【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 第11話
第11話 なにやら、出発の遅れ
異世界から来た怪物と、戦うための旅立ち――、のはずだった。
「こんにちは」
陽菜が玄関の扉を開けた途端、膨らんだエコバッグを持った買い物帰りらしき、アパートの隣人の奥様と遭遇、気持ちのいい挨拶をされる。
「こ、こんにちは」
覚悟を決めたところに、いきなり迫り来た「日常」の洗礼。陽菜は大急ぎで「いつもの笑顔」を引っ張り出し、「普通の挨拶」を返す。
と、いうか。世の中はフツーに「日常」なんだよな。
陽菜は顔に笑顔を張り付けつつ、刀を持つ右手を急いで後ろに隠した。そして、その場に立ち止まることで後ろの九郎が外に出れない状況を作る。
「陽菜。どうした」
陽菜の態度を不思議に思ったのか、九郎が尋ねる。
「しっ!」
振り向きながら、人差し指を自分の唇にあて、九郎に黙っているよう合図をする。
隣の部屋に入っていく奥様を見送ってから、陽菜も玄関に戻りドアを静かに閉めた。終始黙って笑顔を決め込んだまま。
「いったいどうした。陽菜。これから、出発しようとしていたのではないか」
陽菜は髪を揺らし、九郎のほうを振り返る。
「刀! それと九郎自体! 目立ち過ぎ!」
九郎は一瞬目を大きく見開いたが、
「ああ、確かに」
秒で理解した。
「このまま外に出たら、この世界の住人の目も、魔族の目も引くな」
九郎の住む世界の服は、かなり異質で、この世界の「日常」の中では浮きまくること間違いなしだった。
「九郎、まずはええと――、そうだ! 待ってて。私がとりあえず、九郎の着る服を買ってくるから」
「それには及ばん」
あっという間に、九郎はネズミの姿に変身した。
「あっ、なるほど。そうやってカバンの中に隠れていればいいか」
納得しつつ、ちょっと既視感。異世界から来たネズミと行動を共にする戦うヒロイン、それは――。
なにか――、魔法少女とそのマスコットみたいだな。
そのとき陽菜は、子どものころ夢中で見ていたアニメーションを思い出していた。
「私の服は、道中買ってくれ」
「う、うん。九郎の件はひとまず解決」
陽菜はうなずくと、カバンのファスナーを開けた。ネズミの九郎はすぐさまカバンに入り、ぴょこんと顔を出す。
「しかしこの姿のままでは、いざというとき遅れを取る。服は早急に欲しいところだ」
「わかった。で、明照は?」
刀、しかも抜き身のままではあまりにも物騒だ。
「種に戻すの? でも、それじゃあ失くしたり探すのが大変だったりしそう」
九郎が、ピンクの鼻先と長いひげを動かしながら答える。
「私や時雨、術を使える者なら、特殊な武器を空間から自在に出し入れできるのだが。明照も、空間に隠せる特殊な武器。陽菜。心身を鍛錬し、術を覚えるか?」
通常数年かかるが、素質があれば数日でできるだろう、と九郎はとんでもないことを言ってのける。自分に、そんな素質があるとは――、到底思えない。
「素質って、なに」
「物体の本質を正確に捉える目と、深い精神統一。それから、強い念の力と、愛されるお茶目な心」
「愛されるお茶目な心って、なに!?」
「大事だぞ。神秘の存在から、見えない助力がもらえる。そう私は信じている」
お茶目な心、九郎の主観か。
お茶目はまあよしとして、他が無理な相談だと思った。
「無理でしょ」
むう、とうなり長い尾っぽを揺らしていたが、すぐになにか閃いたのか、九郎は顔を上げ、大きくつぶらな瞳を輝かせた。
「そうだ。明照の刃の部分は、魔族以外の物体に刺せば、融合する性質。なにかに刺しておくといい。柄だけならそう目立たないだろう」
「あっ、そうか。あの植木鉢に刺さってたみたいに?」
言われて陽菜は、最初明照をベランダで目撃した状態を思い出す。
そっか。あれは、育って生えてきた姿ではなく、土と融合してる状態だったのか。
なるほど、と思いつつ、陽菜は部屋の中、明照を刺しておく物体を探し始めた。
土付き植木鉢は不便すぎるし、ええと。なにがいいかな。まさかぬいぐるみじゃ、猟奇的だし。
さすがにかわいらしいぬいぐるみは、気が引けた。
持ち運びが楽で、かさばらず、軽いもの――、考えるとなかなかしっくりくるものが見当たらない。
「いっそこのカバンで、よいのではないか」
九郎は、カバン本体に刺してしまうことを提案した。カバンが、そのまま鞘となる形だ。
「あっ、なるほど。カバンは常に持ち歩かなきゃだし、ちょうどいいか」
ぶすり。
陽菜はためらいもなく、カバンの側面に明照を突き立てた。ネズミの九郎が入ったまま――。
「それでいい」
ゆるやかに融合しているだけ。カバンの中身にも、九郎にも影響はない。わかっている。わかってはいるが。
頭の中で、勝手に流れるファンファーレ。
イリュージョン……。
陽菜は、美女が入った箱に剣を突き立てる手品を、思い出していた。
「さあ、改めて出発!」
気を取り直し、ドアを開ける。
「こんにちは」
ふたたび先ほどの奥様と鉢合わせる。ちょっと面食らう陽菜に、奥様は、
「ちょっと、買い忘れがあって。いやあね。家に着く前、もっと早く思い出せばいいのにね」
と、陽菜に笑いかける。
「あ、ありますよね。そういうこと。買い物あるあるですね」
奥様は陽菜の大きめのカバン、突き出た柄に視線を止める。
「陽菜さん、これから旅行にでも?」
柄のせいで、完璧に変なデザインと化したカバンへの疑問を持っただろうが、さすが大人の対応、用途不明の奇抜なデザインの疑問は、口に出さないようだ。
「あ、はい。行ってきます」
「いいわね。あっ、別にお土産の催促じゃないわよ」
なんて言ったら逆に催促してるみたいね、と屈託のない笑顔の奥様に、陽菜は乗っかり冗談で返すことにした。
「……なにがいいです?」
「えっ、リクエスト? なあんて、冗談よ、ほんとに。もらったら、かえって困るわ」
笑い合う。
奥様の後をついて歩くように、アパートの階段を降りる。九郎は、カバンの奥に入っているようだ。
「気を付けて。楽しんできてね」
「ありがとうございます」
会釈をし、奥様とは違う方向へと歩き出す。
気を付けて、か――。なんだか、お話できてよかった。
きっと、なにげない隣人の挨拶。それでも、自分を気遣う言葉が嬉しかった。
陽菜の心に明るさが灯る。健全な日常に、救われる思いがした。
「まあ、バーレッド!」
バーレッドの案内に従い、空飛ぶ錦鯉に乗った時雨とバーレッドは、木々に囲まれた集落に辿り着いた。
宝石のついた装飾品を全身に身に着けた女性が、傷だらけの二人を見て驚きの声を上げた。
「大変。治癒の魔法を」
銀色の長い髪を結い上げ宝石のついた髪飾りで留めた、神秘的な銀色の瞳の若い女性だった。
彼女の宝石は、彼女の匂いたつような美しさを引き立てるためのものではなく、魔法の力を増幅させるためのものだった。
「頼む。ミショア。この男にも、治療を」
バーレッドにミショアと呼ばれた女性は、うなずく。
ミショアは、大きく息を吸い、それから大きな宝石のついた杖を持ち、バーレッドと時雨、二人に向け杖をかざし呪文を唱えた。
「愛の精霊、神聖なる魂の器を、偉大なる力で癒したまえ。祝福と、活力、正しき波動をこの者たちへ」
きらきらと、光が二人の全身を包む。魔法の時間だった。バーレッドは、目を閉じていたが、ゆっくりと目を開き、ミショアを見つめた。
「ありがとう。助かった」
「今、お薬をご用意します。まずはお二人とも、中に入って、お休みになって」
「いや。そんなに時間はない」
「え」
ミショアは、大きな瞳をさらに大きくさせた。
「誠に世話になった。このご恩、決して忘れませぬ」
時雨もミショアに深く頭を下げ、心からの謝意を表した。
バーレッドと時雨は、揃って錦鯉に乗ろうとした。
「いけません! 大人しく治療されてください!」
え。
細身の体に、どこにそんな力があるのか。ミショアはバーレッドと時雨、二人の襟首を掴み、引っ張っていた。
「ミ、ミショア」
「患者さんは、勝手な行動を慎んでください!」
ぐいぐいと、引っ張る。
「いや、でも、もうおかげで俺らは動けるし――」
「いけません!」
ミショアは、自分の腰に両手を当て、二人を叱り飛ばした。
顔を見合わすバーレッドと時雨。
「休んでいってください!」
数分後、並んで椅子に座り、大人しく薬草茶をすする二人の姿があった。
「バーレッド。ミショア殿とは――」
ミショアが家の奥に引っ込んだのを見計らい、時雨が尋ねる。
「怒ると、こええ女だ」
たゆたう湯気。
時雨は、返事を差し控えたようだ。
ミショアの家の前で待機する錦鯉。
錦鯉は、大地に体を長々と横たわらせる。
どうやら、昼寝することに決めたらしい。
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