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小説|腐った祝祭 第一章 2

 朝食の食卓で、サトルがフォークの先でスクランブルエッグをつついている隣では、ミリアがお代わりのカフェオレをボールに注いでくれていた。
 そこまではいいのだが、しかつめらしい顔つきでもう片方の隣に立っている執事がいるので、それほど清々しい朝の風景というわけでもない。
 クラウルはサトルのスケジュールも把握している。もっと言えばスケジュール調整もクラウルの仕事だった。サトルは自分に秘書はつけていない。その代わりクラウルには部下が三人いる。きっと細かい調整は彼らと協議しているのだろう。
「じゃあ、今日は昼前から出かけなけりゃならないんだね」
「そういうことです。昼食会があちらで開かれますので、お昼はそちらで」
「まあ、美術館の見学なら暇つぶしには持って来いだな」
「呑気なことを。そろそろ用意してくださらなければ、遅刻してしまいますよ」
「少しくらいなら大丈夫だよ。子爵夫人は私のことを気に入ってくれているから」
「そんな訳には参りません」
「判ったよ。そんな怖い顔しないでいいじゃないか。じゃあ、ミリア。ここは他に任せて、出かける用意しておいてくれるかい?」
「かしこまりました」
 ミリアは一礼して、コーヒーとミルクのポットを持って食堂から出て行った。
 彼女や他の女中たちが、クラウルの前でサトルに冗談でも気安い言葉を発することはなかった。何しろクラウルはこの屋敷内で一番厳格な男なのだ。女中だけではない、他の使用人からもクラウルは恐れられ、あるいは煙たがられている。
 サトルが滅多に怒ったりしないので、彼がその分を引き受け、厳しく使用人を指導しているからだ。言ってみれば悪役を引き受けてくれている訳で、その点でサトルは彼に感謝しなければならない。もちろん感謝の気持ちは、その報酬で充分に表しているつもりだ。
 ミリアの代わりに給仕にやってきたのは、白い帽子をかぶったシェフのジョエルだった。きっと、女中たちがクラウルの傍に来るのを嫌がったのだろう。
 ジョエルはグリーンサラダにドレッシングをかけてくれた。彼にはソムリエと栄養士の二人の助手がいる。
「そうだ、クラウル」
「はい」
「何時に出発したらギリギリ間に合う?」
「10時半です。馬車は閣下が乗り込むだけでいいように用意してありますから。もちろん、屋敷を出るのは10時20分にしてください」
「ということは」
 サトルはルル王国のプリンセスから私的に頂いた置時計に目をやった。
 食堂の壁際に置いてあるのだが、別にぞんざいに扱っている訳ではない。王女自身が「食堂にどうかしら?」と言ったのだ。サトルはその言葉に従ったまでだ。銀色の文字盤の下のガラスケースの中で、三人の天使が一秒おきに揺り動かされている。彼らに命があれば、さぞ気分が悪いだろう。時刻は9時16分を示していた。
「あと一時間あるね。ジョエル」
「はい?」
 急に声をかけられ、ジョエルは少し驚いたようだった。
 彼もできることなら、クラウルの前での発言は避けたい口だ。クラウルときたら、出身地の訛りさえチェックしてくるからだ。「閣下に訛りがうつっては一大事」なのだ。
「それまでに何かお菓子は出来るかい?手土産に何か持っていこう。夫人は甘いものに目がないからね」
「閣下。お言葉ですが」
 クラウルは言って、額の深いシワを更に深くした。
「こういった席での贈り物は、相互協定で禁止されております」
「ただの手土産じゃないか」
「しかし、プレゼントはプレゼントです」
「私からじゃなければ問題はないだろう?うちのシェフが子爵夫人に心を込めて作ってくれたお菓子だよ。何の問題もない」
「それはそうですが・・・・・・」
「頼むよ、ジョエル。急で悪いけど」
「お任せください。一時間もあれば充分です」
「ありがとう。ここはもういいよ。私一人で大丈夫だから」
「他の者は、よろしいので?」
 ジョエルは申し訳なさそうに呟いた。
 サトルは一度クラウルを見やってから、ジョエルにウィンクをする。
「大丈夫」
「かしこまりました」
 ジョエルは、ややほっとした様子で食堂を出て行った。
 クラウルはフンと鼻を鳴らした。
「まったく、旦那様の食事の席に誰もいないとは!」
「いいじゃないか。私は君がいるだけで淋しくないよ」
「給仕は私の仕事ではありません」
「いいんだよ、君はそこにいるだけで。それで、今日のスケジュールはそれで終わりなのかい?」
 サトルは一口大にカットされたブレッドに、スクランブルエッグとレタスを一切れ乗せて頬ばった。
「いいえ。夜にはモルガ女史よりカクテルパーティーに招かれています。必ずご出席を。何しろ皇太子のガールフレンドですから」
「ああ、今日だったか。皇太子も来るの?」
「もちろんでございますとも」
 やけに意気込んだ返事だった。
 彼は彼の国の王族を非常に誇りに思っているのだ。それでも偶にサトルに向かって、「私の主人はサトル様だけです」などという可愛いセリフを言ってくれる。それはおべっかではないと思っている。クラウルはかつて、サトルのために国王の命令を無視したこともあるくらいだ。
「普通の格好でいいのかい?」
「はい。特にこれといった趣向はないそうです。気軽に来てくださいとのことでした。軽いお料理しか用意されていませんので、お食事はすませてからお向かい下さい」
「そう。ワインを五本くらい選んでおいてくれるかな」
「かしこまりました」
「あれ?ワインならいいのかい」
「夜のパーティーはいいんです。その場で饗される物であれば。ご存知の癖に試すような真似をなさらないでください、お人の悪い。規定内の金額で私が選ばせておきます。さあ、早くお食べになって下さい」
「はいはい」
 サトルは笑いながら、クラウルの言うことを聞いた。


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