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小説|青い目と月の湖 16

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 マリエルは恐れながらも、クロードの傍に近付いた。
 そして、ブルーグレーのドレスが汚れることも気にせず、その場に膝をついた。
 クロードを見つめ、怖々と口を開く。
「あなたは、魔法使いさん?」
 クロードは返事をするのに間を開けた。
 平常の呼吸は戻ってきていたが、まだ声は嗄れていた。
 それに、普通の人間と気の利いた会話が交わせるほどに、体力が回復している訳ではなかった。
 それで、やっと出した言葉は、少し怒ったような調子で発せられた。
「あんたがマリエルか」
 クロードには決してそんな気はなかったのだが、マリエルは肩をすくめ、恐れに身構えた。
「……ええ」
「ハンスが来られなくなった。すまない」
「……そう。あの、あなたは、クロードなの?」
「そうだ。君とは、川で会っている」
 マリエルは少しだけ微笑んだ。
 

 ハンスから聞いていたクロードは、もう少し楽しげな人間だった筈だが、間違ってはいないようだ。
「あの、顔色がお悪いようだけど」
「ああ。君に伝言を持ってきたんだが、ここで急に具合が悪くなってね」
「まあ。私、どうしたらいいかしら。お水を持ってきましょうか?」
「悪いが、この湖の水を飲む気にはならない」
「飲み水は別なんです。近くの小川の水を城に引いています。でも、歩いて沢まで行く方が早いと思いますから、私、行ってきます」
「いや」
 クロードが、立とうとしたマリエルに手を振った。
 マリエルは動きを止めた。
「もう歩けるから、そこまで連れて行ってくれないか」
 クロードは片膝に手を置いて、そこに力を入れるようにして立ち上がった。
 マリエルも一緒に立ち上がったのだが、すぐ傍で、思った以上に背の高いクロードを見上げることになり、驚いた。
 それは彼女にとって、初めて見る大人の男だった。
 その体格にハンスとの違いを実感し、急に緊張しはじめた。
 急に、言葉が出なくなった。
 クロードが、少し不思議そうに自分を見下ろしていることが判ると、更に体が硬くなった。
「どうかしたのか?」
 マリエルは首を横に振った。
 そして、クロードの前に立って歩き始める。
 

 ハンスの親しい友人だとは言っても、ただそれだけの、知らない人だったんだわ。
 それに、魔法使いだなんて。
 ハンスは少しも怖くないと言っていたけれど、少し怖い。
 黒尽くめで、顔色が悪くて、何だか死神みたい。
 どうしよう。
 この人、もしかしたらクロードじゃないのかも知れない。
 でも、川の向こうに見えたのは、確かにこの人と似ている。
 似ているだけだったら?
 

「マリエル」
 予想もしない距離から声が聞こえ、マリエルは慌てて振り返った。
 クロードはマリエルより数メートルほど後ろを、疲れた様子で歩いていた。
「すまないが、そんなに早く歩かれると、さすがに付いていけないよ」
 マリエルは謝る言葉を口に出せないままその場に立ちつくして、クロードが追いつくのを神妙に待った。
 
 クロードは水を飲み終えると、手の甲で口を拭いながら立ち上がり、マリエルを振り返った。
 マリエルは何か、挨拶めいたことを言った方がいいような気がしたが、声は出てこなかった。
 ハンスのような少年を相手にするのとは、全く雰囲気が違うと思った。
 大人とは、何を話したらいいのだろう?
 母親との思い出を頭に浮かべてみても、女同士の会話では役に立たないような気がした。
 それで、今までに読んだことのある本の中の会話を思い浮かべた。
 ちょうど良いシーンに行き当たる前に、クロードが近付いてきた。
 マリエルは息を飲んだ。
 クロードが言った。
「ありがとう。少し落ち着いたよ」
 クロードの表情は、先程より随分和らいで見えた。
 マリエルはおずおずとでも、口を開くことができた。
「あの、ハンスは、何のご用があったのかしら」
「よくは知らないが、家の用だとか」
「そうですか」
 クロードの髪は自分と同じくらい黒かったが、長さは肩より少し長い程度だった。
 大きく波打つ美しいくせ毛で、体調を崩したせいか、屈んで水を飲んだせいか、いくらか湿り気を帯びていた。
 額にはらりと落ちる黒髪の奥には、やはり黒い瞳が佇んでいる。
 涼しげな目だった。
 これが大人の男の目なのか。
 ハンスのキラキラした目とは違う、憂いを含んだ、どこか淋しげな目だ。
「マリエル?」
 クロードの呼びかけに、自分が彼に見入っていたことを知り、マリエルは慌てた。
 そして、何か奇妙な感覚が胸の中で渦巻いていることに気付いた。
 マリエルは仕方がないと、あっさりそれを片付けた。
 初めて見る男の対応に戸惑うのは当たり前だ。
 マリエルの表情が落ち着くと、クロードは言葉を続けた。
「ハンスに伝言があれば、伺おうか。彼も君の家まで来るのには時間的にも苦労しているようだから、次に会う時間と場所を決めておいた方がいいと思うよ」
「ええ。そうですね」
 マリエルは自分の腕を抱き、少し考えた。
 そして日時を伝えると、クロードはもう道は判るからと、一人で帰っていった。


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