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【創作長編小説】青の怪物、契約の輪 最終回

最終回 世界一偉大なしもべ

 瑠璃色の花が、一面咲き誇っていた。

「さっきまで、咲いていなかったのに……!」

 フィンは、驚きの声を上げる。
 炎の魔女フィアンマを封印から解き放ち、フィンとマーレ、占い師の青年、そしてフィアンマと共に滝の裏側から出ると、瑠璃色の花畑が広がっていたのだ。

「これが、瑠璃の谷と呼ばれる所以です」

 炎の魔女フィアンマは、にっこりと微笑む。

 氷の魔女の魔法の影響で、ずっと花を咲かすことができなかったんだ――。

 美しい瑠璃の風景。まるで、フィアンマの復活を祝福しているかのようだった。

「危険を冒してまで、私を開放してくださった。なにか、深刻な理由があるのでしょう……?」

 フィアンマが、フィンに尋ねる。

「妹を、俺の大切な妹、アレッシアを、氷の魔女から助け出したいんです……!」

 フィンは、今までのことを一気に打ち明けた。
 炎の魔女の姉である氷の魔女にさらわれた、妹アレッシアのこと、殺された両親のこと、そして、怪物にされた娘の話も――。それからもちろん、不思議なしもべ、マーレのことも。
 
「そんなことが……!」

 フィアンマ同様、占い師も衝撃を受けたようだった。ここに来て、初めてフィンの旅の経緯を聞いたのだ。
 フィンは目に涙をため、心の丈を打ち明ける。 

「怪物にされた娘さんから、氷の魔女はあなたの双子のお姉さんなのだと聞きました。でも、俺は俺の妹を助け出したい。両親の仇もとりたい。それは、あの娘さんの無念を晴らすことでもある……!」

 フィンは、背負っていた刀を見せる。マーレも、自分の腰に差した刀を前に出す。

「娘さんは、この刀で氷の魔女を倒してほしいとおっしゃいました。妹でいらっしゃるあなたにそんなことを言うのは、とてもひどいことだと思います。でも、でも――! 俺は、両親やあのひと、そして妹のような、ひどい目にあう人がこれ以上でないよう、氷の魔女を倒したい――!」

 炎の魔女フィアンマは、フィンの瞳をまっすぐ見つめ、静かに耳を傾けていた。やがて、ゆっくりと口を開く。

「氷の魔女の魔法の力を無くすには、二つの方法があります」

 二つの方法……?

「ひとつは、妹である私が死ぬこと。そうすれば、彼女の魔法の力は大幅に減ります。しかしそれでは、完全になくなるわけではありません。邪悪な心は邪悪のまま、大きく力を失っても人に危害を加えることをやめないでしょう」

「フィアンマさんが死ぬなんて、そんな――!」

 フィンが思わず叫ぶ。

「ですから――」

 炎の魔女フィアンマの真紅の瞳が、燃えるようだった。

「もうひとつの方法。氷の魔女スタラッティーテを討ちましょう。私が、道を開けます」

 道を、開く……?

 フィアンマは、しなやかな腕で空中に大きな円を描いた。すると、その動きに導かれるように、空中に大きな炎の輪が現れた。

「わっ!」

 目の前に現れた燃え盛る炎に、フィンは驚きの声を上げる。

「輪だ」

 マーレが、見たままのことを呟く。

「すごい……、これが炎の魔女のお力……!」

 占い師の声が震える。目の前の奇跡に、驚きと感激を覚えているようだった。意図せず自然発生したマーレのだじゃれを、これまた意図せず、本来の流れに戻していた。
 炎の輪の向こうには、深い青色の世界が広がっている。
 フィアンマは静かに、しかし力強く語る。

「この炎の輪は、『扉』です。氷の魔女のいる『鏡の森』へ、繋げました。ただし、私は扉の門番です。私自身は行けません」

「鏡の森……!」

 フィアンマは、うなずく。それから、と続けた。

「鏡の森、とは、海の中にあります。姉が、海の中に作った氷の世界です」

「海の中……! 海の中にあったんですか……!」

「光を受けた鏡のように輝く、美しい氷の世界。中では呼吸ができます。ですから、あなたの妹さんは、無事なはず。妹さんは動物や自然と話せるお力をお持ちとのこと。私の予測ですが、妹さんが狙われたのは、自分の欲望のためにその能力が必要だったから――」

 フィアンマは、占い師のほうに向き直る。

「あなたは、魔法を使えるご様子。ここまで来れたのは、あなたの魔法の力、そのおかげですね?」

「えっ、ま、まあ。俺、そんなに力はないと思いますが」

「いいえ。そうでなければ、私にかけられた魔法を解くことはできなかったでしょう。あなたには、ここで私の魔法のサポートをお願いしたいのです」

「はいっ……、ええと、俺で、よければ……!」

 占い師は大きくうなずいた。フィンの話をここで初めて聞き、心を大きく動かされたためもあった。

「海か。私の庭だな」

 マーレが、ニヤリと笑みを浮かべる。

「ありがとうございます……! フィアンマさん……、占い師さん!」

 フィンは、フィアンマと占い師に頭を下げた。

「さあ、早く、この炎の輪の向こうへ、鏡の森へ……! 私の封印が解けたこと、姉が気付くのは時間の問題です。気付かれていない今のうちに、早く……!」

 炎の輪が、海へと続く大きな扉を開けている。

「はい……! 本当にありがとうございます……! それでは、行くぞ、マーレ!」

 は、は、は、とマーレは笑う。

「偉大なる私の『しもべりょく』、見せてやろう……!」

 しもべ力って、なんだよ……。

 一瞬そんな疑問がよぎったが、先に炎の輪の中にマーレが飛び込んでいて、続く形でフィンが炎の輪の向こうへと飛び込む。

「おおーい、フィン、マーレ! 俺の名は、ニコラなーっ!」

 占い師さん、と聞いて、そういえば名前を打ち明けていなかったことに気付き、占い師ニコラは、炎の向こうの世界へ消えゆくフィンの背に、自分の名を教えていた。


「アレッシア。もっと、もっとだ。お前の力で、なんとしてでも今までよりさらに強い、神秘の力を引き出させるのだ」

 ここは、鏡の森の氷の居城。
 氷の魔女スタラッティーテは、小さく震えながら見上げるアレッシアに、覆いかぶさるように顔を近付けた。

「わ、かんない……。わからない、です……」

 アレッシアは大きな瞳に涙をため、小さな声で答える。

「そんなはずはないっ!」

 声を荒げ、柔らかなアレッシアの頬に手を上げようとしたスタラッティーテだったが、寸前でその手を止めた。

 しまった。チェルヴァイは、とても繊細な存在。怒りの空気は、チェルヴァイの力を弱めてしまう。

 スタラッティーテは、自分の苛立ちをなんとか鎮めるようにした。
 チェルヴァイとは、神聖な力を持つ、純白の体の、一本角の鹿のような姿の神獣だった。
 時の流れに影響を及ぼす力があり、その力を利用し、スタラッティーテは己の身に「若さ」の魔法をかけ続けていた。
 チェルヴァイは、荒々しい波動に弱く、怒りや激しい負の感情を感知すると、不思議な力を出せない。さらに、あまりに荒々しい波動の影響を受けると、チェルヴァイは命さえ落としてしまう。
 そのため、己の若さの継続のためチェルヴァイを探し出し、チェルヴァイの子どもを捕まえたスタラッティーテは、城の中では極力怒りや負の感情を持たないよう努めなければならなかった。
 そんなある日、スタラッティーテは、自然や動物と会話ができるアレッシアの存在を知る。
 幼く純真なアレッシアなら、チェルヴァイをうまく飼いならすことができると思った。そして、さらなる神秘の力を引き出すことができると考えた。
 
 きっと、こいつなら、チェルヴァイから最高の力を引き出すことができるはずだ。

 もっと、もっと己の身に若さを、美しさを、とスタラッティーテは願う。

「もっと、チェルヴァイの機嫌を取り、餌をたくさん食わせるんだ! あれは、私の前ではなにも食わない。お前が、もっとちゃんと育てて――」

 そこで、スタラッティーテの言葉が止まる。
 ハッとした。まさか、と思った。

「これは……、まさか……。フィアンマの封印が、解けた……?」


 氷に囲まれていた。
 魔法の力で作られた氷は、薄くガラスのよう。透けて見えるゆらめく海藻が、深い森のようだった。
 マーレが先を走り、フィンが追いかける形になる。

「あっ……! あれは……!」

 前方から、さまざまな獣たち――狼や熊、獅子のような姿をしているが、いずれもねじれた角があったり目が三つや四つ、さらにはそれ以上あったりして、異形の姿の獣――が、唸り声を上げつつ駆けてくる。

「あれは、氷の魔女の手下だ! やつらが、俺の両親を殺した……!」

 フィンが激しい怒りで叫ぶ。

「そうか。それなら、遠慮なく暴れさせてもらう!」

 マーレの青の髪が逆立ち――、マーレはさらに走る速度を上げ、刀を引き抜いていた。

「私は海の怪物……! 我が主人の敵、私が討つ……!」

 マーレ……!
 
 鬼神のようだった。刀が大きく弧を描き、飛び掛かる異形の獣たちを、次々と切り伏せていく。

「は、は、は……!」

 マーレの笑い声が、斬り付ける音、獣の断末魔の咆哮と共に氷の世界に響き渡る。
 刀を振るい続けるマーレだったが、マーレの力は、いっこうに衰えない。一頭、また一頭と、獣は倒れていく。
 フィンも刀を振るう。

 しまった、浅い……! 仕留め損ね――。

 ザンッ……!

「私が、守る。必ず」

 マーレの刀。フィンの一撃では倒れなかった獣に、マーレがとどめを刺していた。

「ありがとう……、マーレ……!」

 気付けば、襲い来る獣の姿はなかった。
 目の前に巨大な城が見える。水色に輝く、氷の城――。

 あれが、氷の魔女の城……!
 
「なにをしているのだ!」

 ビシッ……!

 突然、怒声と共に女が現れる。そして、氷がひび割れるような音。
 アイスブルーの長い髪を、蛇のようにうねらせている女――、氷の魔女スタラッティーテだった。

「私のかわいい神獣が、この騒ぎで死んでしまうではないか……!」

 氷の魔女……!

 フィンは、刀を握る手に力を込めた。

「フィン」

 フィンの前に盾のように立つマーレが、氷の魔女スタラッティーテに視線を定めたまま、振り向かずにフィンの名を呼ぶ。

「私の契約を、解除しろ」

「え!?」

 予想外のマーレの言葉に、思わず驚く。

「それから、走れ。私があの女を倒す。最悪でも、足止めする。だから、妹の救出に向かえ」

 フィンは躊躇する。

「でも、ここ、海の中、水の中じゃないよ。マーレ、元の姿に戻ったら――」

「あの山で、陸の雰囲気を掴んだ。大丈夫。陸でも暴れることができる」

 考える時間はない。フィンは、うなずいた。

「なにがあっても、振り返るな」

「マーレ……」

「絶対だ。ただ、走れ。フィン! 炎の魔女や占い師の尽力を、忘れるな」

 あいかわらずの「占い師」呼び。占い師の名乗りは、残念ながらマーレの耳に届いていなかった。
 フィンは、うなずく。そして、彼の名は、ニコラっていうんだよ、とマーレにちゃんと教えてあげてから、フィンは胸元の契約の輪を高く掲げた。 

「契約を、解除する……!」

 まばゆい光。氷の魔女が、目がくらむような光にひるんだ。
 轟音。巨大な海の怪物の姿が、現れる。

「なんだこれは……!」

 氷の魔女が、思わず叫ぶ。フィンはすでに走り出していた。しかし、氷の魔女は海の怪物の変身に驚き、すっかり気を取られているよう。

 ドーン、バリバリ……!

 恐ろしい音が聞こえる。振り返りたい衝動に駆られる。

 きっと、氷の魔女とマーレの激闘が繰り広げられているんだ……!

 フィンは、前を見続けた。

 俺は、アレッシアを助ける……! みんなの思いのためにも……!

 光が明滅する。背後からあふれる光――。おそらく、魔女が魔法を使った攻撃――。

 フィンは、唇を強く噛みしめた。

 マーレ……!


 城の中にも、獣たちはいた。フィンは、刀で応戦しつつ城の奥へ、奥へと進む。
 不思議なことに、城の外より城の中の獣のほうが、動きが鈍いし、弱いように感じられた。
 フィン一人でも、なんとか倒すことができていた。
 破壊的な波動の影響で神獣チェルヴァイが死んでしまうのを防ぐために、城の中の獣の数は極端に少なく、さほど好戦的でないものが配置されていたのだが、そんなことをフィンは知る由もない。

「にーしゃん!」

「アレッシア……!」

 ついに、兄妹は再会した。アレッシアのそばには、神獣チェルヴァイが震えている。 

「怖かったよ……、とっても、とっても……!」

「アレッシア……!」
 
 フィンは、妹をしっかりと抱きしめた。
 
 ドーン……!

 大きな音に、振り返る。

「小僧……! 姿が見えないと思ったら、こんなところにまで来ているとは……!」

 怒りに震える、氷の魔女が立っていた。

 マーレが、負けたのか……!

 フィンは、刀を氷の魔女に向ける。

「おのれ、氷の魔女……! 俺が、相手だ……!」

 叫びながら、駆け出した。

 両親の、あの娘さんの、娘さんの大切な人たち、和馬さん、健介さん、そして、大勢の人たち、それから……、それから……!

 フィンの頬に、流れ落ちる涙。

「マーレの、仇……!」

 ドーン!

 さらに、大きな音。

 え。

 城の壁をぶち壊す、大きな音。

「マーレ!」

 マーレは、生きていた。城に引き返した魔女を追って、遅れて来たのだ。
 氷の魔女が、舌打ちする。
 そしてあっという間に、氷の魔女はフィンの横を飛んで移動し、アレッシアを抱えていた。

「アレッシア!」

「これ以上、騒ぐな! 神獣チェルヴァイが、死んでしまうではないか……!」

 氷の魔女は、アレッシアの首元に、自身の長い爪を向けた。

「ふふ……、こいつを、探しに来たのだろう? 小僧。お前はこいつを死なせたくないのだろう……?」

 長い爪が、アレッシアの首元にくいこもうとしていた――。

「アレッシア……!」

「こいつの命が、惜しければ――」

 フィンの手が、震える。刀を放せ、降伏の意思を見せよ、と氷の魔女は顎で促す。
 
 くそ……、アレッシアを、人質に――。

 呪いに縛られたように、フィンは立ち尽くす。

 カシャーン。

 ついに、フィンは手に持っていた刀を床に落としていた。
 そのときだった――、つんつん、フィンの背をなにかがつつく。
 振り返る。すると、怪物の姿のマーレの大きな鼻先。

 マーレ……。

 マーレはさらに、鼻先を少し上にあげる。フィンの胸元、ペンダントのリングの辺りへと――。

 え……?

 マーレの鼻が、契約の輪に触れた。
 放射状に輝く光。

「な……!?」

 氷の魔女は、またしてもあふれた突然の光に、戸惑ったに違いない。
 すでにアレッシアを人質にとっていることの、油断もあったに違いない。
 光がおさまり、目が慣れてくると――。

「貴様の美への激しい執着。アレッシアはおそらくそれに関することで狙われた。アレッシアはお前にとってどうしても必要な存在。ということは、貴様がアレッシアを手にかけるはずはない」

 人の姿に戻ったマーレ。マーレは、フィンが落とした刀を拾い上げ駆け出していたのだ。
 そして――、氷の魔女の胸を一突きにしていた。

「ま、さ、か……」

 氷の魔女が、うめく。信じられない、というように。
 マーレが刀を引き抜き、氷の魔女が倒れる。アイスブルーの髪とあふれる血が、溶け出す氷のように広がっていた。

 氷の魔女――、ついに、ついに、倒したんだ――!

 フィンは泣きだすアレッシアを、ぎゅっと抱きしめた。 
 氷の魔女は、息絶えることでそのままの「若さ」を得ることができた。永遠に――。

 ビシッ……!

 大きくひび割れる音がした。天井から、ガラガラと、崩れ落ちる氷。

「フィン! もう一度、解除だ! 魔女が死んで、氷の魔法が解けたのだ! 早く私を海の怪物の姿に……!」

 フィンはうなずき、急いでもう一度契約の解除を宣言する。
 怪物の姿になったマーレが、フィン、アレッシア、神獣チェルヴァイを抱くようにして、海を泳ぐ。
 目の前に広がる、深い青と、泡の白。

 嵐のあの日みたいだ――。
 
 マーレの長い爪のついた手が、フィンたちをしっかり抱え、泳いでいく。
 青の世界を進んでいくと、炎の輪が、待っていた。


 フィン、アレッシア、神獣チェルヴァイが先に、炎の輪の向こうへ出る。
 マーレは、炎の輪の向こうへ行ったフィンに向けて鼻先を上げた。フィンの契約の輪に触れ、人の形に戻ってから炎の輪の向こうへ行こうとした。
 しかし、フィンは首を横に振った。

「そっちはちょうど海だ。マーレの棲む海とは違うけど、もしかして、マーレはこのまま、俺とお別れしたほうがいいんじゃないかな――」

 フィンは思う。マーレは、海の怪物。今まで、契約の輪で縛ってきたけれど、本当は、一刻も早く自分の世界に帰りたいのではないか、と。
 マーレは、じっとフィンを見つめる。
 
「マーレ。今までありがとう。本当に」

 感謝の気持ちを伝えるフィンだったが、言葉が、通じていないのかもしれない。脇にいるアレッシアが、フィンの袖を引っ張る。

「マーレしゃん。質問してるよ。にーしゃんに」

「え。マーレは、なんて言ってるの……?」

 アレッシアは、マーレの鼻先に近づき、マーレの話を聞くようにしていた。それから、フィンに向き直る。

「えっとね。あの山で、にーしゃんは『マーレ、俺は』って言ってたけど、あれはなにを言おうとしていたんだって、そう聞いてるよ」

 あのとき。山の怪物と天秤にかけ、よりよいほうをしもべにせよとマーレが言った、あのとき。フィンはなにかを言いかけていた。

「俺は――」

 炎の輪の向こう、見つめる、マーレの青い瞳。

 俺は。

 フィンは、はっきりと告げる。あのときの、言葉の続きを。

「俺は、マーレがいい。俺のしもべは、マーレがいい。そう言おうとしたんだ」

 アレッシアがうなずき、あのね、とマーレに伝える。フィンの言葉を、マーレに。
 ほどなく、マーレからの返事が、アレッシアを通して返ってきた。

「『私もフィンがいい。私がフィンを守らなければ、心配で眠れんからな』、マーレしゃん、そう言ってるよ!」

 輝く笑顔のアレッシアが、両手を大きく、大きく広げながら伝えた。
 大きく広げた手は、マーレの気持ちを精一杯表現した、とびっきりのもの。

「マーレ……!」

 フィンは、マーレの鼻先に抱きついた。抱きついた拍子に、契約の輪が触れる。光。そして――。

「家に帰るまでが遠足。そんな言葉が私の基礎知識にある」

 人の姿のマーレが、片頬で笑っていた。全裸の腰に手をあて、少々顎を上げ見下ろしつつ。

 マーレ! 婦女子の前で……!

 叫びながら、マーレを隠すように前に立つフィン。
 絶句し赤面するフィアンマ、きゃあーっ、えっちー、と笑いながら叫ぶアレッシア。
 呆然とする占い師ニコラ。
 神獣チェルヴァイは、草をはみ始めていた。
 帰るまでが遠足。
 帰るまでが冒険。
 たくさんの辛い思い、悲しい思い。帰っても、きっとアレッシアは傷ついた心を抱え、さらに両親のいない悲しく辛い現実はそのままだ。
 それでも、笑顔があった。今、ここでは。
 そしてきっと、これからも。
 占い師ニコラは明日の開店の準備をし、これからフィアンマは人として生きるだろう。
 神獣チェルヴァイは、フィアンマと暮らし、時折ニコラが訪れるに違いない。
 フィンはアレッシアと手を繋ぐ。ずっと、ずっと。やがて、それぞれの道を歩むまで。
 フィンは、マーレに微笑みかける。

「マーレ。本当にありがとう……。これからも、よろしくな」

「貴様。なんなりと、申し付けろ。世界一偉大な、このしもべに」

 瑠璃の花が、輝いていた。



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