小説|腐った祝祭 第ニ章 19
船賃を払って、岸辺へ降りた。
カレンはサトルの頬にキスをして言う。
「私、一人で帰れるわ」
「駄目だ」
「そうしたいの。あなたは食事をして、髪を切って、時計を見て、友人に会って帰ってきて」
「……どうしても、そうしたいのか?」
「そうよ。どうしてもなの」
カレンは頭を押さえる。
頭痛を我慢するように。
「一つだけ、言いたくて、黙ってたことがあるの」
「なに?」
「グリーン卿の告別式で、ベラと少し話をしたの。あの人が言ったの。サトルさんと付き合うのは、いろいろ苦労がおありでしょうねって」
「ベラが?」
「ええ。いろいろ噂の絶えない人だから大変でしょうね、って。今もちょうどゴシップのいい材料にされていて不憫だわ。でも、頑張ってねって」
「そんな話をしていたのか?」
「ええ。すごく気になる言い方だったの。あら、ご存じなかったのね。ごめんなさい。気にしないで。そう言われたわ。それで余計に気になったの。だから、セアラに頼んで雑誌を買ってきてもらった。大臣の娘の記事よ。ベラのことは気にならなかったけど、不思議ね。同じ国の人が相手だと、なんだか真実味があって、すごく不安になったわ。私、本当に虫除けだったらどうしようって、とても悲しい気持ちになったの」
「何を言うんだ。そんな訳ないよ!彼らには君をちゃんと紹介しただろう」
「うん。判ってる。そうよ。あなたははっきり、私を婚約者だと言っていたわね。でも、それだって……。いいえ。ただ、その時はすごく不安だったの」
サトルはカレンを抱きしめようとしたが、カレンは首を振って嫌がった。
そして、いよいよ頭が痛くなったようだった。
「ただ、それだけよ。あなたに言ってなかったから……。ごめんなさい。余計なことだったかもしれない。でも、あの時ほど不安なことはなかった。さよなら。私もう帰らなきゃ」
「一緒に帰ろう」
「駄目よ。駄目なの。よく判らないけど、駄目なの。今は私、一人にならなきゃいけないんだわ」
カレンが執拗にサトルの手を払い除けるので、サトルはあきらめた。
カレンは最後に「さようなら」と、言って、船着場から階段を登って姿を消した。
サトルはぼんやりと考えていた。
ベラがナオミに?
告別式の最中にそんな話を持ち出しただって?
そんな余計な話を。
あの場でそんなくだらない話をしたのか?
サトルは告別式の様子を思い起こした。
二人は確かに話をしているようだった。
でもあれは、ナオミがベラを元気付けているとか、そういったものではなかったのか。
サトルは考えながら階段を上り、通りの歩道に出てきた。
カレンの姿はもうなかった。
すぐに馬車を拾ったのだろう。
サトルは自分も馬車を見つけると、それでレストランへ乗りつけた。
食事の間もずっと、ぼんやり考えていた。
そして、予定を変更してベラの屋敷へ行くことに決めた。
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