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日本人とヨーロッパ人と他人の服装

先月、ヴィジュアル系バンドのライブに行ってきた話をしました。そこには様々な服装をした人たちがいてすごく素敵な空間だったということを書きました。
よく日本の人たちと服装の話をすると、私の地元は日本の人には「海外の方が服装に寛容である」と思われているようなのですが、その実態について語りたいと思います。


地元で数少ないゴスパンクだった私

中学生だった私は日本に一時帰国しては親にPUTUMAYOや時にh.Naotoのお洋服を買ってもらっていた。まずゴスパンクに転向した時、冷たい言葉を浴びせられたのは確かに日本人からだった。同級生たちはTシャツにアームカバーをつけた私を見て「セクシーすぎるー!」と、どちらかというと興味津々だったのだが、校長先生からは「どこで買ってくるのかしらね、あんな服」と言われ、担任からは「まあ2学期になってみたら首輪つけてる人(私)もいればですね…」と始業式に嫌味を言われた。

一方で学校の外では外国人として生きていたので、面倒臭いことになることを避けるためか、野次を浴びたことは一度もない。堂々としていたのも少し関係があるのかもしれない。ただ左右色違いのソックスをボンテージパンツから覗かせていた時だけは電車の乗客の一人に爆笑された。私を見つめては終始ゲラゲラ笑っていた。他の乗客は見て見ぬ振りをした。私も変質者に絡まれるのはごめんなので無視した。左右異なるソックスを履くというスタイルは現在ではすっかり廃れてしまったが、今をときめくきゃりーぱみゅぱみゅを筆頭にKERAなどの青文字系を中心に人気があった。

しかし現地のテレビで「日本のヴィジュアル系・ゴスロリ・ロリータファッションに身を包む若者」が特集されたとき、現地人の方が肩身の狭い思いをしていることを知った。彼ら、彼女らの多くは服装を仮想と見られ、「謝肉祭じゃないんだよ!」と罵声を浴びせられると語っていたのが印象的だった。
米国のドキュメンタリーも見ると、彼ら、彼女らはやはり仮想や、どこかobscureであるもの、性的なものと結び付けられることを嫌っていて、向こうでも偏見の目が強いとわかる。

私の所感としては、国籍問わず、異質な服装に対しては

  • 身内(同じ民族間)に対する態度の方が厳しい傾向にある

  • 外国人に対しては面倒ごとを避けるためか見て見ぬ振りすることが多い

  • ゴスは話しかけづらいのか見て見ぬ振りをされる傾向にある

  • ロリータはなめられやすいのか、心無い言葉を浴びせられることがある

といった印象だ。特に3つ目に関しては自分がゴスパンクで、メイクも「おっかない系」だったからあまり野次を浴びなかったと思っている。実際にゴスでベビーカーを押している現地人男性に電車で遭遇したことがあるが、いたって普通にしていた。邪険にされる様子も一切なかった。

現地の普通のファッションとは

私が学生だった頃、現地人にとっての普通のファッションは丈短めのTシャツにローライズのジーンズ。それ以外なかった。日本のように「自分のファッション」を楽しんでいる人はいなくて、「普通」以外はやはり「変なもの」と見られた。

女子の女の子っぽいファッションはいじめの対象だったし(実際にこの目で見た)、性的からかいの対象で、私がチェックのミニスカートを履いて街を歩いていると若い男子はこぞって口笛を吹いて「セクシーだねえ」と野次った。ファーのついたコートを来ていると"Streber(ガリ勉、出世主義者)"と悪口を浴びせられた。

男子は眼鏡をかけていると特段なめられやすい。運転免許の取得にあたりファーストエイドの講習を受けたが、雑談の中で「眼鏡とかありえない。ダサすぎ。」という発言は普通に飛び交っていた。

ゴスやパンクやロリータでなくとも「普通」じゃない「イケてない」ファッションは例外なく攻撃対象だった。今思えばスカートなんて身に危険が及ぶかもしれなかった。そこは反省している。

婦人科での一言

私のメンタルが崩れていたとき、医師から「ホルモンバランスの乱れではないか」と婦人科を紹介された。その頃私は既にゴスパンクで、常にヴィヴィアン・ウェストウッドのアーマーリングをしていた。

先生は私の指輪を見て「パンクなの?」と聞いてきた。私は頷いた。彼は「昔すごく怖いファッションの人に会ったことがあるんだけど、話してみると同じ人間ですごくいい人だったんだよ。人は見た目で判断してはいけないよね」と言ってくれた。

これは「人を見た目で判断しない人」の存在の証明と同時に、偏見が蔓延していることの証左でもあった。

時代と日本人のスルー力と

日本でもロリータファッションをしていると悪口を言われたりすると読んだことがあった。
私は一時帰国するたびにお洋服を買いに原宿へ行った。ロリータさんがたくさんいた。地元のような陰鬱な雰囲気は感じられず、異質にも見えなかった。堂々としていて、街に溶け込んでいた。周りの人々も奇異な目で見たりはしていなかったと思う。

多様性が騒がれる時代になったが、日本はとっくに多様性が根付いていたようだ。ギャル、ゴスロリ、パンク、デコラ…いろんな人がいて、自分のファッションを堂々と楽しんでいた。周りからなんと言われようと「自分の格好は素敵なんだ!」という自信を持って強く生きてきたのである。するとやがて社会も干渉しなくなり、そのファッションが「普通」のうちの一つになった。

その点、欧米は多数派がとても強い力を持っていて、自分に自信を持っているだけでは社会から認めてもらえない。私の地元は監視社会である傾向がとても強く、それも作用してとにかく人から干渉もされる。

私は日本人はスルー力が高いのだと思っている。悪く言えば事なかれ主義だったりするかもしれないが、この地球には赤の他人の些細な違いさえも許せない人々がたくさんいるのだ。

多様性と日本の社会に関して私は一つの意見を持っている。
日本は多様性を受け入れる準備はとっくに整っているし、これ以上できることはない。日本人は罪のない人に心ない言葉を浴びせたりしないし、飲み物を頭からかけたりもしない。そういう人がいた時は日本人は同民族である日本人を咎めることができているし、何より日本は(警察の権力が弱いとは感じるものの)法治国家である。これ以上の(少なくとも心理的)配慮は正直不要だと思っている。

よく「日本人は事なかれ主義だから」とか「日本人は見て見ぬ振りが得意だから」というが、「見なくていいものを見ない」というのは特殊能力である。ポジティブな側面もあるので、そこは忘れないでほしい。

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