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【創作長編小説】悪辣の魔法使い 最終回

最終回 新しい旅の目的

 世界を二度滅ぼしたという、伝説の怪物ウォイバイル。
 雪白山せきはくざん。ここに、その怪物が眠っている。
 怪物が目覚めたとき、世界は――。


 重い雲のたちこめる空だった。強い風が吹き荒れたあと、やがて晴れるのか、雨になるのか、どちらともつかない。
 やがて雲間からのぞくのは、陽の光なのか稲妻か――。
 元精霊のルミが、竪琴を奏でようとした。今、眠れる怪物を、力づくで起こすために。

「ああ。ルミ。すまない、やはり少しだけ待ってくれ」

 先ほど、ルミに竪琴を弾くよう頼んだ張本人の魔法使いレイオルの言葉が、ルミの可憐な指を止める。

「ケイト。レイ。ふたりとも、ルミのそばから離れないように」

 レイオルは、ルミの傍に魔法使いケイトと小鬼のレイがいるように指示した。
 それから、拾った木の枝で地面になにかを描き始めるレイオル。それは、ルミのいる場所を中心に、ルミ、ケイト、レイの三者を大きく囲むような円だった。

「ちょっと! これ、守護の魔法陣、護りの結界じゃないの!」

 円の中の内側に書き込まれていく魔法文字を見て、ケイトがその円の意味に気付く。

「そうだが?」

 なにか問題でも、といった感じでレイオルがケイトに訊き返す。魔法陣を作成する手は止めずに。
 
「ルミとレイはともかく、私は戦える――!」

 女だから、魔法使いとして未熟だから、戦線から外すのか、そうケイトの燃えるような瞳はレイオルに訴えかけていた。
 レイオルは魔法文字を書き続けながら、

「いや。ケイトは中から結界の力を強めていてくれ」

 と、ケイトが魔法陣の中にいるべき理由を告げた。

「でも――!」

 レイオルはそこでようやく書きかけの魔法陣から顔を上げ、ケイトの瞳をまっすぐ見つめた。

「ケイト。お願いだ。ケイトとルミが大事なのはもちろん、レイ。レイを守りたい。レイは、世界の希望なんだ」

 え!? 俺のため……? 俺が、世界の希望……!?

 レイオルの言葉に、レイは動揺した。
 ケイト、ルミ、剣士アルーン、鬼のダルデマ、魔法使いライリイ。皆の視線がレイに注がれる。
 レイは、自分の身が引き締まるような気がした。

「勝つために攻撃も大事だが、防御はそれ以上に大事だ。そしてそれはやつに対する防御だけではない」

「え? やつ以外の防御って?」

 すぐさまアルーンが尋ねる。
 後半のレイオルの言葉の意味は、現時点では一名以外、意味を測りかねていた。
 レイオルはアルーンに微笑んだ。とても優しく、穏やかな笑み。アルーンの問いには、答えぬまま。

「……ところで、ライリイ。以前の約束、覚えているな?」

 レイオルは、ライリイのほうに顔を向ける。

「ああ。安心しろ。もちろんだ」

 ライリイはうなずいた。レイオルに謎めいた笑みを送ってから、ライリイは隣に立つダルデマを見上げた。

「ダルデマ。私で無理だったら、お前さんに頼むよ。汚れ役だが、構うまい……?」

「なんの役でも、おまえたちの頼みごとなら俺は厭わん」

 そう答えたダルデマも、レイオルとライリイの頼みごとについて、よくわかっていない様子だった。

 レイオルとライリイの約束って、なんだろう……?

 レイは、首をかしげた。
 のちに、わかる。選択のときは、嫌でもやってくる。



 美しい竪琴の音が鳴り響く。
 なにごとも起こらなかった。ルミの奏でられる曲は、あの一曲しかなかった。ルミの記憶の悲しさと、ささやかな喜びとの入り混じる、古い祭りの音楽。
 のびやかな音色がひときわ大きく盛り上がり、次に静けさという収束へと向かい始めたそのとき。
 地面が揺れ始めた。最初はかすかに、そして次第に大きく。

「来る」

 レイオルがそう呟いたとき、もう立っていられないほど大きく大地は脈動した。

 ガアアアアアッ……!

 すさまじい雄叫びと共に、岩を割って怪物が姿を現した。
 
 怪物、ウォイバイル……!

 レイは空を見上げた。巨大な怪物は、地中深くから現れたと思うや否や、あっという間にもう空にいた。
 一瞬レイが掴んだ怪物の情報としては、光る四つの目、大きく裂けた口を持つ頑強そうな顎、鱗に覆われた長い体、等間隔に並ぶたくさんの足、それから長い尾。正直、どこからが胴でどこからが尾かよくわからなかったが、とりあえず足が並んでいないところは尾なんだろうなあ、と思った。

「ちっ……、でかい図体の割に、なんちゅー速さ……!」

 剣の一撃も浴びせられなかったアルーンが、無念そうに舌打ちをした。
 ダルデマは、風を率いて空へ向かった。
 レイオルが、叫ぶ。

「魔の力。解放する……!」

 え。

 レイは、驚きで大きな瞳をさらに大きくさせた。レイオルが叫んだ途端、レイオルの背に、黒く大きな翼が生えたのである。そして、レイオルの手には青く光る剣が握られていた。

「レイオル――!」

 レイオルも、あっという間に空へ飛んで行った。レイオルを呼ぶ、レイの声など聞こえなかったかのように。

「アルーン。お前さんは、そこで物理的な攻撃から魔法陣の皆を守っていてくれ」

 そう言ったのはライリイ。ライリイの手にも、赤い槍が握られている。ライリイは、槍の先で自分の腕に傷をつけた。

「ライリイ! なにを――!」

 この前の温泉での、ライリイの魔法の様子を見ていなかったアルーンは、激しく動揺した。ライリイは、驚くアルーンを意に介さず、

「我が荒ぶる血、我を天へと導き給え」

 と呪文を唱えた。流れ出るライリイの血は、ライリイの体から少し離れて全身を包むような不思議な動きを見せ、それからライリイの体が宙に浮く。

「ふふ。我が鼓動を動力にする、有限決死の飛行術さ……!」

 ライリイも、ウォイバイルを追って空へ消えていった。
 空が明滅する。おそらく、空高くウォイバイルとダルデマ、レイオル、ライリイが激しい戦闘を繰り広げているのだろう。
 熱いものが、レイの頬にかかった。

 血……! 誰の……!?

 誰かの血。空で戦う、誰かの。断続的に音も聞こえる。叫び声、激突するような音、金属のような音――。

 角笛……! 角笛を出さなきゃ……!

 レイは、レイオルの教えてくれた方法で、空に大きな四角を描いた。

 レイオルが空に隠した、角笛を取り出す魔法――! それを、教えて……!

 レイオルの言った通りだった。レイにも見えた。レイにも読めた。呪文が。
 レイの目には、はっきりと呪文が見えていた。

『レイ。少しでも長く、生きるんだぞ。絶対に私だけでは得られなかったたくさんの思い出、ありがとう』

 こんなの、呪文じゃないじゃん……!

 レイの頬に、こぼれ落ちる熱さ。それは、空から雨のように降る血ではなかった。
 レイ自身の涙だった。
 レイは叫んだ。ちっとも呪文らしくない、レイオルの秘密の呪文を。
 呪文を唱え終えてから、空に向かって叫ぶ。

「レイオルーッ! 角笛、今吹くからね……!」

 レイの手には、解放された角笛があった。



 意識がところどころ飛ぶ。
 レイオルは、自分の体の変容に気付いていた。ライリイとダルデマに指摘されるまでもなかった。

 ああ。私は本当に人間を卒業できたのだな。

 体が軽かった。難なく飛んでいられた。風の抵抗が少ない。
 だって、顔はもう流線型だった。長い髪はたてがみに、尻からはバランスが取れる立派な尾が生えていた。
 鱗ができていて、ウォイバイルの牙も爪も、跳ね返してくれていた。
 変わってしまった裂けた口のせいで、呪文は唱えられないのが残念だった。まあ、意識も時折空白になるので、口だけのせいではないが。できなくなった魔法攻撃も、代わりにライリイがやってくれているから、よしとしようと思った。
 ダルデマの左腕がなくなっている。ライリイの右足も。彼らの勢いがそれでそがれることはないようだったが、戦闘は長引かせられないと思った。
 それから、ウォイバイルのやつが急降下して魔法陣のほうへ向かおうとするのも気がかりだった。速度が速く、何度か地面すれすれを飛行していた。その都度、アルーンの大剣が防いでくれていた。
 レイが角笛を吹こうとする姿が見えた。よかった、と安堵する。しかし、迫りくるウォイバイルのせいで、何度も転倒、なかなか吹けないでいるようだった。

「レイオル!? レイオルなの!?」

 ケイトがびっくりしているようだ。女性にはこの姿、酷だろうとは思ったが、どうせ最期だし見た目のショックくらい我慢してもらおうと思った。
 いい加減、頭に来ていた。
 そろそろ、終わらせたいと思った。気付けば、腹の辺りが食い破られているし、意識が飛ぶ頻度も増えてきている。

 ガッ……!

 腹を食われたおあいことして、やけくそに噛り付いた。もちろんこれは、予定より早く目覚めさせ、ウォイバイルを不完全な状態にしたおかげと、ダルデマとライリイの間髪入れない攻撃のおかげである。ようやく、食うことに成功した。
 世界を食いつくした怪物を食いつくす。なんと痛快な仕返しだろうか。
 無心に喰った。引きちぎり、むさぼる。誰かが、叫んでいるような気がする。懐かしい響きを聞いたような気がする。

 レイオル。

 ええと。誰のことだっけ。
 
 食うな! ウォイバイルの魔のエネルギー、それは食ってはだめだ……!

 ええと。なんのことだ?

 お前が世界を滅ぼす気か……!

 赤い槍。赤い槍を持った男が、向かって来ようとしていた。

 私が、お前を滅ぼす。約束通り――。

 赤い槍の男が、迫る。

 人間。人間を殺すなど、実にたやすい――。

 笑う。きっと、こんな壊れやすいか弱い生き物など、次の瞬間にはすっかり胃袋の中――。
 不意に、音楽が聞こえてきた。

「とてもいい音楽だね」

 しゃべれないはずの口で、そう呟いていた。
 今度は、異なる音がした。
 角笛。角笛の音だった。
 レイオルは、見た。三本の角を持つ、少年の姿を。



 時間。空間。物質。

「レイオル……! ああ! だめだよ、レイオル……!」

「レイ……」

 純白の空間だった。
 そこに、レイとレイオル、二人だけがいた。

「ここは、まさか――」

 レイオルは、戸惑う。自分の姿は、元通り人間の姿だった。

「たぶん、角笛が、作った時間と空間だよ」

 レイは涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。レイは、レイオルを抱きしめていた。

「ああ。なるほど。だから元の姿、怪我もないのか」

 角笛がレイから引き出したのは、時間と空間を創り出す力だったのだ。

「ひどいよ、レイオル――! ライリイさんを、殺そうとするなんて――!」

 レイの声で、途切れがちの意識、記憶が繋がっていく。
 レイオルは、ウォイバイルの肉を喰らい、ウォイバイルを倒し、そしてその魔のエネルギーまで取り込もうとしていた。
 そして、約束通りレイオルの暴走を止めようとしたライリイを、レイオルは殺そうとした。
 ルミの竪琴で一瞬正気に戻ったところで、レイの角笛。それでこの空間に入ったようだ。

「じゃあ、みんなは無事なのか」

「うん。ライリイさんも、他の皆も、怪我はしてるけど大丈夫」

「ありがとう――。よかった――」

 全身の力が抜けた。

「私は、悪い魔法使いだな」

「え?」

「小鬼を、こんなに泣かせるなんて」

「レイオルだって、泣いてるくせに――」

 抱き合い、泣いた。
 この空間を出たら、時間が動き出したら、自分は死んでいるのだろうとレイオルは思った。
 でも、悔いはなかった。
 だって、世界は続いているから。
 皆が無事だから。
 
「ありがとう。レイ。本当に」

「ありがとうなんて、言わないで。最期みたいなこと――」

「最期くらい、言わせてくれ」

 小鬼の心に傷を負わせて、つくづく悪い魔法使いだな、と思った。



 誰かが、髪をとかしてくれている。

 これは、いいもの。きっと、銀の櫛。

 レイにもらった、魔力を高める銀の櫛だろうと思った。実際、一櫛ごとに力がみなぎるよう――。

「生きてる」

 ぱちっと、目が覚めた。
 
「よかったー! レイオルが、目覚めたよー!」

 すぐ傍で、レイの明るい声。レイの手には、銀の櫛。やはり髪をとかしてくれていたのは、レイだった。

「ここは――」

 角笛の空間ではなかった。天井があった。

「レイオル……!」

 順番に、見知った顔が訪れる。アルーン、ルミ、ケイト、ダルデマ、ライリイ。

「本当によかった……! レイオル、半年も眠っていたのよ」

 ケイトの声に、目が点になる。

「半年ーっ!?」

 なんと、レイオルは半年も深い眠りにあったのだという。

「レイオルを目覚めさせる、それが俺たちの次の旅だったんだ」

 アルーンの話によると、あれから半年、レイオルを目覚めさせるための旅を、皆でしていたのだという。

「ええ!? べ、別に皆で旅をすることなかったんじゃ……」

 レイオルが体を起こしかけたとき、ライリイがレイオルのおでこに軽くチョップを入れた。残念ながらライリイの右足は失われていた。しかし、顔色も表情も明るく、体調はよさそうだった。

「魔法医や魔法薬、いろんな秘術、各地を巡って探したのだぞ」

 五頭の饅頭子を引き連れ、国々を歩き回ったそうだ。

「饅頭子!? 彼らもいるのか!?」

「うん! みんな、すぐ戻ってきてくれて、それから一緒だったんです」

 ルミが、にっこりと笑う。

「レイオル」

 青年の姿に変身したダルデマが、笑いかけていた。ダルデマも、左腕はないままだった。

「ダルデマ。お前もなぜ一緒に――」

 目的は果たせた。どうして半年後もダルデマがいるのか、疑問だった。

「俺はもっと人間のことが知りたくなってな。だから、レイオル」

 皆、笑顔でレイオルを見つめている。

「これからはレイオルも、俺と一緒に、人間を知る旅をしようじゃないか」

「『俺と一緒に』じゃないよ!」

 ダルデマの言葉を、レイが訂正した。

「俺たちと一緒に、だよ!」

 レイが、レイオルに飛びついていた。
 いつまで、続くかわからない。
 それぞれに、進むべき道、時間があるから。
 饅頭子たちは、故郷を目指すに違いない。
 ライリイは気ままな商売を再開させたいだろうし、アルーンとケイトは、きっと二人だけの時間を大切にしたくなるだろう。いつかルミも自分の望む暮らしを見つけたくなるだろうし、ダルデマも自由に野山を駆け巡りたくなるだろう。
 レイだって、小鬼族として生きたいと思う日が、きっと――。

 私は、ずっと一人だった。子どものころから、ずっと。私には、もう故郷はない。帰るべき家も。私だけが、ずっと一人――。

「レイオルは、愛されているねえ」

 ライリイの声に、顔を上げる。ライリイは、微笑んでいた。

「みんな、今は一緒にいたいんだから、それでいいんじゃないか?」

 ライリイの手には、湯気の立つカップ。レイオルのために丁寧に淹れた、薬湯。

「契約なんてなくても、皆お前さんの傍にいたいのさ」



 饅頭子の背に揺られつつ、レイは、笑う。

「レイオル! 次はどこを目指そうか?」

「温泉が、あるところがいいな」

 やったー、皆の歓声が上がる。
 アルーンの地図によると、次の町まで少し距離があるらしい。

『元気、勇気、根気』

 レイは、自分の三つの角について考える。

 レイオルが元気なら、勇気が出るし、根気も出るんだ!

「町まで遠くても、晩ご飯までまだまだでも、全然平気なんだあ!」

 あの戦いとその後の回復のために、レイオルの今までの人生で取り込んできた「魔のエネルギー」は、すべてなくなったのだという。魔法力が激減して、レイオル自身は落胆していたようだが、レイは密かに喜んでいた。

 人間の素敵なエネルギーで、満タンになればいい。体の中から、ぽかぽかになって欲しい。

 レイは、宿屋のふかふかの布団と、じっくり煮た煮豆の一鉢を想像し、顔をほころばせていた。
 きっと、人の暮らしや手作りのもの、笑顔なんかがレイオルの新しい力になると信じて――。

「晩ご飯まで、待てるのか? レイ」

「うん! おなかいっぱい、食べようね! レイオル!」

 町があると思われる遠景に、雲間から梯子のような光が降り注いでいた。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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