【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 第5話
第5話 廃墟と、王家と、略しかた
揺らめき落ちる、不吉な葉影。
「陽菜さん。さあ、早く」
陽菜は疑う。目の前の笑顔を浮かべている人物が、本当に自分の知っている人間なのだろうか、と。
「前田、さん、なの……?」
陽菜の足は、半歩後ずさる。落ちている小枝を踏みしめた音が、やけに大きく響く。
前田さん――、いや、前田の姿かたちをした誰かが、ため息をつく。
「やれやれ。もう少し時間が必要だったのだが。仕方ない、か」
え……?
氷が解け出すように、「前田」の輪郭が崩れ始めた。溶けだす、顔。
陽菜は、悲鳴を上げ、「前田」を突き飛ばした。
お、おばけ……!?
あまりの恐ろしさに気が遠くなる、その瞬間、痛みで意識が戻される。強い力で、腕を掴まれていた。右腕。刀を持っているほうの、腕。
痛い……!
もはや、「前田」の顔は捨てたようだった。と、いうよりそれは、人間の姿形を保つことをやめていた。
激痛と恐怖にあえぐ陽菜の目に映る怪物の顔は、身の毛もよだつようなものだった。細かな毛で覆われた四角い輪郭の顔面に、レンズのような黒目が四つ並び、その下には口なのか牙なのか、大きくカーブした二つの鎌のようなものが突き出ている。まるで、蜘蛛の顔のようだった。体のほうも変化していたようだったが、陽菜にそこまで観察する余裕はなかった。
ノイズの混じったような声で、怪物は言葉を続ける。
「腕ごと、もらうか。『姫』とはいえ、腕の一本なら、影響は少ないだろ――」
そのときだった。
突然、大きな音がした。それから、強い衝撃を感じた。なにがあったか理解できなかったが、反射的に、目を閉じる。
風を、感じた。それから、体が――、持ち上げられていた。
え……?
驚き、目を開ける。
「腕一本。充分影響あるだろう。コトワリを度外視しても」
耳に響く、九郎でも時雨でもない、知らない男の声。
陽菜は、赤い髪と銀色に輝く不思議な瞳をした、逞しい体躯の男に抱えられていた。
えっと、あの……?
助かった……、のだろうか。おそるおそる目をやると、陽菜を襲った怪物は、地面に倒れているようだった。
「あの、ありがとう――」
恐怖と緊張で息も整わないまま、陽菜は急いで赤い髪の男に礼を述べようとした。
「礼か。礼を言う必用はないぞ」
赤い髪の男が、ニヤリと笑う。
「俺も、お前の力を狙っているだけだからな」
え!? なに? どういう――。
陽菜の目の前が、暗くなる。見上げると、赤い髪の男の後ろから、覆いかぶさるように、巨大な蛇が鎌首を持ち上げていた――。
「きゃああああ!」
「陽菜!」
九郎が叫ぶ。今までの得体のしれない呪縛から解けたのか、九郎はイヌクマに飛び乗る。
九郎を乗せ、イヌクマが駆け出す。
「九郎……!」
九郎とイヌクマの無事を確認し、陽菜の声は明るさを取り戻していた。思わず広がる笑顔。
「九郎。遅いぞ」
赤い髪の男は、そう叫ぶと、なにかを放り投げる。九郎を乗せた、イヌクマに向け――。
え、今、なにを……。
あっという間のことだった。またしても、激しい衝撃。陽菜の悲鳴は、音と圧倒するような風にかき消される。
しかし今度は、なにが起こったかはっきりとわかった。爆発。男が、爆弾のようなものを投げつけたのだ。
「九郎! イヌクマ!」
陽菜は、絶叫した。煙に包まれ、九郎とイヌクマがどうなったかわからない。
「ずいぶんと簡単に、手に入ったな。『姫』」
赤い髪の男は、そう呟くと、陽菜を抱えたまま大きくジャンプし、巨大な蛇の頭辺りに飛び乗った。
空を飛ぶ、蛇。
熊と犬を合わせたようなイヌクマが空を飛ぶのだから、蛇が空を飛んでもおかしくないのかもしれない。
いや、充分おかしかった。
イヌクマに翼はあったが、蛇には翼がない。それでも蛇は、赤い髪の男と陽菜を乗せ、空を飛んでいる。
しかし、今までなら、率直な疑問点を声に出して指摘していた陽菜だったが、そんな余裕はなかった。
「ずっと泣いているな」
赤い髪の男が、呆れたように述べた。
陽菜は、泣いていた。
自分の身がどうなるかわからないという恐怖もあったが、それよりも、九郎とイヌクマのことが、頭から離れない。
ふう、と男はため息をつく。
「九郎もイヌクマも、あのくらいではやられん」
え。
陽菜は驚き、濡れた瞳のまま、改めて男の顔を見上げた。
「なにも知らないようだな。その様子では」
なにも知らない。まったく、その通りだった。
「魔族に騙されていたようだったし、魔族に対して、剣も振るわなかったしな」
まぞく……?
そういえば、九郎も使っていた。魔族、という言葉を。
「なにも聞いていないのか。九郎たちから」
蛇が、下降し始めた。
町。どうみても、町だった。
ただし、建物の壁はどれも無残に崩れ、石畳は陥没しており、草木が人工物を侵食している。
久しく人がいないと容易に想像できる、廃墟の町だった。
赤い髪の男は陽菜を抱えたまま、蛇から降りた。
「蛇玉」
男が不思議な言葉を発すると、蛇の姿があっという間に見えなくなり、代わりに男の手のひらの上に、白い卵が出現していた。陽菜はただただ驚き、呆然と目を見張るのみだった。
男は、卵を懐にしまう。
「さあて。どうしようか」
男は、陽菜を地面に降ろしてやりながら、呟く。
「刀に選ばれし、『姫』よ」
男は、陽菜に向かって、笑いかけた。陽菜は、ぎゅっと刀の柄を握りしめる。
「……どうして、九郎とイヌクマに、ひどいことを……」
声を、震わす。本当は、怖くて怖くて仕方なかったが、尋ねずにはいられなかった。
自分のことをどうするつもりか、とか、命乞いのような言葉より先に、口をついて出た質問。
「敵だからだ。王家は」
王家――。そういえば、時雨が九郎のことを若殿様と――。
「見ろ。この町を」
冷たい風が、吹き抜けていく。
「王家の――。やつらのせいで、この世界は崩壊しつつあるんだ」
吐き捨てるように、男は言った。
まさか……! 九郎や時雨が、そんな……!
陽菜は、九郎や時雨、この世界のことをまだなにも知らない。しかし、信じていた。まだ出会ったばかりの、九郎を、時雨を。
きっと――。九郎も、時雨も、悪い人なんかじゃない……!
信じたい、と思った。たとえ短くても、共有した時間を、自分の感覚を――。
陽菜は、男の銀色の瞳をまっすぐ見つめた。怖くて足が震えていた。しかし、勇気を奮い起こし、見つめ続けた。
「私の名は、陽菜といいます。教えてください。この世界のこと、九郎たちのこと。そして――」
会社の人間の姿をした怪物。本当の「前田さん」は、無事なのか。そして、あの怪物はなぜ「前田さん」の姿になっていたのか。
鼓動が、早くなる。自分は、とんでもない過ちをしてしまっているのではないか。恐ろしい悪者に向かって、質問などして、機嫌を損ねてしまい、殺されてしまうのではないか。様々な不安が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。
「今まで私に起きていること、全部、教えてください」
陽菜は、深く頭を下げた。
今陽菜の目に映るのは、自分の土まみれになった靴下と、ひび割れた石畳。目から入る情報が、あまりに貧相で、つい恐ろしいこと、最悪なことを想像してしまう。
顔を上げるのも怖かったが、視界が限られているのももっと怖いので、恐る恐る顔を上げる。
男は、ニッと唇の端を吊り上げていた。怖いというより――、どちらかと言えば、意外なことに、親しみやすい笑顔だった。
「俺の名は、リアムオリバーレッドアーロン。略して、バーレッドだ」
なげえ! しかも、略すとこ、真ん中……!
男の名前の長さ、そして省略した部分のチョイスに、陽菜は度肝を抜かれていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?