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【創作長編小説】異界屋敷不思議譚 第二話

第二話 出会えてわくわくの、素敵な贈り物

 風とか、引力とか。

 翔太は、空飛ぶ動物「雪夜丸ゆきよまる」に楽々と乗っているべにの横顔を、不思議だなあと見つめる。
 横顔――。紅は翔太の前、横向きに座るようにしていた。しかも片手に閉じた和傘を持ち、もう片方の手はただ添えるだけにしている。どうして紅という少女は、雪夜丸の背に腰かけていられるのか――。

 さっき、俺のことを「人の子」って言ってた。紅は、人じゃないんだ――。

 ぼんやりと紅を見つめていた。
 すると、翔太の視線に気づいたようで、紅は翔太に笑いかける。翔太は、紅の微笑みにちょっと慌てる。どうして慌てるか自分でもよくわからないが――恐怖心ではなかった――、落ち着かず視線が泳いでしまっていた。

「なんじゃ。翔太。必死になって雪夜丸にしがみつかなくとも、大丈夫だぞ」

「だって、落っこちちゃう――!」

 地面が遠く下に見える。髪が強い風に躍り、必死にしがみつかなければ、たちまち落ちてしまうに違いない。

「雪夜丸が、落ちないよう我らをくっつけておる。だから、手を放しても大丈夫なくらいじゃ」

「え? くっつけている?」

「ああ。磁石のようにな。自分の体に、引き付けるようにしている。雪夜丸の力のひとつじゃ」

 突然、紅は立ち上がる。

「ほうら、落ちないじゃろ? 翔太もやってみるとよい」

 笑いながら、とんでもないことを勧める紅。翔太は立ち上がりさえしなかったが、べったりと雪夜丸にしがみつくのをやめ、こわごわ普通に座ってみることにした。

「ほんとだ。平気みたい」

「わしは嘘は言わん! と、いうのは嘘じゃがな!」

 けらけらと笑いながら、紅は両手を広げ、雪夜丸の背の上、くるくると回って見せた。

 いくらなんでも、そこまではっ。

 どきどきした。落ちないかどうかのどきどき、そして、もうひとつのどきどき。

 ほんとに、ひとじゃないのかな……。

 全然怖くない。眩しい笑顔。ずっと前から友だちのような、それでいて謎めいていてうかつに近寄ってはいけないような、不思議な子――。翔太は、紅から目が離せなくなっていた。


「うわあ、お化け屋敷みたいだ」

 雪夜丸が降り立ったのは――、続く塀の中、大きな屋敷の縁側の前だった。翔太の率直な感想は失礼なものだったが、その言葉に相応しい建物の傷み具合、瓦屋根はところどころはがれ、縁側に穴があり、ぼろぼろの外観――、そもそもが立派な造りであるだけに、お化け屋敷然とした迫力があった。

「おや。お客様かな」

 すい、と屋敷の中から縁側へ、長い黒髪の長身の青年が現れた。長い髪を後ろで一つに結わえ、着流しを粋に着こなしていた。
 瞳は深い青色、涼しげな目元、鼻筋がすっと通っている。彫像のような美しさだったが、大きな口をしており、ニッと笑うと顔じゅうに広がる笑顔、たちまち親しみやすい印象に代わった。 

あお! この子は転んでしまって怪我をしておる。手当てを頼む」

 紅が青年に事情を説明する。青年の名は、蒼、というようだった。

「それは大変だ。ちょっと待て」

 蒼は、急ぎ屋敷の奥へ引っ込んだ。
 
「翔太。待っておれ。傷など、すぐに治るぞ」

 紅に促され、翔太は縁側に腰かける。崩れ落ちないかな、とひやひやしつつ。

「そうだ、わしは飲み物や菓子など用意しよう」

 あっという間に、紅も屋敷の奥へ行ってしまった。
 雪夜丸はのんびりと、少々丈の長い芝のような草の生い茂る庭に寝そべっている。

 なんだか、妙なことになっちゃったな。

 ちょっぴり血のにじんだひざこぞうに、目を落とす。痛みが、これは夢じゃないよ、と訴えている。
 ちゃんと帰れるのかな、そんなに時間は経ってないと思うけど、家で心配してないかな、大あくびの雪夜丸の口の中に視線を移しつつ、翔太は心もとない思いでいた。

「少年! そなたは運がいい! これは、新作の塗り薬だぞ!」

 先に、蒼が必要以上の大声で現れた。壺を、両手で抱えて持っている。そして、どんっ、と大胆に壺を翔太の横に置いた。

 縁側、抜けちゃう……! てゆーか塗り薬、でかすぎない!?

 ちょっとした切り傷に塗るとは思えない、大きく重そうな壺だった。

「包帯も、あるぞ」

 大きな口をめいっぱい広げ、蒼が懐から包帯を取り出す。

 衛生面も、ちょっと不安……。

 得体のしれない薬、体温であたたかそうな包帯、遠慮したい気持ちが俄然大きくなってくる。

「あ、あの、大丈夫――」

 と、言いかけたが、すでに蒼は壺に手をつっこみ、素早い動作で翔太の両ひざに手で壺の中身を塗り付けていた。
 
 大盛!

 ぎょっとする。塗り薬、大盛だった。白くふわふわ、なぜかバニラのような甘い香りがした。

「あと、包帯だ」

 塗り薬をのばすことなく、いきなり包帯を巻き始める蒼。辞退する間もなかった。あっという間にぐるぐる、そして、最後の包帯の結び目は、なぜか大きなリボンのような蝶結びになっている。
 しかし、蒼の包帯の問題点は、そんなことではなかった。

「両足ごと、包帯巻いてるんですが!」

 蒼は、左右の足いっぺんに巻いており、翔太の足は縛られているような状態に仕上がっていた。

「大丈夫。紅が届けてくれるから」

「届けるって――!」

 またも大きな笑顔。まるで説得力もない、そもそも説得する気もないような、でも点数をあえてつけるとしたら、間違いなく満点の笑顔だった。
 
「翔太、蒼、お茶と菓子じゃ」

 紅がお盆に、あたたかい飲み物と菓子を持ってきた。
 菓子はタルトの上に、大盛の生クリームのようなものが乗っていて、バニラの香りがしている。
 翔太の前に出されたお茶は、水色で炭酸のようにしゅわしゅわしていた。でも、柔らかな湯気が立っており、あたたかいお茶のようだ。

「べ、紅! 俺の足――」

 翔太は紅に蒼の蛮行を訴えようとした。

「よかったな。翔太。もう大丈夫じゃ」

 紅は驚くどころか、にっこり笑っている。そのうえ、

「蒼の新作塗り薬、試せる機会、思ったより早かったな」

 新作薬品の実験台――!

 恐ろしいことを平然と言ってのけていた。翔太、白目、である。

「私の薬は、よく効くぞ。もう痛みはないだろう」

 そんなこと、言われても――。

 痛みは感じなかったが、それどころではない。

「翔太。うまいぞ。食べてみよ」

 なんだかわからない食べ物と飲み物、危険すぎる――。

 紅と蒼は、笑顔を交し合いながら、もぐもぐ食べている。とても、おいしそうに。

「人の子」

 食べる口を休ませないまま、蒼が、穏やかな声で翔太に呼びかける。

「そなたは、こちら側に迷い込んでしまったのだな」

 え。迷い込んだ――。

 こちら側、迷い込む。やはりここは違う世界なのだ、と知らされる。

「ここは、ハザマの世界。あらゆるところに通じ、あらゆるところと違う。私と紅は、人ではない存在」

「ハザマの、せかい……?」

 そうだ、と蒼も紅もうなずく。

「不安定な入り口は、どの世界にもある。たまたま、そなたは不安定な入り口を見つけ、偶然なにかの力、なにかの手順を踏み、来てしまったのだろう」

 あの、自販機から十五歩めの道――。 

 偶然のなにかの手順、それが十五歩数えて歩く、だったのだろうと翔太は思いいたる。

「まあ、我らのいるこの地自体はなんてことはないが、住む世界の違うところに長居するのは、なにかと危険が伴うもの。菓子と茶で元気をつけたら、帰るとよい。紅が送るから」

 菓子と茶で、元気――。

 甘いバニラの香り、しゅわしゅわの水色茶。おいしそうに食べる紅と、蒼。ちょっと、食べてみたくなった。いつものおやつの時間を過ぎたころ、おなかもちょっぴり、すいていた。

 ちょっとだけ、ちょっとだけ、食べてみようかな。

 一口、食べてみる。

「おいしい!」

 真心こもった特別な贈り物の菓子のような、甘さも食べた感じもとても上品で、体の中に心地よくすうっと入ってくるような、とびきりのおいしさだった。一口ふくんでみたお茶は、ほんのり甘く薫り高く、しゅわしゅわな見た目なのに、ほっと心が落ち着くような、ちょっと大人の感じの飲み物だった。

「だろう? どちらもわしの好物じゃ」

 紅が笑い、蒼もうなずき微笑む。
 
「このお菓子とお茶、なんていう名前なの?」

 おいしさに感激し、紅と蒼の笑顔につられ、つい名前まで尋ねる。すっかりお菓子とお茶を気に入ってしまっていた。

「菓子が、『出会えてわくわくのキモチ』、お茶が『ご縁は素敵な贈り物』という名じゃ。今日のこのときに、なんだかぴったりじゃの」

 紅がもう一杯、とお茶を注ぐ。急須も風変わりな形で、まるで「ゾウさんのジョウロ」みたいだった。
 そよ風が通っていく。縁側から見える雲はもこもこで、生クリームのようだなあと見上げていた。


「それじゃあ、翔太。話せて楽しかったぞ。家まで、気を付けて帰るんだぞ」

 蒼が、ぐるぐる巻きの翔太を雪夜丸の背に乗せ、紅が一緒に雪夜丸に乗り送ってくれていた。
 蒼が、手を振る。

「もう、迷い込むんじゃないぞー」

 送った、といってもあの最初の、桃色の実の木が並ぶ一本道、どうやって帰るのか翔太にはわからなかった。
 そして、ぐるぐる巻きの包帯も。

「あの、紅……! 帰れ、と言われても――」

 紅に、問いかけていた。
 次の瞬間、ハッとした。

 あれ――?

 気が付けば――、通学路に立っていた。あの、野上商店の脇の自販機から、十五歩めの――。
 足元を見る。包帯もひざこぞうの傷も、嘘のように消えていた。

「紅――」

 紅の姿も、雪夜丸の姿もなかった。
 夕日に染まる景色。翔太はランドセルの肩ベルトを握りしめたまま、呆然と立つ。
 どこを見ても、振り返ってみても、いつもの通学路だった。

「戻ってきたんだ――」

 一歩一歩、確かめながら家へと向かう。夢じゃない、確かな地面の感覚。

「……新作の薬、バッチリだったよ」

 翔太は一人呟き、それから実験台になっていたことに吹き出してしまっていた。『出会えてわくわくのキモチ』、『ご縁は素敵な贈り物』の豊かな味わいの余韻に包まれながら。
 見上げればゾウの形の雲が、オレンジ色に輝いていた。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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