【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第5話
第5話 半身の契り
木の葉の間から降り注ぐ日の光は、川面で踊るように輝く。
太陽は、真上近くにあった。
「とうーっ!」
盛大な水しぶきを上げ、川に飛び込んだ。
レイのお目当ては、魚。レイオルに買ってもらった服は脱ぎ、たたみこそしなかったが、それなりにきちんと川岸に置いてきた。
お昼は、もっとご馳走を食べてもらうんだ!
流れの中、水泡を生み出しながら光る鱗たち。小鬼であるレイは、脅威の身体能力で川魚を一匹は口にくわえ、一匹は右手、もう一匹は左手と合計三匹も捕まえていた。
やったね!
濡れたままの体で服を着て――かなり手間どって、手足をばたばたさせ挙句、おっとと、とバランスを崩しそうになりながら無理やりに着た――、レイオルのもとへと、駆け戻る。
早く、レイオルが元気になるように……!
「逃げ出したのかと思った」
ぼとぼとぼと、せっかく急いで運んだ魚を地面に落とす。
細く鋭い目を心持ち大きく見開きつつ、口からぽろりと飛び出したレイオルの言葉。活きのいい魚を見たら驚いて絶対喜ぶはずと、わくわくしていたレイにとって、まったく予想外のレイオルの反応だった。土の上で魚たちがぴちぴち跳ねる。
「え。逃げ――」
「私は意識を取り戻した。あとは放っておいても大丈夫と安心して、逃げたのかと思った」
レイオルの口調は、淡々としていた。嫌味とか怒るとかではなく、ただ浮かんだ考えを述べている、そんなふうに見えた。
「逃げたりしないよ! 魚を捕まえに行っただけだよ」
「ふむ」
「レイオルに、食べて欲しかったから――」
魚たちを拾い上げる。レイはそのとき、レイオルの顔より魚たちを見つめていた。
大切な命。大切な栄養。俺はただ――。
「しっかり契約を守り続けるとは。レイは律儀なのだな」
りちぎ?
レイの知らない言葉だった。首をかしげた。ついでにいえば、知らない概念だった。
人間の間の独特な言葉なんだろうと思った。
褒め言葉……?
逃げたと思ったという発言が、なぜか心に刺さった。つん、と目の奥に沁みる小さな悲しみ。
でも、謎の言葉「律儀」。たぶん、自分に対してよく思ってくれたのだ、レイは少し明るさを取り戻す。
「ごはん、すぐ作るね。待っててね!」
レイは手早く魚を木の枝に刺し、焼き始めた。
同時進行で、大きな竹をくりぬいた即席鍋を使った、具だくさんのスープも作る。
「今度のはきのこも入れてみたよ。朝よりおいしくできると思うよ」
「ほう、それはすごいな」
レイオルの顔に、微笑みが浮かんでいた。朝よりだいぶ顔色もよくなっているようだった。
しばらくすると漂うよい香り。魚はほどよい焦げ目をつけ、スープは賑やかにぐつぐついっている。レイの予想は大的中だ。
「うまい」
スープを一口飲んだレイオルから、今度は「うまい」の言葉が出た。
「ほんと、おいしいね!」
笑顔がこぼれる。もちろん魚もおいしかった。三匹のうち、一匹が自分、二匹をレイオルの分だと言葉を添えつつ、レイが串焼きの魚を手渡すと、
「半分にしよう」
レイオルはアツアツの串焼きの魚を、いきなり縦半分二つに引き裂いた。
「熱くないの!? てゆーか、半分にしなくても――」
出会ったときから説明しているが、そんなにエネルギーはいらない、レイオルにたくさん食べて欲しいとレイは慌てたが、レイオルは、
「一生懸命魚をとったり食材を見つけたり。それに調理も。私が多くもらうのは道理に合わない」
と述べ、そのあと、
「私の手の一瞬の熱さなど、レイの働きから見れば比較にならない」
とまで付け加えていた。
そういう問題では――。
レイオルのもとでちょっと冷ましてからレイの手に手渡された、湯気を立てる右半分の魚。いったいどういう技、器用さなのか、ちょうどよく魚は半身になっていた。まさか、そんなことにまで魔法は使わないとは思うが――。
「それに」
「それに?」
訊き返しつつ、ちょっとレイは思う。
やっぱレイオルって、変わってる――。
そうだね、と同意するようにそよ風が頬を撫でる。
レイオルは、レイのドン引き具合に気付いているのかいないのか、レイの瞳を見つめていた。
そして、「それに」に続く言葉を紡ぎだす。
「半分にしたほうが、なにか契りのようでよいではないか」
レイオルは、笑う。意外にもそれは、子どものような屈託のない笑顔だった。
いや、ちぎってあるけど! 引きちぎってるけど、魚!
ちぎり違いだ、とレイは思った。
「ありがとう」
え。
引きちぎられた契りの魚に目を落としていたレイだったが、思いがけないタイミングの「ありがとう」という言葉にびっくりし、顔を上げた。
「私が意識を取り戻すまでも、色々苦心してくれていたのだろう。そして、取り戻してからも。本当に、ありがとう。私は、誠によき手駒を見つけたのだな」
手駒、という表現にちょっと引っかかるが――、レイは急に胸が熱くなり、
「レイオル……! 俺のほうこそ、助けてくれて、本当にありがとう……! 生きていてくれて、本当にありがとう!」
と、大声で叫んだ。
顔も熱い。焚火の炎や湯気のせいかも、ちょっと照れくさくて、感情の吐露を熱源に一任することにした。
「『生きていてくれて』……?」
レイの言葉をなぞるように呟き、きょとん、とするレイオル。
「うん! そうだよ! 俺、本当に嬉しくて――」
ふはははは!
レイオルの哄笑が響き渡る。ばたばたと、驚いた辺りの鳥たちが飛び立つ。
「強いこの私が勝ち、生き残るのは当然だ……!」
レイオルは立ち上がり叫ぶ。長い髪を意味不明に振り乱しながら、たぎる命の賛歌のように。
「私こそが最高、私こそが頂点に立つべき至高の存在……!」
まるで鬼。狂気の笑い。
レイオルの笑いは、しばらく続いた。
すっかり元気になったみたい。よかったね――。
レイは他人事のように平べったい感じで、心の中呟く。
半身の契りを受け取ったこと、レイは固まった笑顔のまま、改めてちょっと考えてしまっていた。
「そろそろ、出発するか」
レイオルが立ち上がる。
もう大丈夫なの、と尋ねようと思ったレイだったが、
さっきの鬼気迫る感じ。訊くまでもないな。
どう考えても大丈夫そうだった。
「うん。もうこの森を出るんだね」
返事をし、レイも立ち上がった。
日はまだ高いが、傾き始めている。動き出すには、ギリギリのタイミングかもしれない。
「いったい、レイオルはどこに行くつもりなの?」
そういえば、旅のゆく先は決めているのだろうか。レイオルの旅について、きちんと訊いてみたいと思った。契約中である自分の運命にも関わることだから、訊いてみてもよいはずだ、とレイは思った。
レイオルは、前を見据えつつ答えた。はっきりとした口調で。
「伝説の眠れる怪物、ウォイバイルのいるところだ」
「ウォイバイル……!」
伝説は、レイも知っていた。というか、怪物たるもの、伝説を、その名を知らないはずがなかった。
怪物の頂点と呼ばれる、ウォイバイル……!
レイの足は震え出した。
やっぱり、契りの魚は受け取るべきでは――。
逃げなかったことを、魚を三匹とってしまったことを、レイは後悔していた。
二匹だったら、よかったのかな。
そういう問題じゃない、二匹だろうが三匹だろうが、そこは問題じゃない、わかっていても、そんな考えがやってきては通り過ぎていく。
今更だった。
「どうした? レイ」
レイは――、震える自分の足を見つめていた。歩き出そうとしない、自分の足。
俺は――。
逃げるべき、まだ間に合う、と心の声。
『だって、ウォイバイルはとんでもなく強い力を持つ。とても恐ろしい怪物』
いや今じゃなくてもいい、さっきみたいに、食材を取ってくる感じにして逃げればいいよ、と心の声。
「レイ?」
レイオルが振り返り、レイを見つめる。
ううん、違う。
違う、とレイは心の声に反抗する。
俺は――!
屈託のない笑顔。鬼気迫る笑い。たったひとりぼっちで、謎の旅をしていたレイオル。自分を封印から救い出し、身を挺して助けたレイオル。
俺は、「律儀」なんだ……!
律儀、の意味はわからない。でも、褒め言葉だと思った。両親以外から、初めてもらった褒め言葉。
きっと、たぶん、いい言葉……!
「うん。行こう! レイオル!」
ひとりぼっちだった、俺とレイオル。一足す一は二だけど、ふたりでいれば、「二」じゃない。きっと魚三匹分、二以上になるんだ……!
「日が暮れる前に、出発!」
右手と右足、左手と左足が一緒に動きつつ、レイは歩き出した。
◆小説家になろう様掲載作品◆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?