【創作長編小説】天風の剣 第64話
第六章 渦巻きの旋律
― 第64話 永遠へと続く洞窟 ―
大量の水しぶきを上げ、恐ろしい巨体が跳ぶ。
それは、天を目指す竜のようでもあった。
パールの伸ばした右手は、今にもキアランを抱えたシルガーに届きそうになる。
キアランは、炎の剣を構えようとした。
「キアラン。待て」
シルガーは、冷静にキアランを制す。
それからシルガーは、素早くキアランごと身をひるがえすようにし、パールの斜め前方へと飛行する。
ドドドドドンッ!
シルガーの放つ稲妻のような光線が、パールの白い胸元や腹部、そしてそこから続く灰色の体に降り注ぐ。
当たった……!
キアランが息をのむ中、パールは大きく弧を描き、いったん海中に身を沈めた。すさまじい音と共に大きな波が発生する。
パールが素早く上半身を海の中に潜らせた直後、半円を描くようにした長い尾の一部が姿を現す。そして、その半円を描く尾も滑るように海に入っていったあと、尾の先端が海上に露出した。
尾の先端は、まるでクジラの尾のような形をしていた。
バシャーン!
尾の先が海面を叩き、大きな水しぶきを上げる。
「キアラン。その体勢からの攻撃は無謀だ」
海中の黒い巨大な影の動きを目で追いつつ、シルガーが呟く。
「わ、わかってる!」
確かに、シルガーに抱えられている今は、まともに剣が振るえそうにない。
大きな音を響かせながら、ふたたびパールが姿を現す。力強く体を浮上させるその様子から、シルガーの攻撃によるダメージは、ほとんどないように見えた。
「なるほど! 顔が急所じゃないってのはわかったからね! 顔以外を狙うのね!」
シトリンはそう叫び、パールの上空斜め後ろを飛ぶ。
「えいっ」
光が走る。
「私は、頭のほうを狙ってみたー!」
シトリンの放った攻撃が、パールの頭部を直撃する。
ドンッ! ドンッ!
翠と蒼井も、それぞれパールの頭、首を狙って光線を発射する。
煙が上がり、衝撃を受けるたびにパールの金の髪が宙を踊る。
しかし、変化といえばそれだけで、パールの恐ろしく俊敏な動き、そして冷たく整った顔立ちの中の表情は変わらない。
「あらー。特に反応なし。急所はもっと違うとこみたいねー」
シトリンが、そう感想を述べたときだった。
「波のしぶきよ、花のつぶてとなって悪しきものを討て……!」
女性の、呪文を唱える声が空に響き渡った。
海がせり上がり、波が砕け、無数の花のようなしぶきが舞い上がる。
ドドドド……!
激しい水しぶきがパールの全身を打つ。
それは、魔法の杖によって増幅された、アマリアの魔法だった。アマリアの右手に握られた魔法の杖――シトリンの作った武器となるもの――が金色に輝いている。
空中に浮かぶ、アマリアとカナフの姿。
アマリアは、高次の存在であるカナフに抱えられ、カナフの翼によって駆けつけていた。
「アマリアさん……!」
キアランは思わずその名を叫ぶ。
「キアラン、俺らもいるぜ!」
ライネの声だった。
カナフとアマリアの隣に、ヴァロとライネの姿もあった。
ライネは、高次の存在ヴァロに抱えられている。
「アマリアさん! カナフさん! ヴァロさん! ライネ!」
キアランは、予期せぬアマリアたちの姿を見て、驚きの声を上げた。
アマリアさんもライネも、そしてカナフさんも――! 皆、無事だった……!
それからキアランは、気付く。
今までより鋭くなったキアランの感覚が、喜ぶべき事実を感じ取ったのだ。
アステール……!
カナフの腰に、天風の剣が差してあった。
懐かしい柔らかな光の波動を、キアランはしっかりと心に受け止めた。
アステール……! カナフさんが、アステールを連れ戻してきてくれたのか……!
「魔の王、風の刃をその身に受けよ……!」
ヴァロに支えられたライネが、呪文を叫びながら魔法の杖――シトリンによって作られたもう一つの武器となるもの――を振り下ろす。
ゴウッ……!
魔法の杖がオレンジ色に光り、突風が生まれる。そしてその突風は海へ到達すると、たちまち巨大な水の柱へと変わった。
水の柱は、竜巻のように回転しながら、パールの眼前に迫りくる。
パールが、にやり、と笑ったように見えた。
「なに……!」
パールは両手を伸ばし、水の柱を手のひらで受け止めていた。
「手で受け止めるだとっ……!?」
水の柱の中で、火花のような光が弾ける。パールの体は、ライネの魔法の水の柱に、押されているようだった。しかし――。
パールの巨大な尾が、海面を打つ。
水しぶきが一瞬巨大な水の壁となり、そして海上に落下する。弾ける水と、衝撃によりできた、もやのようなもの。もやの向こうで水の柱やパールがどうなっているのか、キアランは見極めようとした。
もやのヴェールの向こう、パールの青い目が光っていた。
水の柱は――、もう消えていた。
「本当に、君たちは色々なんだね――」
パールは、微笑んでいた。
「たくさんのエネルギー、楽しませてもらったよ……?」
日の光を受け、濡れて輝く白い体、金の髪。ゆっくりとした、穏やかな声。晴れ渡る青い空のようにパールの姿は変わりなく、その力に一片の影も見られなかった。
パールは笑う。そして――。
スッ……!
あまりに、自然な動作だった。
誰も、声を上げることさえできなかった。
パールが海を滑るように移動し、長くしなやかな右手を空へ伸ばす。
まるで大切に育てた花々をそっと摘むような、優雅な動き。その所作のせいで、一瞬、皆の理解が遅れた。
「きゃあ……!」
それは、アマリアの悲鳴だった。
パールの右手は、カナフごとアマリアを掴んでいた。
「なにをするっ……!」
キアランが絶叫する。支えているシルガーの腕の中で、アマリアとカナフを助けようと、キアランはもがいた。
そのときだった。
ふたたび、異変が起きた。
「うっ……!」
パールが高次の存在であるカナフを掴んだことで、爆発のような衝撃が発生した。
一瞬にして空は厚い雲に覆われ、暴風が吹き荒れる。海がうねり、雨が体を打ち付ける。
雷光が空を走る。しかし、雷だけではなかった。ビリビリと、まるで本当に体に電気が流れているように感じられた。
エネルギーがまた、激しく乱れている……!
ヴァロも、掴まれてしまった当のカナフも、エネルギーの調整を必死に試みているようだった。
「アマリアさん……! カナフさん……!」
キアランは叫ぶ。まるで喉が張り裂け血があふれ出るのではないかというほどに。
「アステール……!」
キアランが、炎の剣をパールに投げつけようとした、そのときだった。
「キアラン。待て」
シルガーの大声が、耳に届く。しかし、キアランの心はシルガーの声をはねつけようとした。
そんなキアランの様子を見抜いたのか、シルガーは、先ほどよりさらに声を張り上げる。
「下手に攻撃して、やつが彼らを握る手の力を強めたらどうするんだ!」
それは、キアランに言っているのと同時に、ライネやヴァロ、そしてシトリン、翠や蒼井にも伝える狙いがあるようだった。
「!」
キアランの、手が止まる。
「まだ、まだだ! キアラン!」
「しかし、このままでは……!」
「瞬間。必ず勝機があるはずだ」
「勝機の瞬間、そんなものが……!」
「今までだって、あっただろう……?」
今まで……?
「今ここに生きているというのは、そういう瞬間をすくいあげてきた結果だ。そうは、思わないか?」
シルガーの瞳は、揺るがない。
「信じることだな」
まっすぐ前を見続けるシルガーの横顔は、激しい嵐の中でも大木の幹のように揺るがなかった。
信じる……?
シルガーは、なにを信じているのだろう、とキアランは思った。自分自身を……? それとも自分ではどうすることもできない運命のようなものを……?
信じることで、なにかが変わるのだろうか……?
パールの手の中にあるアマリア、カナフ、そして天風の剣、アステール。
信じるしか、キアランに選択肢はなかった。しかし、信じる、そう決めたことで、不思議と落ち着き、力がみなぎるような気がした。
一瞬。一瞬にかける。その力が、そしてその瞬間を見極められる心の強さが、生まれたような気がしていた。
「大丈夫だよ……? 全然痛くはないだろう……?」
パールは、手の中のカナフとアマリアに優しく語りかける。
「君たちを、握りつぶすなんて、そんなもったいないこと、僕はしないよ……?」
パールは、愛しそうにカナフとアマリアを、自分の口元へと近付けた。
まるで、恋人に口づけをするように。
「君たちの死は、もう少し先だよ?」
恋をしているような、熱のこもった眼差しで、パールは見つめる。
「僕は、僕の口の中で、君たちを――、君たちの命を、ちゃんと完全な形で味わいたいんだ」
恍惚とした表情で、パールは――。
「だから、食べる前に殺す、そんなことはしないよ……? さあ、僕に君たちのすべてを見せて――」
口を、開く。大きく。尖った牙に縁どられ、情熱の赤い絨毯のような舌が迎え入れる、永遠へと続く洞窟へと――。
「やめろーっ!」
「封印の、鎖」
え……?
キアランの耳に、突然聞こえた声。
それは、聞き覚えのある低く落ち着いた響きの――。
キアランは振り返り声の主を見、そしてその名を叫ぶ。
「アンバー!」
ビシッ……!
黒いもやのような鎖が、巨大なパールの全身にからみついた。
シルガーとキアランの横に、いつの間にか、アンバーがいた。
アンバーは、キアランに笑いかける。
「そんなに、驚いた目で見なくても。誰も、行かない、とは申してませんでしたが?」
アンバーの背後に控える、白銀と黒羽もうなずいていた。
「化け物と戦うには、万全の準備で臨まなければなりませんからね。休憩は、大切です」
アンバーは、胸元に右手を添え、歌うようにそう述べた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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