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【創作長編小説】異界屋敷不思議譚 第十話

第十話 心の中のため息

 また明日ね、と一番家が近い友だちと手を振って別れた。そこから角を曲がってすぐ、野上商店、のはずだった。

 あれ!? なにこれ!?

 翔太の足が止まった。どういうわけか目の前が、真っ暗だった。
 目をごしごしこすって、もう一度目を開けてみる。
 星のない夜空のような闇が、広がっていた。

 え……? どうなってるの……?

 目が慣れてくると、ぼんやりと周りの景色が見えてきた。あるはずの、家や建物がなかった。それどころか、翔太が今立っているのは、ごつごつとした岩だらけ、枯れたような木が、ぽつり、ぽつりとあるだけのような、荒涼とした場所だった。
 少し湿った冷たい風が後ろから吹いてきて、翔太の髪を巻き上げ通り過ぎる。血のような、変な匂いがした。
 
「小僧」

 後ろのほうから、声がした。振り返る。やはり背後も見たことのない場所で、生き物を拒絶するような岩と、骨のような木ばかりの景色が延々と続いているだけのようだった。
 
 ここはきっと、異世界だ……! でもたぶん、紅やあおたちのいるハザマの世界じゃない……!

 見知らぬ風景の中に、突然迷い込んでしまっていた。自分はさらに違う異世界に来てしまったんだ、そう翔太は確信した。

「小僧」

 もう一度、声がした。低い男性の声。翔太は辺りを見回す。人影はない。

 なんとかして、元の世界、家に帰らなくちゃ……!

 謎の声に、返事はしないほうがいいような気がした。
 誰もいない、なにもないと思い前を向こうとしたその一瞬、視界の右端に、闇が濃く固まって見えた。

「小僧……、うまそうな、小僧だ。頭から、喰ってやろう――」

 恐ろしい声が、耳に飛び込んできた。それと同時に、視界の右端にとらえた黒い塊が、蠢きながらなにかを形どろうとしていた。
 翔太は、悲鳴を上げた。黒い塊から、何本もの長い腕が伸びてきていた。翔太を目掛けて。
 翔太は駆け出す。暗闇の中を、ただひたすらに。

 助けて……! 紅、蒼、雪夜丸ゆきよまる……! 山吹やまぶきさん……!

 紅や蒼、雪夜丸や山吹さんのことが思い浮かんだそのとき、翔太は閃く。

 星形菓子……! ランドセルの中に、入れておいてあった……!

 翔太は、山吹さんから二個めとなる星形菓子のガラスの小瓶をもらっていたわけだが、紅からもらった星形菓子は机の引き出しに置いており、山吹さんからもらった星形菓子はなんとなく持ち歩いていたのである。
 そして、どこにでも通じているというハザマの世界。きっと、星形菓子を掲げれば、雪夜丸が気付いて来てくれるのではないか――。
 走りながら、ランドセルの片側を肩から外し前に持ってくるようにして、慌てつつ中を探る。手に触れる冷たく硬い感触。ガラスの小瓶を探り当てていた。

「あっ!」

 右足をつくとき、変なふうに地面をとらえていた。右足首が、外側に曲がる。そして、体のバランスを大きく崩していた。
 背後から伸びてくる、黒い手。翔太の襟足、肩、ランドセルを掴む。体が浮き上がり、さっきいた場所に強い力で引き戻されていく――。

「雪夜丸ーっ!」

 翔太は瓶の蓋を開け、星形菓子をひとつかみ、星のない暗闇に掲げた。



 蠢くどす黒い闇の塊の中、いくつもの鋭い歯が見えた気がする。長く伸びる、赤い舌も。

「あれ……」

 翔太の視界には、明かり。ド派手な、明かり。

 ええと。これは確か、シャンデリアとかいうやつ――。

「よかった! 気が付いたか、翔太!」

 明るい声に、驚き起き上がる。飛び起きたとき跳ね返ってきた柔らかでリズミカルな反動から、自分はベッドの上に寝かされていたのだと気付く。

「紅……! 蒼……!」

 紅と蒼の笑顔があった。
 
「紅ー、蒼ー」

 ほっとすると同時に、涙がぽろぽろこぼれ落ちていく。

「ああ、翔太。大丈夫か。足をくじいたようだったから、ちゃんと蒼が手当てをしておいたぞ。家に着くころには、すっかり治るであろう」

 紅がそう言い、隣の蒼が、微笑みうなずく。

 足が痛くて泣いたわけじゃ、ないんだけどな。

 目をやると、右足首が、ぐるぐると包帯巻きにされていた――、さすがに、この前のように両足いっぺんに巻かれるスタイルではなかったが。
 とても怖かった、安心したら嬉しくて緊張がとけて、涙が出たんだ、とは言えなくて、すべてを足のねんざのせいにして、翔太は大きく何度もうなずいていた。

 

 いつも通り、店を開けていた。そもそも、「ふしぎや」に休日はなかった。
 山吹は、夕日に向かって歩いていく子どもたちの姿を、店の中から見守っていた。

 よしよし。みんな、寄り道せずに、まっすぐ帰るんだよ。

 みんな車には気を付けてね、そう山吹は心の中でこっそり声をかけてあげていた。
 くじ引きのスーパーボールがくっつけてある台紙の下、レジの隣に、ひっそりと水晶玉が隠れていた。これはもちろん、売り物ではない。

『山吹! 急いで来てくれ!』

 水晶玉から、蒼の叫び声が聞こえてきた。ただならぬ緊迫した声に、山吹が急いで水晶玉を覗くと、雪夜丸の背に乗る紅と蒼、そして蒼に抱えられた翔太の姿が見えた。
 そして、彼らを追うようにして伸びていく、黒い何本もの腕――。

「今、行く!」

 山吹は、いつもポケットに入れている液体入りの瓶と細い筒を取り出す。素早い手つきで瓶の蓋を開け、筒を瓶の中の液体にいったんつけてから取り出し、その筒に息を、ふうっ、と吹きかける。
 筒からは大きく透明なシャボン玉が吹き出した。シャボン玉はすぐさま、老人の姿に変わった。

「偽山吹。店番頼むよ」

 老人の姿のシャボン玉は、にっこりとうなずいた。
 山吹は、階段を駆け上がる。そして、廊下のうさぎとカメの社交ダンスの置き物に、手を触れた。
 瞬間、うさぎとカメの置き物が光った。すると、置き物の上に光をまといながら、剣が浮かび上がった。山吹は、その剣を手にする。

「持ちこたえろよ、蒼……!」

 奥の部屋に入り、宝箱を開ける。宝箱の中身は機械になっていて、メーターのようなもの、スイッチやレバーのようなものなどがある。山吹は素早くそれらを操作する。

「よし。空間位置、解明。空間移動先、設定!」

 それから、一つの大きな樽の蓋をずらした。

「目覚めよ、あかつき……!」

 キアーッ!

 金属音のような鳥のような声を上げ、樽の中から黄金色の竜のような生物が姿を現す。暁とは、その生物の名だった。

「暁、行くぞ……!」

 山吹は剣を携え、暁の背に乗った。山吹を乗せた暁は、長い体をくねらせながら空中に浮かび、天井裏の扉へと向かう。

 翔太君、無事でいてくれ――!

 山吹は、扉を開く。扉の先はハザマの世界ではなく、先ほど蒼からの連絡があった場所に、変更されていた。
 金の長い髪をなびかせ、漆黒の空を移動する。すぐに、雪夜丸と雪夜丸を追いかける黒い腕が見えてきた。

 あいつは、『黒腕』。一度狙った獲物は、どこまでもしつこく追いかけてくる魔物……! それは、空間を超えてまで。

 蒼が、剣で黒腕の腕を斬り払っているようだった。しかし、すぐに新たな腕が追いかけてくる。

 本体を攻撃して倒さねば、キリがない。

 山吹は『黒腕』の本体を探す。本体は、植物のように動けない。腕をたどれば、簡単に本体にたどりつくことができる。
 暁が、速度を上げる。黒い腕の本体へと。
 山吹と暁の意図に気付いたのか、何本かの腕が襲い掛かってきた。

「ふん……! 何本でも、切り落としてくれよう……!」

 山吹は、剣を振るう。鋭い金の瞳は、本体を見据えながらも襲い来る腕の動きを確実にとらえ、次々と現れる腕を斬り飛ばしていく。

「覚悟せよ、黒腕!」

 風のように地面ぎりぎりを飛行する暁。山吹は、通り過ぎざま、黒腕の本体をまっぷたつに斬り裂いた。



「あれ? 山吹さんも、来てたの……?」

 翔太は、紅に淹れてもらったお茶をゆっくり口にふくみつつ、部屋に入ってきた山吹の姿を目に留めた。

「ああ。翔太君。違う世界に迷い込んじゃったんだってね、大変だったね、怖かったね」

 山吹は微笑みながらベッドの端に腰かけ、翔太の髪を、そっと撫でた。

「うん、どうしてかわかんないけど――」

「すぐ雪夜丸を思い出して呼んでくれて、本当によかったよ。よく気付いたね」

 翔太は、こくん、とうなずく。それから、涙をこぼした目や頬を、ごしごしとこすっていた。
 紅が、明るく切り出した。

「さあ。そろそろ、わしが家に送り届けてやろう。家の人たちが、心配するであろうからな。翔太、帰るぞ」

「うん」

「お菓子もある。雪夜丸の背で食べながらでも、帰ってから食べてもいいぞ。甘いもので、元気をつけよ」

「うん……、ありがとう」

 蒼が翔太を抱きかかえ、庭先の雪夜丸のところまで連れていく。紅が、並んで歩く。

「山吹さん。心配してくれて、ありがとうございました!」
 
 翔太が、蒼の肩越しに礼を述べていた。
 山吹は右手を挙げ、またね、と言って優しい笑顔を添えた。



 紅が翔太を送っている間、部屋に戻ってきた蒼と、山吹は話し合う。

「やはり――、悪い影響が、出てしまった」

 蒼の顔は、沈んでいた。いつもの顔いっぱい無邪気に笑う蒼とは、別人のようだった。

「ああ。ちょっと僕も、心配してはいたんだけど」

「紅も悲しがるとは思うが――」

 蒼は、指を組んだ自分の手の上に、顔を伏せた。

「仕方ないよ」

 開け放った窓から、風が入る。庭の花の香りが、二人の間をゆっくりと流れていく。

「紅ちゃんも、わかっているよ」

 山吹は、蒼の肩に手を乗せた。

「ああ。そうだな」

 山吹の薄い唇が、細められた金の瞳が、蒼の心に寄り添うように、柔らかなカーブを描く。

「スベスベマン君の、大歓迎会の、あとに」

「――うん」

 早いほうがいい、ふたりの意見は一致していた。
 蒼が、前髪をかきあげる。

 これは、なにかを振り切ろう、割り切ろうとしているときの、蒼の癖だ。

 山吹には、わかっていた。長い付き合いだから。ため息はついていないが、蒼のついているであろう心の中の小さなため息を、山吹は見つめる。
 蒼の帯の、帯飾りが寂しそうに揺れていた。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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