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【創作長編小説】異界屋敷不思議譚 第十二話

第十二話 次の日曜には

 玄関のほうが、やたら賑やかだ。

 誰か来たのかな。

 翔太は、冷蔵庫からサイダーを取り出す手を止める。客人らしき誰かと大声で話す母の声が、聞こえてくる。
 日曜の午後。お客さんの声は聞こえないが、聞こえてくるのは母の、まあまあ、とか、よく、とかいう単語。母の声のトーンが、通常より高い。
 耳に飛んでくる途切れ途切れに聞こえる言葉と、高いトーンの声。それらから考えるとつまり、母の言っていることは「まあまあ、遠いところから、よくいらっしゃった」というような内容になるのかな、と翔太はパズルのピースをあてはめるように推測していた。

 久しぶりの親戚の誰かが来たのかな。

「翔太ぁー、お友だちよー」

 え。俺?

 違和感。なぜ自分の「友だち」に対し、母の言葉が「まあまあ」、「よく」なのか。そしてさらに謎なのは、呼びかける母の声が、ちょっとよそいき、かつ裏返っている。

 これ、お母さんがいい感じに見せようとするときの声だ。なんで?

 首をかしげる。

 俺の友だちに、今更いい感じに思われる必要はないのでは。

 いったい誰が来たんだ、と少々疑問に思いつつ、冷蔵庫を閉め、はーい、と真面目に返事をした。そして、玄関へと足を運ぶ。改めて考えても、母が自分をよく見せようとつくろうような、たとえば華のある美少年とかなにかのお偉いさんのご子息とか、そんな友だちは心当たりがない。
 
 それとも、もしかしたら、俺の友だちの誰か、とんでもない素敵なおみやげ持参だったとか……?

 とんでもないおみやげってなんだ、でっかいお頭付きの鯛とかか、と自分で自分にツッコミつつ玄関を見ると――。

「あ」

 思わず、絶句。来客を見た途端、動きが固まってしまった。
 玄関に立っていたのは、べにと、なぜか見たことのない男の子だったのだ。

「こんにちは。お邪魔します」

 にこにこの、紅。いつものお化粧はせず、服も学校の女子が着ているような洋服を着ている。

 紅……!? いったい、どうして……!?

「こんにちはぁ。お邪魔しまぁす」

 隣の男の子は、なぜか紅の言葉を繰り返す。しかし、イントネーションが独特で、短い一文の音程が、意味不明に上がったり下がったりしていた。

 誰……!?

 ふっくらとした、とても体の大きな男の子だった。愛嬌のある顔立ちで、大きな顔の輪郭に、ちょっと大きめのパーツの目、鼻、口がぽんぽんぽんとバランスよく配置されている。一度見たら忘れられない、そしておっとりとした雰囲気が親しみやすく、思わずかわいい似顔絵を描いてあげたくなるような子だった。



 母さんは、女の子が遊びに来たから、ウキウキかつよそいきなんだ。

 大きな男の子はまあともかく、女の子が初めて家に来たのが嬉しかったのだろう。変な目配せをしつつ、母は笑顔で三人分のサイダーとおやつをテーブルに並べた。

「遊びにきてくれてありがとう。ゆっくり、していってね」

 そのうえ、母は紅の青い髪飾りをちらちら見ている。

 俺がこの前おみやげに買ったやつって、絶対お母さん覚えてる……!

 絶対、好きな子が来たって思ってるんだ、母親がそういった方面を勝手に想像していると思うと、恥ずかしさと苛立ちで、翔太は叫びたい気持ちになっていた。

 違う、そういうわけじゃ――。

 いつもと違う雰囲気の紅。スクエアネックのブラウスも、インディゴブルーのスカートも、とても似合っている。お礼を述べながら母に向ける、少しはにかんだ笑みも。

 チガウ、そういう……。

 翔太は、サイダーと一緒に叫びを飲み込んだ。しゅわしゅわとした透明な炭酸が、翔太のいらいらを洗い流す。まだ暑さの残るリビングに入ってくる心地よい風も、一緒になって翔太の感情をなだめた。
 紅と共に穏やかに進行している時間を、なぜか紅が家にいるというキセキを、壊したくなかったのだ。
 そして、お菓子に嬉しそうに手を伸ばす、謎の男の子。

 だから、誰……!?

「じゃ。お母さん、ちょっと買い物行ってくるから」

 ほどなく母は出かけて行った。休みが平日という父は、当然仕事だ。家の中は、翔太、紅、男の子の三人だけになった。

「君は、誰!? そして、なんで俺の家に――」

 今まで知りたかった疑問が、一気にあふれ出す。

「翔太君。僕、雪夜丸ゆきよまるだよぉー」

 は!?

 男の子はお菓子をもぐもぐいわせながら、もう片方の手で自分の顔を指差し、不思議なイントネーションで告げた。

「雪夜丸って……! 君、人間――」

 もふもふじゃない。どう見ても、人間。大きさだって、全然違う……!

 翔太はびっくりして説明を求めるように紅の顔を見た。紅は、驚く翔太の顔を見つめ返し、さも愉快そうにうなずく。

あおに作ってもらった薬で、変身させたのじゃ。どうじゃ、かわいいだろう?」

 椅子に座ったまま紅が、隣に座る雪夜丸の頭を撫でる。男の子になった雪夜丸は、えへへー、と笑う。

 嬉しそう。笑った感じといい、やっぱ、雪夜丸だ。
 
「あっ! 尻尾!」

 翔太は目を丸くして雪夜丸を指差す。笑ったタイミングで、ズボンのお尻の上から三本ある尻尾が一気に三本とも出てきていたのだ。でも、ここは翔太の家。とりあえず、出ていても問題ない、と翔太は思う。

「我らがどうして翔太の家に来たかというと、スベスベマンの大歓迎会の日時を伝えに来たのじゃ」

 え……。

 スベスベマンの大歓迎会。嬉しいはずの紅の報告。でも、そのとき翔太は戸惑っていた。
 三本の尻尾を振る雪夜丸の横、そう言う紅の微笑みはなぜか――、少し寂しそうに見えたのだ。

「結斗君にも、伝えてくれるか? 来週の日曜、翔太の世界の時間で、お昼前くらいに出てもらえば、ちょうどいい」

「う、うん。わかった」

 でも、なぜわざわざ紅と雪夜丸が家に……?

 この前のシン・お化け屋敷の改装報告のときは、リスの郵便屋さんが招待状を持ってきてくれていた。どうして今回は直接家に来てくれたのだろう、と翔太は不思議に思った。

 どうしてだろう――。

 開け放った窓から入る風。今日の気温は高めだけれど、真夏とは違ってずいぶん涼しい。
 グラスの中、サイダーの泡が弾ける。
 単純に遊びたかったから、そんな理由ではないような気がした。

「翔太たちは、ふだん家でなにをやって遊んでいるんじゃ?」

 身を乗り出す紅。先ほど垣間見せた影のある表情とは違い、目が輝き今にも駆け出しそうだった。

 え、ええと。

 思いがけない質問に、きらきらの瞳に、思考が一瞬停止する。

「家にいるときは――、ゲーム、かな」

「やってみたい!」
 
 はしゃいだ声の紅。

「やってみたぁい!」

 すかさず、雪夜丸。

「うん。いいよ」

 紅と雪夜丸は、元気よく両手を突き上げ、やったあ、と叫ぶ。
 楽しめるゲームはいっぱい。異世界から来た紅と雪夜丸に、なにを紹介しようかちょっと迷ったけど、カーレースのテレビゲームをやることにした。
 面白い、こういうものがあるのかあ、と感動した様子の紅。雪夜丸の尻尾も、ご機嫌だ。

「やった、やった、わしが一番じゃ!」

「まだわかんないよ、紅! ここからの追い上げがポイントなんだっ」

「紅ぃー、翔太ぁー、待ってー」

 一位と二位を争う紅と翔太。なんと周回遅れの雪夜丸。
 目まぐるしく画面が変わる。最後の障害物を、ジャンプして勝ったのは――。

「やっぱり、わしじゃあ!」

 勝者はゲームが初めての、紅だった。



「今日は本当に楽しかった。ありがとう。ゲームじゃなかったら、雪夜丸が一番速いんじゃがな」

 ちょっと落ち込む雪夜丸を、紅が励ます。とたんに、雪夜丸の顔が輝く。
 立ち上がり玄関に向かおうとする紅と雪夜丸。まだ、母は出かけたままだ。

「もう、帰るの?」

「ああ。雪夜丸の尻尾も出てるし」

 確かに、と翔太は思った。三本の尻尾を見たら、お母さんが大変だ、と翔太は笑ってしまった。

「翔太」

 紅は、まっすぐ翔太の瞳を見た。
 そして、しなやかな右手を翔太のほうへ伸ばした。

「これからも、友だちじゃ。ずっと」

 長いまつ毛に縁どられた目を細める、紅。伸ばされた手は、翔太の手を求めていた。

「うん……! もちろん……!」

 翔太は、紅の手を握る。思っていたより柔らかな感触に、ちょっとためらいつつ。

 紅の、手。

 勝手に熱くなる頬。翔太は、うつむく。
 手を、離した。紅の目を、表情を、見つめる勇気がないまま。
 
「翔太ぁ。僕も、友だち。ずっと」

 雪夜丸の声に、ようやく顔を上げた。
 雪夜丸と握手した。雪夜丸の大きな手のひら。紅と全然違う、と思った。

「じゃあ。また次の日曜」

 紅の細い肩の先、紅の黒髪が揺れる。

「うん。次の日曜」

 紅が扉を開ける。夕日が、飛び込んでくる。

「翔太ぁ。また日曜日ぃ」

 のんびりした雪夜丸の声。翔太はうなずき、ふたりに向け手を振った。

「また、家に遊びに来てな……!」

 翔太はふたりに声をかけつつ、急いでサンダルを履く。
 翔太が玄関の扉の向こうへ見送りに出たとき――、もうすでに、ふたりの姿は消えていた。
 玄関のアプローチにも、虫の声を乗せる夕風の中にも、ふたりのいた名残ひとつなかった。

 もう異世界に、帰っちゃったんだ。

 ため息と共に、扉を閉める。

 あっという間だったな。今度来てくれたら、ゲームだけじゃなくて色々外も案内してあげたいな。

 雪夜丸の尻尾には気をつけなきゃいけないけど、と心の中で付け足す。
 リビングの空のグラスだけが、楽しかった時間が本当だったことを証明していた。

 ほんとに、来てくれたんだな。

 ほんとに。なぜか、その言葉が翔太の心に引っかかる。
 紅の笑顔と同時に、少し寂しそうだった表情を思い出していた。

『これからも、友だちじゃ。ずっと』

 ぬくもりを思い出す。手のひらを、見つめた。
 夕日に染まる、がらんとしたリビング。なんだかいつもより、静かに感じられた。

「ずっと、友だち。次の日曜には、会える。そのときは、みんなにも会えるんだ」

 ひとり呟いてみる。その先だって、もちろんずっと、と。
 どこからともなく心の中にわきおこる不安を、打ち消すように。
 閉じられた扉は、沈黙を守っていた。

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