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キャンセルカルチャーに狙われた日本の音楽シーン

【注意】
この投稿はセンシティブなトピックを扱う。


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日本の音楽シーン…とは書いてみたものの推しの話をする。グループ名は出さない。

グループには中東ハーフとアフリカハーフのメンバーがいる。(私は"ミックス"という呼び方は人を犬扱いしているようで抵抗があるので"ハーフ"とさせていただく。)メンバーの25パーセント以上は一部外国にルーツを持つグループとなっており、「グローバルオーディション」を謳った番組に出演していた。その番組の視聴者層が主なファン層と思われる。音楽の方向性としてはヒップホップである。

このグループが炎上した、というか外国のファンから火を点けられた。

"ブラックカルチャー"の踏襲と指摘された問題点

ヒップホップというブラックカルチャーを踏襲したスタイルであることもあって、純日本人メンバー2名がブレイズをしていたのだが、それが「文化盗用」であると指摘を受けた。「攻撃ではない」としながらも「ラップユニットを組んでいるメンバー2名が"ブラックヘア"をしたことは"IS(原文まま) offensive"(=攻撃的である)」と言い切っており、「海外で受け入れられるためには"ブラックカルチャー"を知ることは"imparative"(=命令的=必須)」「傷つけた可能性のある"ブラック"のファンへの謝罪をし、そこから学ぶことを期待する」と彼らへの非難とも取れる形で、グローバルファンベースとして運営されているXアカウントでコメントした。

アフリカハーフのメンバーは以前コーンロウやブレイズをしていたことがある。しかし彼は"ブラック"であるため文化盗用には当たらないという。それは当然だと私も思う。

"黒人"と"ブラック"

私は先ほどから"ブラック"をブラケット書きにしているがこれには理由がある。"黒人"と書いてしまうと日本語的な意味合いになってしまうためであり、"ブラック"の社会ではその定義が異なるからである。
日本人からすれば黒人ハーフは必ずしも黒人ではないし、特に日本国籍を選択し、社会に馴染んでいる場合は日本人として扱われる場面は多くなる。しかしアジアの外、特に米国を主軸にした文化圏では彼らは"ブラック"扱いであることを留意する必要がある。少しでも黒人の血が混じっていれば"ブラック"である。そして彼ら、彼女の文化を真似するのはタブー視する人たちがいる。その人数が多いのか、少ないのか、それは私にはわからない。

受け取り手の問題点

ここからは私の考えを書く。

私は"ブラックヘア"のような特定のシンボルが(特定の人たちに対して、あるいは全員に対して)禁止されることに全面的に反対だ。

特定のシンボルを見た時、「傷付いた」と感じるのは受け取り手に問題があると思っている。「"ブラック"以外による"ブラックヘア"」も例外ではない。例えそこに「奴隷時代は自由に入浴ができず髪をまとめる方法がそれしかなかった」といった背景があったとしても、それを他民族が真似したら「文化盗用」になる理由にはならない。

私は寛容な社会を支持している。単なるファッションが輸出されただけで、自民族の凄惨な歴史を理由にそれを他民族に禁止するとはとても寛容な社会とは思えない。まるで韓国の「ウリとナムの文化」さながらである。
これを(別に盗用でもなんでもないのにも関わらず)「文化盗用」と称して自民族を"被害者"という枠の中に閉じ込めたとて、彼ら/彼女らの解放に繋がることは何もない。(なぜこれが盗用に当たらないかは上記の投稿を参照されたい。)

メリットがあるとしたら"被害者"という特権を手に入れることができることくらいである。

これはどういうことか。

"ブラック"は"ユダヤ"になりたいという仮説

西洋、特に米国では被害者であることは大きな権力に繋がる。アメリカにユダヤ人団体は多く存在し、中でもサイモン・ウィーゼンタール・センターは欅坂46やBTSのナチス風衣装を問題視したことで日本でも一躍有名になった。

彼ら/彼女ら黒人が目指すはここである。自分たちの歴史がいかに悲惨で、白人に酷く加害されたかを知らしめることにより強い政治的な影響力を得たいという背景がある。その手始めが"This hair is not for you boy/girl."という「"ブラック"以外が"ブラック"カルチャーを取り入れるのは文化盗用で、悪である」というナラティブなのである。もちろんこの政治的意図に無自覚な"ブラック"も大勢いて、それがおそらく政治利用のために躍動されていることに無自覚な大半の民主であることは留意しておきたい。

「着物を着るなら少しは日本の文化を知ってほしい」という意見も拝見したことはあるが、私は一切賛同しない。服はまさしくファッションそのものであり、そこに文化的理解は不要だと思っていて、「かわいい」「素敵」「私/僕も来てみたい」と思うなら自由に着用して良いと考えている。ヒジャブ着用ももちろんOK。正しく着用してほしいとは思うので、「左前は死装束」など、そういう意味では多少の文化理解は必要かもしれない。しかし私は(被爆者遺族であるが)着物を着用したい人々に「ヒロシマ・ナガサキを知ることは必須だ。そして我々が純粋なる被害者であることに賛同しろ」などとは言いたくない。もっと踏み込むと「パールハーバーは奇襲攻撃であり邪悪だ。日本は原爆を落とされて然るべきだった」という意見を持つ人だって着物を着たって構わないと思っている。

もちろんファッションから文化的背景や政治的立場に興味を持つ人もいるはずなので、その点でも大歓迎だ。中韓のプロパガンダに染まった華流、韓流ファンも多少なりとも存在するのはその証左である。

もし自民族の文化を真似されるのがそんなに嫌ならアーティストを不買したって良いのだ。どんな理由であっても不買する判断と権利は各個人にある。

例えば、私はNIKEが朝鮮総連と手を組んで広告を打って、尚且つウィグル人の強制労働を利用させるよう米国でロビー活動をしていたことを知ってからは製品は買わないようにしているし、無印良品は「自信を持ってウィグル綿を使用する」という多数の中国企業がテンプレートのように使っていた不自然な文言を記者会見で使っていて興醒めしたので店舗には長らく立ち寄っていない。ドルチェ&ガッバーナに関しては論外で、上海のコレクションショーにあたり箸でイタリア料理を前に食べにくそうにする広告を出したことも箸文化を共有する全ての国々に対して侮辱的だったが、香港店撮影拒否問題も明らかな現地民差別であり、おかげで今は亡き推しが愛用していたライトブルーを当時買わなかったことを後悔せずに済んだ。

個人的な話であるが、私は西洋のtake side すること、つまり何かしらある意見を持ってどちらかのサイドに立たなければならないという文化が非常に嫌いである。そして take sideしない人を罵倒し、責め立てる文化を心の底から憎んでいる。それが私を"A Japanese living in Japan"たらしめている。西洋のこの文化から脱却し、東京という真の多様性が根付くこの地に避難してきたのである。

日本とはどういう国か

日本という国は縄文人が住んでいたところに弥生人が渡来してくるところから文化交流が始まる。いや、もしかしたら縄文人たちも多民族で交流はあったかもしれない。この国は現代に至るまで他国から文化を取り入れ続け、それを自国に適応させてきた。それに伴い差別を含む諍いもあった。しかし国のルールに従うことで治安を保ち、他国に侵略されることなく、国体を保ってきた。これは日本の歴史の一部である。

多様な文化を受け入れる土壌がこの国にはあると、私は思っているし、中でも東京という街は程よく他人との心的距離を保つことで多様性が根付いていて、居心地が良いと感じている。

インターネットと国境

世の中はグローバル社会になりつつある。それは間違いない。
だからこそ気をつけなければならないことがあると思っている。

他国/他文化圏に自国/自文化圏のルールを絶対に押し付けないことである。世界はインターネットでつながっているし、黒人たちはユーラシア大陸や太平洋で隔てられた日本のタレントがブレイズをしているのを簡単に目にすることができるかもしれないが、そこには国境という不可侵な線引きがあるとこを忘れてはならない。

海外のファンが自動翻訳を使って一生懸命日本人に向けてメッセージを送っていても、それはメッセージが重くなる理由にはならないし、道理がない限り聞き入れるに値しないと思っている。

私は"ブラックカルチャー"の言い分は理解する。
しかし盲目に追従することは絶対にしない。

人権保護を謳いながら多様なファッションや考え方を否定することは、少なくともこの国には、必要ない。


続編はこちらから

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