袋から取り出し、赤ん坊を抱えた子供にまず渡す。
「赤ちゃんを抱えて疲れてるんだから、これは文句言うなよ?」
 みんなは仕方ないなというように承知した。
 サトルはカレンから半分に割ったパンを返してもらうと、みんなに言う。
「問題を出すから、早く答えた人にあげよう。判った人は手を上げて答えるんだ。いいかい?」
 子供たちはいいと言った。
 サトルは簡単な計算問題を一つとなぞなぞを一つ出し、約束通り、早く答えた子供にパンを渡した。
 そして、誰か紙袋を処分してもらえないかと頼んだ。
 一番大きな子が手を上げて「いいよ」と言ってくれたので、その子に紙袋と、お礼にと傘も渡した。
 もう雨は降りそうになかった。
「昼食に付き合ってくれて、みんなありがとう」
 サトルはそう礼を言って、カレンと二人で広場を後にした。
 子供たちは手を振ってさよならを言ってくれた。
「サトルさん」
「なに」
「どこに行くの?」
「このまま行けば川がある筈だよ。船で川を上って街に戻る」
「そう」
「私が戻って、一番に何をすると思う?」
「さあ。何かしら」
「アニスで食事をするんだ。それから髪を切りに行く。それから時計を見に行く。時計を盗まれてしまったからね。気に入ったものがあれば買う。なければ新作を後日、大使館まで持ってきてもらう。それから友人に会いに行く。フェルメールという画家だ。絵をキャンセルした詫びに、彼の絵を買う約束をしていたから」
「そう」
 カレンは少し淋しい口調になった。
「私はそういう人間だ。欺瞞的で、手に負えないんだ。君に軽蔑されることは判っていた」
 カレンは何も言わず、サトルに手をつないだ。
 サトルも何も言わなかった。

 路地を抜け川沿いの道に出る。
 川幅は50メートルほどあった。
 川岸の歩道ではウォーターバスの経営者が何人か集ってお喋りをしていた。
 サトルが声をかけ、一つの船を借りた。
 サトルが選んだ船は五艘の中では一番見た目が良いものだった。
 カレンが乗り込む時に、サトルは手を貸してやった。
 二人は進行方向を向いて、並んでシートに座った。
 モーターを使った船は岸を離れ、上流を目指して走り出す。
 速度はそれほど速くはない。
 受ける風は寒くない程度のものだった。
 雲は少しずつ薄れ、ところどころに青空も見えてきた。
「サトルさん。この町にはよく来ていたの?」
「いや、初めてだよ。初めて見る風景だった。でも、別の土地で同じようなことをしたことはある。最近はなかったけどね。気紛れに微々たる施しをして、いい気になってるんだ。疑わず懐いてくるのが面白い。大人相手では見抜かれるから、大抵は子供相手だ」
 川の水は綺麗だった。
 サトルは川に沿った道に目を向ける。
 赤い自転車がゆっくりと走っていた。
 先程と同じ三輪車のようだった。
 やがてそれは道を曲がって、見えなくなった。
「君はどういう景色を見ていたんだろう」
 サトルは前を向いて言う。
「君は何をしていた。私はそれを聞くべきだったのか。君の散歩に付き合えばよかったのか。私と一緒では見えない景色っていったい何だったんだ?今歩いてきた町並みのことか?でも、私には判らない。ただのうらぶれた町だったよ。それが何だって言うんだ。何が楽しかった?」
 ふたたびカレンがサトルの手をそっと握った。
「サトルさん。どうしたの?」
「君の行動を逐一知りたかった。白状するよ。でも、そんなみっともない事できないだろう。いい大人が、一人の女を独占しようと躍起になってるなんて、浅ましくて見ていられない。今まではそれでよかった。いつもそうだった。それで上手くいってたんだ。なのに、どうして君の場合は上手くいかなかったんだろう。いつも心配だった。いつも私を見ていて欲しかった。他の何よりも私を優先して欲しかった」
 カレンの手に力がこもった。
「私、あなたを愛してたわ」
「言うことを聞かなかったじゃないか」
 サトルの目から涙がこぼれた。
 風に吹かれて、船の床に落ちる。
「私は結局、浅ましい男になっていった。それでも駄目だった。何がいけなかった?私には判らない。何を悩んでいた?酒を飲んでふらつくほど、私に問題があったのか?それなら何故そうと言わない?それほど私は信用がなかったのか?私は君の愛を信じたよ。でも間違いだったのか?どうして死んだんだ。君が死ぬくらいなら、私を殺せばよかったじゃないか。君にならいつでも殺せたろう。教会に請求すれば結婚証明書がもらえる。それがあれば私の財産は全て君のものだ。君はそれを資本にして、ルルで幸せに暮らせばよかったんだ。その方がずっと良かった。君が死ぬよりずっと良かったんだ」
「あなたは、私を愛してくれていた?」
 サトルはカレンの腕をつかまえ、自分に引き寄せた。
「当たり前だろう?あれだけ言い続けて、それでも信じないのか?私は好きになった女しか口説かない。気に入らない女に言い寄るような暇なことはしない」
 カレンは淋しそうに微笑み、指先でサトルの涙を拭いた。
 そして、もたれてきたカレンを、サトルは抱きしめた。

 何を考えてる?これはナオミじゃないぞ。
 でも、ナオミじゃないか。
 まるで、ナオミじゃないか。

 ナオミ様がヘアピンで鍵を開けようとなさって、まるで子供みたいな方ですわね。

 お前の腕の中にいるのはカレンだ。
 頭のいかれた占い師だ。
 ナオミかもしれないじゃないか。
 お前も相当いかれてる。
 どこに行ったんだ?
 どこにもいない。
 ただ、白い骨が残っているだけだ。
 遠い国の空の下で。

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