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小説|腐った祝祭 第一章 3

 子爵家が所有する美術館の新しい展示物披露のため、その日、館は貸し切りになっていた。招待されたのは子爵夫人ベラの友人ばかり五人と、サトルだけだ。内々の見学会だった。
 館長に引きつられ、説明を聞きながら七人は静かな館内を見学した。ときおり上品な笑い声がアーチ型の装飾天井に響く。
 美術館を出て子爵の邸へ戻るため、一同は馬車に向かって小道を散策がてら歩いた。
 ベラがサトルに近付いてくる。
 談笑している輪から一つ遅れて、二人は並んで歩いた。
「お気遣いありがとう、大使」
「何のことですか?」
 サトルは後ろで手を結び、美術館の前庭の心地良い道をのんびりと歩く。
 天気のいい日だった。
「ケーキよ。とても美味しそうだったわ」
「なんだ。お茶の時間にみなさんを驚かす予定だったのに。もうばれていたのか」
「我が家の使用人は隠しごとが苦手なのよ」
「それなら厨房に直接忍び込んで、パティシエにお願いすればよかったな」
 ベラはフフフと笑った。
「それでも駄目よ。私、パティシエとは一番仲がいいんだから」
「そうでしたね。ところで、ご主人のご機嫌はいかがですか」
 子爵は去年の初めの頃に体調を崩し、以来病気療養中だ。
「ありがとう。相も変わらずといったところよ。機嫌のいい時はバルコニーを歩いたりしていたけど、もうそんな季節でもなくなるわ」
「ご心配ですね。私に何か出来ることがあれば、遠慮なくおっしゃってください。小さなことしかできないとは判っていますが」
「いいえ。感謝してるの、大使。あなたにはこれまでも随分、精神的に助けてもらってるわ。弱音を吐けるのはあなたくらいよ」
 ベラは少し黙った後で、サトルの顔を覗くように見上げた。
 金色の髪は美しく結い上げられている。形のよい額に前髪がくるりと二筋垂れていて、少女っぽさも感じられた。
「ねえ、サトルさん」
「はい」
「今日の夕食の予定はおあり?よければ、ご一緒できないかしら」
 サトルは、ベラが自分を気に入っていることは、度々控えめに語られるこういったセリフから感じ取っていた。ベラはその夫に比べると、ずいぶん若く美しい女だ。彼女が人妻でなければ、サトルも警戒はしなかっただろう。
「ああ、実は、今夜はモルガ女史のパーティーに呼ばれているんです」
「あら、そうなの。モルガが相手なら断れないわね」
「夕食後にですが」
「え、それなら・・・・・・」
「いいえ、ベラ。そのお誘いはあなたにとって良い事ではないと思います」
「サトルさん・・・・・・」
「誤解を招きかねません。あなたは繊細なお方だ。いわれのないゴシップに耐えることはできないでしょう。だから、これからもそういうお誘いは、私は断るしかないのです」
「そんな心配いらないでしょう。だって、あなたには決まった女性がいるんだから」
 ベラの口調が少し拗ねるようなものに変化した。
「それが都合のいいことに、先だって終焉を迎えました。記者たちはそろそろ勘付いている頃でしょうね。しばらくはまた、ほとぼりを冷まさなければ」
「お忙しいことね」
「浮気性の外交官はいいネタになるんですよ。自国の貴族をいたぶるよりは、他国の外交官を狙った方が、彼らの心も痛まない」
「でも、私は知っているわ。あなたは浮気性な方なんかじゃないってこと」
「どうしてそう思われます?私の非道振りを、あなたは目にしないで済んでいるだけかもしれませんよ」
「いいえ。あなたほど誠実な殿方はいなくてよ。少なくとも、私の周りにはいないわ」
「買い被りでしょう」
 サトルが微笑んでそう言うと、前を歩いていた婦人二人が振り向いた。
「御両人。もう少し早くお歩きになったら?」
「お御足でも痛められまして?」
 二人はクスクスと笑ってそう言った。
 サトルは微笑みを二人に移して軽く手を振り、ベラは気まぐれな蝶を追い払うためにレースのハンカチを振った。立派な大人である筈の二人の婦人は、子供のようにキャッと甲高い笑い声を立てて、他の三人を追い越して駆けていった。
「可愛らしい」
 サトルが呟くと、ベラは肩をすくめる。
「子供なんだわ。二人とも独身なんですもの」
「なるほど。あなたの様な苦労をまだ知らないというわけですね」
「さあ。苦労と言えるかしら。自由がないとは言えるけど」
「それなら、あなたにとって私だけは自由でいましょう。あなたと二人でお会いすることはできませんが、こうやって会うことは自由です」
「それは自由とは言えないわ」
「でも、ベラ。私はそれでも楽しいですよ。こんな風にあなたのお友だちの集りに混ぜてもらえるなんて、とても幸せなことです」
 ベラは淋しそうに首を軽く振った。
「あなたは自由な人ね。羨ましいわ」
「この国にいられる間だけですよ」
 その言葉を思い出したのか、昼食の席で不意にベラは言った。
「もしかして、大使には転勤のお話があるのかしら?」
 一同はベラを見、そしてサトルを見た。
 サトルは一同を見渡し、首を振る。
「まだ具体的な話はありません。しかし、もう5年にもなりますから、あってもおかしくはないでしょう」
「まあ」
 隣にいた婦人がそう声をあげ、はす向かいの紳士が残念そうに口をへの字に曲げた。
「わが国では赴任期間は2年、長くても3年が普通なんです。5年というのは、かなり異例ですから」
 紳士は言う。
「でも、あなたは確か任期の延長を受けたでしょう」
「ええ。でも、2年前のことです」
「そうよ。たしか、陛下があなたの国を訪問した時に、あなたのことを褒めたんだわ。それでお国の方が、あなたに任期延長を命じてきて」
「そうです。よく覚えておられで」
 サトルは記憶力のいい隣の婦人に微笑んだ。婦人は自慢げに片方の眉を上げ下げした。
「もちろんよ。あなたが帰っちゃうなんて淋しいって思ってたんだもの。そう、あれからもう2年にもなるのね」
「ベラ、あなた何とかしなさいよ。大事なお友達でしょう」
「まあ、嫌なことを言うのね。仕事とプライベートを一緒にしては、大使だって困ってしまうわ」
「でも淋しくなるじゃないの」
「ええ、そうだけど。・・・・・・そうね。大使には悪いけれど、私、あなたがここに来るまでは、あなたの国に興味なかったのよ。前任の大使は、つまり・・・・・・」
「感じ悪かったわ」
「こらこら、はっきり言っちゃいけないよ」
 クスクスと笑い声が広まった。
「何と言うか、付き合いの悪い方だったわ。通訳無しでは話もできなかったし」
「陰気な感じだったもの。サトルに会う前は、あなたの国の男はみんなあんなだと思ってたわ」
サトルも笑った。
「これは、散々な言われようだ」
「ミーナ。あなた言い過ぎよ」
「だって、そう思ってたんだもの」
「仕方ありませんよ。その国のイメージは、その国の人間を見ることで出来上がっていくものですから。ただ、いい機会なのでお願いしておきましょう。私の国には、他の国と同様にいろんな人間がいることを知っておいてください」
「無論、そうだろうね。ミーナの言うのは偏見だな」
「まあ」
「陰気な人間も陽気な人間も、そのどちらでもない人間もいます。ミーナのように勝気な女性も、それとは正反対にベラのようなおしとやかな女性もね」
「やだわ、大使!それこそ私ったら、散々な言われようじゃないの」
 一同は揃って笑い出した。
 ベラが言う。
「でも、あなたは自国にためにとてもお役に立っててよ。私たち、皆あなたの国に好感を持つようになったんですもの」
「ありがとうございます」
「前任大使は、身内ではよくパーティーを開いてたみたいだけど、この国の者たちとはウマが合わなかったみたいね」
「そのようですね。外交官の人数を減らされたのもそこに原因があるんです。彼が身内との飲み食いに金を掛け過ぎたので」
「あら、そうだったの?」
「ええ。こちらでは問題になっていたんです」
「じゃあ、サトルはとばっちりを受けたのね。今じゃあなた1人なんだもの」
「まあ、何とかやっていますよ」
 サトルは肩をすくめ、話を他の方向へ導いた。しばらくして、接客係の男が部屋に入ってきた。
「お食事中申し訳ありません。大使にお電話が入っておられます」
 ベラがつまらなそうな声を上げた。
「緊急なの?」
「はい。お仕事の件のようです」
「失礼」
 サトルは素早く席を立ち、男と一緒に部屋を出た。
「相手は誰だい?」
「クラウル様です」
 受話器を受け取ると、クラウルがいつもより早口になって喋り出した。サトルはすぐに帰ると伝えて電話を切り、部屋に戻ると一同に説明をした。
 ベラが立ち上がった。
「お仕事なら仕方ありませんわ。玄関までお送りしましょう」
「いや、ここで結構。みなさん、お騒がせして申し訳ない。食事中に退席する失礼をお許しください」
 一同は口々にサトルの労をねぎらってくれた。
 部屋の出入口でサトルは立ち止まり、傍に来ていたベラを振り返る。
「うちの馬車をお使いになってね」
 そう言って、ベラは先ほどの男に馬車の用意を指示した。男は準備しておりますと答えた。
「お一人なんて、やっぱり無理があるんだわ」
「心配いりません。大丈夫ですよ」
「お気をつけてね」
「ありがとうございます」
 サトルはベラの頬に挨拶のキスをし、屋敷を後にした。


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