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【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 第10話

第10話 悪態と、笑い声

 ぼんやりと、青い空。
 
 ちきしょう。目が腫れちまって、視界が狭くなってんじゃねーかよ。

 視線の先には、空飛ぶ錦鯉。ぎょろりとした鯉の目玉が、非難するように、バーレッドを見下ろす。

「ふん……。いらぬ手加減しやがって」

 バーレッドが、かすれた声で呟く。

「わからず屋め。後先を、少しは考えろというのだ」

 そう言う時雨しぐれも、バーレッド同様、あちこちはがれて草だらけの石畳に、仰向けに倒れていた。
 バーレッドと時雨。激闘を繰り広げ――、今、互いの頭が向き合った形で、揃って天を仰ぐ。

「なんで殴り合いになってんだよ」

 武器で戦っていた。しかし、剣を時雨の槍に振り払われ、そのあとは、肉弾戦が続いた。
 時雨は、自分の持っていた自在に出現させることのできる槍を使わず、手から消していた。

「俺は、九郎もあんたも殺してしまったっていいと――」

 時雨の、動く気配。バーレッドは、起き上がろうとするが、あちこち骨にひびが入っているのか、いまいち体がいうことをきかない。

「バーレッド」

 時雨は這って、バーレッドの顔のところまで来ていた。時雨も、ひどい顔だった。

 俺のパンチも、結構効いてんじゃん。

 切れた唇に、笑みが浮かびそうになる。

「バーレッド。おぬしも九郎様も、思いは同じなんじゃ」

 バーレッドの口からもれる、ため息。

 何十回も、聞いたよ。

 殴り合っている間、時雨は幾度となく繰り返し叫んでいた。

「九郎様は、世界を守りたい、そして立て直し、希望に満ちた未来を作っていきたい、そう願っておられるのじゃ」

 時雨は、戦いの中叫び続けていたことを、さらに熱い口調で繰り返す。

 それも、飽きるほど聞いた。

飛蟲姫ひちゅうきの封印を解いたのが、何者なのかは知らぬ。しかしそれは決して、王家ではない。王家と仇なすものの仕業、そうわしは考えておる」

 バーレッドは、心の中で呟く。

 それも、聞き飽きた。

「わしらが敵同士のはずはない。バーレッド。頼む。わしらの力になってくれ」

 またため息をつく。怪我のせいか、ため息さえも少し苦しい。

 それも――、飽きたよ。おなかいっぱいだ。

「聞いておるのか、バーレッド!」

 叫ぶ、時雨。時雨も、自分同様、傷だらけの顔で。

「……聞こえてるよ。耳も脳も、ちゃんと機能してる。あんたが、手加減してくれたおかげで」

「バーレッド、おぬしが、この廃墟の町、お前の故郷を思っての行動は、わしの心にも痛いほど――」

 バーレッドは、わずかに右手を上げ、時雨の言葉を制した。

「あんまり叫ぶなよ。時雨」

 バーレッドは、顔を動かし、空を見上げた。あいかわらず、時雨とバーレッドの頭上を旋回しながら睨みつける、時雨の相棒の錦鯉。
 
 そんなに睨んで。あーあ。俺、悪者みたいじゃんよ。

「ちゃんと機能してるから。がんがん響くんだよ」

「……ひどく痛むのか。大丈夫か、バーレッド」

 バーレッドは、自分の主人に忠実な錦鯉を、瞳に映し続ける。

 あいつ、主人を傷つけた俺を恨んで、食いつきそうだよなあ。

 食いつく、と考えたとき、いや、吸いつくか、あの口じゃあなあ、と考え直し、錦鯉の大きな口に頭から吸い込まれる様を想像して、思わず苦笑した。

「このありさま。お互い、あんまり大丈夫じゃねーだろ」

 そう呟いてから、全身負傷しているというのに、普段通りの調子で頭の下に両手を回そうとし、襲ってきた激痛に顔を歪める。

 なにやってんだ、俺。

「あーあ」

 仰々しい、いかにも、といった様子の落胆の声を上げた。

「ほんと、響くんだよ。むかつく」

「バーレッド」

 心配そうに、覗き込む時雨の金色の瞳。まっすぐ、バーレッドを見つめる。
 いたたまれず、また空に視線を移す。

 まったく。昔と変わんねー目をしてんな。こいつは。

 旋回し続ける錦鯉。
 青空の中、世界に新しい風を送るように、錦鯉の尾びれがひらりと空を蹴る――。

「響くんだよ。お前の声は、いちいち。俺の心に」

「バーレッド……!」

 んだよ、俺の名を飽きずに呼び続けやがって――。

 うっかり時雨のほうを見る。大きな時雨の瞳が、みるみる強い輝きを宿していく。

「きらきら目ェ輝かせてんじゃねーよ。女子か」

「わしの気持ちが――」

「だから、女子かっ」

 バーレッドは、ちぇっ、と舌打ちする。それから、低い声で、小さく呟いた。

「わかりやすく喜んでんじゃねえ」

「喜ぶとも……! わかって、くれたのだな……! 誤解を解いてくれたのだな……!」

 なんだかしゃくだな。今日までの俺の怒り、恨み、思い、どーしてくれるんだ。

 バーレッドは、もう一度深くため息を吐き出す。

 逆恨みだよな。それじゃ。

 白い錦鯉の腹が、長く大きな雲のようだ。

「まあ……。九郎にもしっかり攻撃しちまったし、あんたもそれなりにボコったし。この借りは、大きいよな」

 あーあ。だせえ。ただの勘違い男かよ、俺。

 でも、と思う。

 でも――。俺が弱くてよかった。時雨を、九郎を、殺さなくて、よかった――。

 時雨は、首を振っていた。大きな瞳に、涙さえたたえている。

「借りなどということは、別に――」

 気にしてないというつもりか。ちくしょう。どこまで正義の主人公感出す気だよ。

 バーレッドは、今考えていることを一気に話すことにした。

 小出しにしたり、後出しするのは余計だせえからな。言うときは一発、一回きりだ。

「バーレッド。わしも、九郎様も、おぬしを――」

 わかってるよ。あんたらが昔と変わってないこと、飽きるほど、聞いたからな。

 バーレッドは時雨の瞳をしっかりと見つめ――、それから一気に言葉を続けた。 

「俺の力、使ってくれ。どうとでも。どうせあんたの手加減で生かされた命だ。この命、あんたにやるよ」 

 ぎょろ目に、ハッとする。錦鯉が、いつの間にか時雨の反対側、バーレッドの顔のすぐ近くにあったのだ。

 なんで、錦鯉が反応――。

「こいつ、おめーの感情に、リンクしてんの?」

 思わず錦鯉を指さすバーレッド。魚の目に宿る、きらきらとした輝き。

「ありがたい……! バーレッド……!」

 という時雨の声が聞こえると同時に、バーレッドの頭に錦鯉の口が吸いついていた。

「いらねーよ、感謝の接吻!」

「わしのよりは、いいだろう」

「まあそりゃあ……、どっちもどっちだ!」

 時雨の盛大な笑い声に、バーレッドは大きく舌打ちした。
 
 まったく、だっせえ……!

 錦鯉の熱い接吻を、時雨は止めようともしない。

「あーあ。自慢の赤毛が、よだれだらけになるじゃんかよ」

「気に入られたようだな」

「くそ、笑ってないでなんとかしろよ、時雨ー!」

 青空高くいつまでも、時雨の笑い声とバーレッドの悪態が響いていた。


 お金。貴重品。スマホ関連。それから着替えやコスメやなんやかや。

 会社への長期休暇の理由と届け出方法を考えながら、陽菜は必要最小限の荷物をカバンに詰めていく。

 しばらく、家には戻れない――。

 カバンのファスナーを閉める音が、しっかりと耳に響く。陽菜は、最後の覚悟を決めた。
 
 ああ。そうだ。

 ベランダを、振り返る。
 まだ芽吹かない、ミニトマトの鉢とラディッシュの鉢。
 陽菜はそれらの鉢にそれぞれ、百円均一の店でなにかのついでに購入しておいた、留守中水やりできるという自動給水器を差した。
 ぎゅっ、と手に跳ね返る、土の感触。少しだけ、心が落ち着くような気がした。

 一応こんなのもいるかな、って思って買った自動給水器。こんなに早く使うことになるとはね。ごめんね。種ちゃんたち。帰ったら――。

 いったいいつ、帰れるのだろう。心細い気持ちを振り払うように無理に笑顔を浮かべてみる。

「帰ったら、ちゃんとお水をあげるよ。だから、早く地面から出ておいで」

 玄関のほうへ向かう。

「大丈夫か。陽菜」

 九郎が、心配そうに見つめる。

「うん。行こう。九郎」

 とはいえ、どこへ行けばいいのか、見当もつかない。ただ、家にいるのは危険、それだけは確かだった。
 行先の決まらぬまま、二人は扉を開けた。


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