【教育】勝利至上主義に陥らない
久しぶりに教育について語ります。
今日のテーマは「勝利至上主義にならない」ということです。
「勝利至上主義」は学校現場でも見かけることがあります。
部活動、行事、テストの点数などなど。
勝利を目的として活動するのよく聞くことです。
社会科教師目線で言えば、やはり私たちの経済的な基盤が「資本主義」や「競争原理」に基づいているからともいえます。
ただ、私たちにとって「競争原理」は一つのものさしだったとしても、それは私たちの社会や人生の全てではないはずです。
そのことを勘違いして、「競争原理だけ」で物事に取り組むといつか大きな落とし穴に落ちてしまう可能性があります。
例えば、勝利だけを目指した部活動はフェアプレーやスポーツマンシップの精神が欠けてしまう可能性が高くなります。
例えば、行事における勝利至上主義は、上手くできない仲間に対する不満や排斥の動きを高める可能性があります。
例えば、テストのおける勝利至上主義は不正や個々の成長などを無視した過度な序列意識を生みます。
これらの弊害は度が過ぎると、やはり私たちの人生の幸せや社会に対して巡り巡って大きなマイナスを招くと考えています。
だからこそ、教師は日常生活において「勝利至上主義」に陥らないために意識する必要があります。
もっと具体的に言えば、勝利を「目的」とするのではなく「目標」にとどめておくことが重要ではないかと思います。
これは私が教師だった時に生徒たちに常々伝えていたのは、自分たちの活動の「目的」は自分たちの人格や集団生活の質を高めることであり、その手段として勝利を「目標」とする、としっかりと伝えておくことです。
そう伝えてあれば、例え目標である勝利が達成できなかったとしても、その活動において生徒たちの人格や集団生活の質が高まったのであればそれは目的を達成したということになるはずです。
そもそも勝利できる人(集団)なんて、一握りです。
例えば合唱コンクールだって、どのクラスがどれだけ頑張っても最優秀賞をとれるのは一つの学年で一クラスだけであることが多いはずです。
では、みんなで協力して頑張ったけど最優秀賞がとれなかったクラスはダメなのかと言えばそうではないはずです。
逆に最優秀賞をとったとしても、誰かは排斥したり蹴落としたりしていては集団として本当の意味で成長できたと言えるのでしょうか。
これは私たちの人生にとっても大切なはずです。
世の中には様々な人がいます。
資本主義で言えば大金持ちや競争原理で言えば何かの一位なんてほんの一握りです。
ではそれ以外の人は負け組なのかと言えばそうではありません。
大金持ちでなくても、何かの一位でなくても、幸せな人生は作れるはずです。
そして、世の中はやはり助け合って成り立っていると思います。
そういった、社会や人生にとって大切なことを学校教育では生徒たちに伝えていくことが大切だと考えています。
もちろん「資本主義」や「競争原理」を全否定する訳ではありません。
しかし、それらを人生や社会の全てとして捉えるのは危ういことだと思います。
私は日本の教育の根幹は「勝利至上主義ではない」と信じています。
もし違うのであれば「勝利至上主義ではない日本の教育」になってほしいと切に願います。
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