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【創作長編小説】異界屋敷不思議譚 第十一話

第十一話 時の泉、魔法のクッキー

 まだ、どきどきしていた。
 
 もう、大丈夫なんだ。べにがいてくれるし、今は雪夜丸ゆきよまるのおっきな背中の上。だから、大丈夫。

 雪夜丸の背に乗り、紅に送ってもらっていた。ここはハザマの世界、澄んだ群青の空を進む。
 手元から、甘い香り。紅にもらったクッキー。目を落とすと紙袋の中、ぎっしりと厚めのクッキーが並んでいる。
 
 きっと、食べたらもっと元気になれる。でも――。

 袋の中に手を伸ばし、ひとつクッキーを食べたいと思った。でも、袋の中の均衡を崩すのが少し怖いと思った。

 俺が今、なにかしたら、また怖いことが起きるんじゃないだろうか。

「翔太」

 不意に、紅が声をかける。進行方向を向いたまま、翔太のほうを振り返らずに。

「まだ、そんなに遅くはないかもしれんな」

「え」

 紅の肩まで揃った黒髪が、大きく揺れた。翔太のプレゼントした青色の髪飾りが、日の光の輝きを返していた。

「ちょっと、寄り道していこうか」

 ふふふ、と紅の白い歯がこぼれた。



 森の中、ぽっかりと開けた場所があった。

「雪夜丸。ここに降りてくれ」

「にゃふ!」

 紅の指示に雪夜丸が、犬とも猫ともつかない声で返事をした。そういえば、雪夜丸の鳴き声を聞くのは初めてだった。

「わあ、不思議な泉だ……!」

 翔太は息をのむ。眼下に、ひょうたん型の大きな泉があった。変わっているのは、ひょうたん型、という珍しい形だけではなかった。

「水色と、ピンクの泉――」

 ひょうたんの形のちょうど右側が水色で、左側が淡いピンク色をしていた。真ん中のちょっとくびれた部分は、白濁している。

「水の成分が違うとか、生息してるプランクトンの違いとか。そういったなにかで色が違うんだね」

 よいしょ、と雪夜丸の背から降りつつ、翔太は、なにかのテレビ番組で得た知識を述べる。

「違うぞ。成分とか棲んでいる生物とか、そういう違いじゃない。この泉は、『ときの泉』。色の違いは、過去、現在、未来の違いじゃ」

「えっ」

 紅の答えが、どういう意味かわからず聞き返す。

「『時の泉』とは、思い描く最高の過去、現在、未来を映してくれる泉なのじゃ」

 紅は説明しつつ、ぴょん、と勢いよく雪夜丸の背から飛び降りた。

 思い描く最高の……?

 翔太は忘れていた。ここは異世界。現実世界の科学や常識は通用しないのだ。
 紅が泉を指差す。

「あっちの水色の部分が、『過去』。白いところが『現在』。こっちの桃色が『未来』を映す」

 過去、現在、未来。過去と未来が大きくて、二つを繋ぐ現在が一番細く面積が少ない。

 今は、今しかないからね。

 そして現在が白。白を起点として、色がつく。なんとなくぼんやりと、翔太は納得していた。
 紅が説明を続ける。
 
「我らこの世界に住む者は、この泉が映し出す神秘を制限なく見れるが、人である翔太、そなたは一度だけ、希望する『瞬間』を覗き見ることができる」

「希望する、瞬間……?」

 そうじゃ、と紅は首をかすかに縦に振る。さらり、と髪が流れる。

「一番見たい過去。一番留めておきたい現在。それから、一番見てみたい未来じゃ。ちなみに未来は、こうなったらいいな、と考えている希望的観測。この泉は、未来はこうなる、と限定するものではなく、また、占うものでもない」

 未来は、積み重ねていく現在によって常に変わりゆくから、と紅は言う。

「ああ。それから現在は、現在ある要素の中で一番見たいもの、というものじゃ。それは会ったことのない憧れの大スターと話をするとか、見知らぬ国での大冒険とか、今の現状から離れたものではなく、現実の延長線上の映像という感じじゃ。そして、過去。過去は、実際経験したよき思い出の中の、今一番見たいひとときというものを映してくれる」

 紅の話を聞きつつ、本当にきれいで本当に不思議な泉だ、と翔太は思う。それから、

 どうして紅は、ここを案内してくれたのだろう……?

 翔太の頭に浮かんだ疑問。紅は翔太の疑問を感じ取ったのか、紅い紅を差した唇を、ゆっくりと持ち上げ包み込むような笑みを浮かべた。

「翔太は、とても怖くて嫌な思いをしたからな。翔太の過去や未来、そして現在には、それを吹き飛ばすくらいの素敵なものがあることを、思い出して欲しいと思ったのじゃ」

 透明な風が吹く。水面が揺れ、きらきらと光を映す。

「翔太が今見たいものは、なんじゃ?」

 過去。未来。現在――。

 翔太は、ゆっくりと歩み出す。そういえば、さっきから足の痛みは消えていた。あまりにきれいさっぱりなくなっていて、雪夜丸から降りるときに忘れるくらいだった。
 後ろで、紅と雪夜丸が見守っている。

 俺が見たいもの。心に留めておきたいものは――。

 翔太は立ち止まり、深呼吸をしてから、しゃがんで泉をのぞきこむ。

「え。そこなのか?」

 後ろから、紅の声。紅にとって翔太の選択は意外だったのだろう。
 翔太の瞳は、泉の真ん中部分、白濁した水を見つめる。

 ああ。やっぱり。

 翔太は、笑顔になる。泉の中には――。

 楽しそうな紅。三つある尾を振って跳ねる雪夜丸。そして、なにやらはしゃぐ俺……! 結斗君も笑ってる。ああ、スベスベマンも! その後ろには、あお山吹やまぶきさん。あれ。お父さんとお母さんまで! お父さんとお母さんも、みんなのこと知ってる。あれ。お父さんがバーベキューの準備を始めた。お母さんがみんなを手招きしてる。スベスベマンの大歓迎会、というより大送別会かな。うわ。ここはシン・お化け屋敷の庭じゃないか。システムキッチンもすごいけど、庭の大バーベキュー、とってもおいしそうだし、楽しいなあ――。

 翔太は、次々と変わっていく泉の映像を夢中で眺めた。泉が見せてくれた皆の笑顔を、それ以上の笑顔で返していた。
 もっと見ていたい、そう思ったが通り抜ける風にふたたび水面が揺れたとき、泉の「現在」は消えてしまった。

「翔太。過去とか未来とかじゃなくて、よかったのか?」

 立ち上がり振り返った先の紅が、首をかしげていた。

 現実の、紅。そして雪夜丸。消えたりしない、現実の。

 確かめるように紅と雪夜丸の顔を見つめてから、元気よく翔太は答えた。

「うん! 俺、今を見ていたかったんだ……!」

 一瞬紅は目を丸くしたようだったが、

「そうか、今、か」

「うん!」

 雪夜丸の背に乗る。本当にそろそろ帰らなくちゃ、と紅に促されて。
 翔太は、紙袋のクッキーをひとつ、頬張ってみた。

「おいしい」

 やはり、元気が出る、と思った。さくり、とバターの風味が広がる。同時に、見える景色も広がるような気がした。

 まるで魔法のクッキーだな。

 心に柔らかな灯がともる。

「おいしいよ。紅。本当にありがとう」

「よかった。食べ過ぎに、注意じゃ。おやつより、おうちの晩ご飯が大事じゃからな」

「勢いで二個めにいくところだった……!」

 笑い合う。弾む声に、雪夜丸が大きな頭を動かし振り返る。雪夜丸の大きな口も、笑っていた。
 うっかりクッキーのかけらを、もふもふとした背にこぼしてしまっても、雪夜丸なら許してくれるだろう。

 怖い思いを吹き飛ばすくらいの、今……!



 その晩、眠りにつく。
 翔太の夢はあの恐怖を思い起こす悪夢ではなく――、泉で見たバーベキューの続きだった。

「うわあ、きれいだなあ!」

 それは、花火大会。シン・お化け屋敷の上空に高く広がる大輪の花を、みんなで眺めていた。

 きっと、この先もみんなと楽しい日々が続く。いつか、お父さんとお母さんにもみんなを紹介したいな。

 泉で見た「現在」、そして今見ている夢。
 泉の未来も、同じ映像を映し出すに違いない、翔太はそう信じていた。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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