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【創作長編小説】天風の剣 第68話

第六章 渦巻きの旋律
― 第68話 変化のとき ―

 海上の高次の存在たちは、まだ気付いていなかった。ただ、ひとり、シリウスを除いては――。

 カナフか、ヴァロか……!

 シリウスは、海の底での不穏な予兆を感じ取った。

 我らの同胞が、また……!

 シリウスは、叫んだ。

「皆! また大きな変動が起きる! 全力で、『場の調整』を……!」

 次の瞬間。
 すべてが、閃光に包まれた。

 ヴァロ……!

 シリウスの鋭敏な感覚は、悟った。
 つい先ほど会話したばかりの、ヴァロの命の波動が途切れたことを――。

 ゴゴゴゴゴ……!

 海は大きく渦を巻き、辺りは闇に包まれ、激しい雨が打ち付ける。

「ヴァロ……!」

 荒れ狂う嵐の中、シリウスは、その名を叫んだ。



「ヴァロさんーっ!」

 キアランの声は、深海の黒い潮流にかき消された。
 キアランは、その場から遠く飛ばされていた。ふたたび、上も下も右も左もわからなくなるくらい、衝撃の波にもまれた。
 
 これは、ヴァロさんが飲み込まれてしまったという証拠だ……!

 胸が、張り裂けそうだった。息がまったく整わない。体に感じる衝撃と、心の中の嵐が重なり合い増幅し合い、キアランを容赦なく襲った。
 キアランの目から、とめどなく熱い涙があふれる。

「ヴァロさん……!」

 不意に、あのときのヴァロの表情がキアランの脳裏に浮かぶ。

『……時が満つれば、また会えます――』

 アステールを連れ去った黒髪の高次の存在がそう呟いたとき、ほんの一瞬、ヴァロはその顔を曇らせていた。

 ヴァロさんは、あのとき、いったいなにを思ったのだろう――。

 ヴァロが自らの名を明かし、心を開いて話しかけてくれたのはあのあとからだった。
 ヴァロに問いかけてみたかった。なぜ、あのときあのような悲しい顔をしたのか。そして、なぜ、歩み寄ってきてくれたのか。
 自ら犠牲になることを選び、微笑みながら去っていったヴァロ。

 もう、答えを、その声を聞くことすらできない――!

 キアランは体を震わし、血が出るほど己の拳を握りしめた。

 ゴウウウウウ……!

 不気味な音を立て、キアランを運ぶ大きなうねり。
 このまま、遠くに流されてしまうのだろうか、キアランがふとそう思い始めたときだった。
 全身を包む泡ごと、逆方向に押されるような感覚。
 突然、海水の流れに逆らい、キアランは力強く前進していた。

 え……?

 なにかの強い力に押されていた。

「キアラン! 悲しむのは後にしろ! お前も、目に焼き付けるのだ!」

 シルガー!

 シルガーが、ライネを抱えながら、ぐんぐんとキアランを泡ごと押していたのである。

「見るんだ!」

 潮流に負けない激しさで、シルガーは叫ぶ。

「ヴァロが命をかけて灯す、その光を!」

 シルガーの言葉に、キアランはハッとする。

 そうだ! 急所……! ヴァロさんがその身を犠牲にして教える、パールの急所を見つけなければ……!

 光が、明滅していた。
 
「光が……! あんなに、たくさん……?」

 虹色の光が、闇の中あちこちに見える。それはどうやら、パールの巨大な体の海獣のような下半身あたり、その一体が七色に点滅を繰り返しているようだった。

「あれは違う! ヴァロの光は、金の光だ!」

 耳に届くシルガーの大声。

 金の光……! この光は違うのか……! それなら、金の光は、いったい……!?

 キアランは、見ることに神経を集中させた。
 漆黒の世界、そしてキアランの視界を遮る大小さまざまな泡。そして時折見える七色の光。

 ヴァロさんの光は、いったいどこに――!

 ふわ……。

 一瞬、キアランの目の前を、美しい暁色が横切ったような気がした。

 今のは、ヴァロさんの髪の色……!

 ヴァロは、自分に教えようとしてくれているんだ――、そう強く思い、キアランはもう一度目をこらす。
 灯る、鮮烈な光。

「光った……!」

 金の光が、輝いていた。

「あそこだ!」

 それは、パールの尾びれの付け根部分だった。まるで、尾びれと尾をつなぐ部分に、金色のリングがはめられているように、それははっきりと見えた。

「行くぞ! キアラン! ライネ!」

 勢いよく、シルガーは向かう。金色に輝く、パールの尾の急所を目指し――。

 ガアアア……!

 パールが、衝撃波を口から放つ。キアランとライネを連れたシルガーは、それをかわしながら進む。

 ザッ……!

 パールの振り上げた左腕が接近する。たくさんの泡と共に巻き起こる、水流に多少バランスをとられながらも、シルガーはその攻撃をよけ、さらに速度を上げる。

 アマリアさん……!

 キアランの瞳は、パールに掴まれたままのアマリア、カナフ、そして天風の剣の姿を捉える。それも一瞬のことで、シルガーの勢いのままに、その上を通り抜けて進む。

 ザア……!

 パールは、尾びれを隠すように体を反転させた。その動作が、新しい水の流れを生む。

「逃すか!」

 シルガーは、水の流れに逆らい進む。
 それはとても激しい潮流だったが、キアランはある変化に気付いた。

 先ほどまでの、爆発的なエネルギーの変化は収まっている――!

 きっと、カナフが、そしてヴァロ自身が、そしてもしかしたら、他の高次の存在の力が、あのときのようにエネルギーの調整をしてくれたのではないか、そうキアランは思った。
 パールがさらに、体を動かそうとしたそのとき――。

 ドンッ……!

 新たな光。一瞬、パールの動きが鈍る。

「アンバーさん!」

「少し、攻撃の質を変えてみました」

 キアランは、そこにアンバーの姿を認めた。
 アンバーの強い一撃が、パールの体に命中していた。
 キアランにはわからないが、アンバーは攻撃を変化させてみたようだ。新たなアンバーの攻撃は、パールに対しての威力が増したようだった。
 眼下に見える、巨大な灰色の体と七色の明滅。
 長い尾は、海底の山脈のようにどこまでも続くのではないか、そんな思いに囚われそうになる。

 ザッ!

 シルガーたちを叩き付けようと、見る間に巨大な尾が持ち上がり、迫りくる。

「うっ……!」

 思わず、キアランは炎の剣を構える。しかし、シルガーは尾の動きを素早く読み取り、尾の一撃をよける。
 そして続く、アンバーのパールへの攻撃。たくさんの水泡と襲ってくる強い水流。

「シルガー! 大丈夫か……!」

 おそらく、魔力を使い自分とライネを支えながら進み続けるシルガー。さすがに、シルガーの身が心配になってくる。

 私とライネが流されないよう、私たちを支え続けている……! これでは、シルガーの負担が大きすぎるのでは……!

「シルガー! 私のことは構わず、ライネだけを守ってやってくれ!」

 キアランの提案に、ライネが激しく首を振る。
 当のシルガーは、キアランの言葉に返事をせず、そのまま突き進む。

「シルガー!」

 ゴウッ!

 海流を伴いながら、パールの尾が、目の前にきていた。

「シルガー!」

 シルガーは、尾の攻撃をひらりとかわす。

「シルガー!」

 キアランの呼びかけに、シルガーは答えない。
 シルガーは突き進む。ただ、ひたすらに。
 ときには、パールの尾の周りを一周するようにらせんを描き、どこまでも、どこまでも進む――。
 衝撃と光、そして荒れ狂う潮流。
 アンバーが援護するように攻撃を続けている。
 金の光はとうに見えなくなっていた。きっと、ヴァロの意識も力の余韻も、完全に消滅してしまったのだろう。
 それでも、キアランたちの脳裏には鮮明に残る、あの金の光――。

「キアラン! もうすぐだぞ!」

 ようやく、シルガーが口を開く。

「ヴァロのために、見届けるのだ……!」

 シルガーは、叫ぶ。
 クジラの尾のような形状が、ついに目の前に現れた。

「これで、貴様も終わりだ……!」

 シルガーの、銀の髪が辺り一面に広がる。

「たっぷりと味わえ……! お前にとって、最初で最後の感覚を……!」

 バリバリバリッ……!

 まばゆい光の柱。
 シルガーの放つ光線が、一直線に走る。ただひとつの目標めがけ――。
 そのときだった。
 変化のときが、訪れていた。
 高次の存在であるヴァロを取り込んだことにより、ふたたびパールの体に変化が起きていた。
 海獣のような灰色の下半身は、硬い鎧のような鱗に覆われ、そして体全体がさらに一回り大きくなる――。

「なに……!」

 ギャアアアア……!

 確かに、シルガーの攻撃は命中していた。深く、パールの急所を損傷させていた。
 しかし、彼の命を奪うほどには至らなかった。鱗により硬化した皮膚が、パールの命をかろうじて救っていた。

 ザッ……!

 どす黒い大量の液体を放出しつつ、パールは海底の砂を巻き上げる。

「待て……!」

 一瞬、パールは白い顔をこちらに向けた。
 にい、と白く尖った歯を見せ、パールは笑っていた。

「ありがとう……。僕は、君たちのこと――、忘れないよ……? ぜったいに……!」

 それは、狂気に彩られた、ぞっとするような笑顔だった。

 ドドドドド……!

「うっ……!」
 
 体を大きくくねらせ四枚の翼も駆使し、激しい潮流を生み出して、あっという間にパールは深海のさらなる闇へと消えていった。
 いくつもの細かな泡。水泡は、天へ召されるかのように、たゆたいながら海面へと昇っていく。
 深海に、静けさが戻る。

「! アマリアさんたちは……!」

 キアランは、叫ぶ。パールの手元までは確認できなかった。

「まさか……!」

 アマリアたちが、連れ去られてしまったのではないか、キアランの心に衝撃が走る。
 シルガーは、動こうとしなかった。

「シルガー! どうなって……!」

 青ざめ、必死になるキアランの隣に、アンバーがきていた。
 アンバーの顔には、意外なことに、穏やかな笑みが浮かんでいた。

「あれが、急所、だったのですね。やつもたまらず、思わず手を緩めたようです。おかげで助け出すことができましたよ」

 アンバーが、泡に包まれたままのカナフとアマリア、天風の剣を支えていた。

「アンバーさん……!」

 安堵と共に、歓喜の笑顔があふれる。

「ありがとう……! 本当に……!」

「……次だな」

 静かな、シルガーの呟きが耳に届く。

「急所はわかった。次に会うとき、それがお前の最期だ……!」

 シルガーは、漆黒の闇を見据えつつ、笑っていた。
 それは、パールに似た――どこか放心して力が抜けているようでもあり、また同時に恐ろしい意思と燃えるようなエネルギーを秘めているような――狂気をはらんだ笑みだった。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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