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小説|腐った祝祭 第一章 24

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「外務大臣?」
 ナオミは後ろにいるサトルを、顔を斜めに上げて見つめた。
 夜空に月は出ている。
 月夜の公演の前の夜だった。
 ナオミの部屋のベッドの上で、ナオミを後ろから抱きしめる格好で座っていた。
 ナオミの手に薬をぬるのは、エステティシャンが来た日からサトルの日課になっていた。
 今は左の人差し指の先に、丁寧に薬をぬり込んでいるところだ。
 かすかにオリーブオイルの香りのするクリームだったが、ナオミは気にならないと言った。彼女の肌にも合っていて、手の荒れは改善された。
 しかし、朝と寝る前のニ回という用法を怠ると、ナオミの手はすぐにカサカサし始める。
 朝はナオミが自分でぬっているが、夜は睡魔のために怠けてはいけないと、サトルが奉仕している。
「いつだったかな、ええっとね」
 ナオミの爪は綺麗だった。
 全ての爪の根元に弓なりのピンクがかった白い部分があり、その上は健康的なピンクだった。
 乾燥が進んで一時は表面が白くかすんでしまったが、手と一緒に薬を塗っているうちに爪の状態も良くなり、マニキュアなどつけるのがもったいない艶を取り戻した。後はナオミ自身かセアラが爪の形をヤスリで整えればよかった。
「26日だったかな」
 サトルはゆっくりと、ナオミの手にオリーブ・クリームをぬり続ける。
 ナオミは袖のない白のナイトドレスを着ている。肌触りのいい柔かなガーゼで作られたものだ。
 見上げた顔を、自分たちの手の方へ戻した。
 エステティシャンの説明によれば、ナオミの肌質にあわせて調合してあるので、体に使ってもいいということだった。
 サトルは手の全体にぬってしまうと、次に手首を優しく撫ぜた。
 そして、そこから肘にかけてゆっくりとぬっていく。
 両腕が終わると最後は背中にもぬる。
 このときナオミは可愛らしくシーツを胸に抱きしめているのだった。
 サトルの方は薬の油分がついてしまうので上半身は裸になっていた。
「ああ、違う。27日だ。12月27日の午後」
 実際興味のない話題なので、記憶も曖昧にぼやけていく。とりあえず報告はしなければと、わずかに残った事務的な部分の脳細胞で言葉を紡ぐ。
「そうなの」
 ナオミは呟いて、窓の外に目を向ける。
 ベッドには月の明かりが注がれていた。
 星空の綺麗な夜だったので、リックに頼んで外灯の明かりは消してもらった。
 部屋の照明もつけていなかったが、星明りで視界は充分だ。そのお陰で、窓ガラスに部屋の内部が反射することもなく、庭の樹木や星空がよく見える。
 サトルはナオミの背にある髪をすくって、左側にまとめて、肩から前へと垂らした。
 ナオミはいつものようにシーツを抱え、立てた膝に自分の体を預けた。
 少し前かがみになり丸くなったナオミの背中のリボンをほどく。
「それで、28日の昼に出発するらしい」
「大使館に泊まるの?」
「うん。別に来なくていいのにね。まったく面倒だよ」
「ルルの外務大臣と会ったりするの?」
「うん、一応ね。私が連れて行かなきゃならない。一人でお留守番できるかな?」
 ナオミはふふふと笑う。
「できるわよ。積み木で遊んでるわ」
「いい子だ」
 サトルはナオミの髪にキスをしてから、背中の首に近い位置にオリーブ・クリームを一すくいおく。それを少しずつ全体に延ばしていく。
 サトルにとって、この寝る前の儀式は至福の一時だった。
 皇太子の計らいで、29日に郊外の教会で結婚式を挙げることが決まっている。
 押し迫った日程にも関わらず、出席者は多数集っている。
 もちろんその多くの者たちにとって、年末のパーティーの一つと思えば、急な誘いとは言え何の支障もない行事なのだ。
 サトルはそれまで、この至福に甘んじるつもりだった。
 薄い境界線の向こうに、激しい肉体的な欲望は見えている。
 しかし、それを眺め、時には嘲笑いながら、ゆったりとしたナオミとの時間を楽しむ。
 そんな術をサトルは体得していた。
 手を伸ばせば、それはすぐ手に届く位置にある。
 だがサトルは目を瞑り、ナオミの体温にうっとりと頬をよせる。
 ナオミは時にサトルの胸をしめつけ、時に癒しを与える。
 サトルはその全てを甘受した。
 それはまるで、リラの芳香の充満した空間に、心地良く浮遊しているような感覚だった。
 近いうちにナオミを、動物的な衝動にまかせて抱くことになるだろう。
 それも楽しみだ。ナオミがどんな反応を示すのか、今から思うだけで身震いがする。体の中で鞭をうたれたような痺れを感じる。
 考えすぎるとふっと情欲が込み上げてくるが、それを抑える時のマゾヒスティックな息苦しさをも、サトルは楽しんでいた。

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