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【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第2話

第2話 レイオル、そしてレイオル

 逃げ出したほうが、いいのかな。

 レイは、ぼんやりとそんな可能性を考えてみる。
 逃げ足には、自信があった。実際、追いかけてくる町の人間たちから、逃げ切れていた。
 なにせ、人間ではなく小鬼。
 身体能力は人間よりはるかに優れており、さらに怪物としての特殊能力も、生まれたときから――ボーナスポイントのように――きちんと付与されていた。
 
 イケる。きっと。このレイオルって人間、魔法使いとしての力があるみたいだけど、所詮人間。俺の全力に、かなうはずがない。

 レイは、自分の「小鬼ボーナスポイント」を信じた。

「さて。では行くか」

 レイオルが、長い青の髪をなびかせ前を向く。レイオルが自分から視線を外した瞬間を、レイは逃さなかった。

 びゅっ。

 レイは駆け出した。全力で。

 ずっと狭い小瓶に入れられてた。でも、ちゃんと足が動く! 体も軽い! 人間を振り切るなんて、ラクショー!

 レイは笑いだしそうになった。すべては元通り、自分ひとりだけの完全自由の気ままな生活が、両手を広げて待っている。
 流れる緑。レイはここが自分の住んでる森だとすぐわかった。あの老魔法使いは、レイを小瓶に封じたあと、すぐにその場の土中深く小瓶を埋めたのだ。

 懐かしい木々の匂い! 頬を撫でる風! ああ、なんて素敵なんだろう……!

 木の根を飛び越し、赤い実のついた木のところで素早く曲がり、さらに駆ける。勝手知ったる、自分の庭である森を突き抜け、とりあえず、隣の山を目指してつむじ風のように速く――。

 隣の山まで行けば、とりあえず安心かな――。

「早速逃げるんじゃない、レイ」

 わあっ、心臓が飛び出るかと思った。頭の三本の角も、驚きのあまりすっぽ抜けるかと思った。レイは大きな目をさらに大きく見開き、思わず叫んでしまった。

「なんで俺の横を並走してんの!?」

 魔法使いレイオルは、表情をまったく変えず息を切らすことなく、レイに追いつき並んで森の中を駆けていた。さらに言うと、音も気配も感じさせずに。

「に、人間だよね、レイオル――」

 息を切らしているのは、小鬼であるレイのほうだった。

「小鬼だよな、レイ」

 レイオルは、ひょいっとレイの体に巻いた布を掴み上げた。そして、レイの目線が自分の目の高さに合うよう、レイの小さな体を持ち上げていた。

「どーゆー能力!?」

「私は、優秀な魔法使いなのさ。とても」

 にい、と笑う。どう見ても、レイオルのほうが怪物――。

「レイ。お前を助けてやったのは、いったい誰だ?」

 ぷらん。持ち上げられたレイの体が揺れる。

「……レイオル様です」

 しょんぼりと、地面に目を落とすレイ。持ち上げられた足先から、地面、ちょっと遠い。レイオルの体のでかさと力の大きさに、それに比べてつまみあげられている自分の貧弱さに、圧倒されていた。

「私の名に、『様』はいらない」

「えっ、いらないの?」

 ちょっと意外だった。思わず、目を見つめてしまった。レイオルの、美しい水色の瞳。

「いちいち名前に付属品をつけていたら、言うのも聞くほうも面倒、時間の無駄だ」

 え。付属品って、「さ」と「ま」、たった二文字だけだと思うけど。

 人間って、そういうところに気を遣うものでは、とレイは思う。そういう言葉を付け足すことで、相手に敬意を表したり、ときには差をつけることで自分の立場を明確にしたり。それは、耳に入ってきた旅人たちの会話から学んで理解した、レイの「人間学」である。
 レイオルは、相変わらずレイには読み取れない謎感情の無表情さで、淡々と続けた。

「それに、完璧である私の名。これに装飾をつけることは、私の名の響きの純粋な美しさ気高さに曇りをもたらす行為だ。まあもっとも、崇高な私の名、余分な言葉ごときで汚れることはない。どのような言葉をくっつけようが、本質は変わることはないからな」

 レイオルは、偉そうにちょっと顎を上げレイを見下ろすようにしたあと、レイを地面に降ろしてやった。意外にも、ゆっくりと丁寧に。

 レイオルって――。

 ぽかあんと見上げる。見上げた先の冷たい泉のような瞳は、揺れることもない。

 もしかして……、変わってる……?

 レイオルを見つめるレイの目。完全に、森の珍獣を見つめるような目になっていた。
 そんなレイの視線など気付かない様子で、レイオルは、ふっ、かっこよく決まった、と言わんばかりに自分の頬にかかった長い髪を、後ろのほうへと無造作に、さっ、と、手の甲で払っていた。レイオルの艶やかな髪は、輝きをまといつつ、さらりと定位置に戻る。
 
「ふ、は、は、は、は!」

 突然後方、来た道から、大きな笑い声がした。
 またしてもレイは、ぎょっとし、勢いよく草の上に尻もちをついてしまった。

 え? 怖い! 怖いんですけど!

 小鬼のレイは、恐怖に震え上がった。唐突過ぎる、森を揺るがすような大きい笑い声。

 怪物!? 怪物来ちゃった……!?

「大変だよ、レイオル! もしかしたら、小鬼を襲う怪物が来たのかも――」

 小鬼を襲う怪物、そんなものは小鬼の両親からも聞いたことがないが、思わずレイオルに抱きつく。ちなみにレイは、逃げること特化型で、戦闘能力については自分でもわからない。今まで、必要がなかったから。

「大丈夫だ、レイ。怖がることはない。私に従うのなら」

 レイオルは言った。優しく聞こえる気がしなくもない声で。
 すると、木々の向こうから大声が聞こえてきた。先ほどの笑い声の主、怪物とおぼしき声。しかしそれは、意外にも――。

「大丈夫だ、レイ。私に従うのなら。私に従属する限り、私は主、敵ではない」

 はっきりと、レイオルの声だった。

 えええええ!? どゆこと!?

 目の前のレイオルの声と、離れたレイオルの声。
 どう考えても、レイオルが二人存在する。
 後ろのレイオルと、前のレイオル。
 レイオルが、もれなく二倍。

「ご苦労だった、分身」

 木の向こうから現れた、新手のレイオルが言った。

「ああ。ねぎらいありがとう。本体」

 レイが抱きついていた、旧レイオルが言った。
 
「レイ。安心したろう? あれは私で、私はあれだ」

 互いに指差し合い、新旧二人のレイオルが声を揃える。

 化け物ーっ……!

 ふたたび地面に尻もちのレイ。自分のつけた地面のお尻の型に、ハマる。
 レイオルはレイオルに向かって歩き出し、レイオルもレイオルに向かって歩き出す。
 風に小枝が揺れる。
 緑がそっと揺れる中、手と手を合わせ、二人のレイオルは重なるように一人になった。

「人間の身で、お前の速度に追いつくわけがないからな。私の分身を飛ばした」

 ざっ、草を踏みしめる音を立て、一つに統合したレイオルが歩み寄る。
 手を、差し出した。尻もち状態のレイへ。

「私に従うだろう? 私が、お前を助けた恩、わかっているな?」

 優しい感じに、聞こえるとも聞こえないともいえない、低い囁き声。
 空から、小鳥のさえずりが聞こえる。レイがどう思おうが、なにを感じようが、封印前と変わらず、森はいたって平和だった。

「……はい」

 手を取り、うなずくレイ。レイオルは、レイを立ち上がらせた。

「今の返事、契約だ。私が生きている限り、有効な、契約」

 契約――。

 幼いころ、いたずらをしたら、怖い人間がお前を見込んでやってくるよ、と母がよく言ったものだった。
 怪物と契約を結び、人間が怪物を使役する、そんなこともあるから、あまり人間には近寄ってはだめよ、と諭したことも。

 そんなの、ただの作り話かと思ってた。

 自分が恐れるべきは、力のある怪物であり、人間はあくまでひ弱な生き物と思っていた。
 そんなことを思い出していると、レイオルは――、

「お前は私を守り、私はお前を守る。それが封印から解き放たれたお前の役割であり、封印を解き放った私の責務でもある」

 と、微笑んだ。優しさにもっとも近い、冷たさを持って響く声で。
 レイは自分の顔が微妙に引きつるのを感じつつ、

 優しい微笑み。うん。たぶん。

 と、思うことにした。



「これで、角はわかるまい。町に着いたら、帽子を買ってやろう」

 レイオルは、所持していた布をレイの頭に巻いて、三本の角をわからないよう隠した。

「それから、飯だな」

 飯……。

「レイ、お前はなにを食うんだ? 『人間』以外なら、なんでも用意してやるぞ」

 レイオルの質問に驚いた。まさか、自分のぶんの食べ物について考えてくれるとは、と。
 レイは正直に答えることにした。自分は、少量の植物と、自然の中のエネルギーを摂取している、だから、自分で取ってこれるし、特に食べ物を用意しなくても平気だ、と答えた。

「……逆に、食べられないものは?」

 レイオルが尋ねる。いや、食べられないものは、実は特にない。好んで食べないだけで、肉も栄養として消化できた。

「ええと、人間」

 形の類似点が大きいから、と理由も告げた。

「一緒だな」

 笑ってレイオルは大きくうなずいた。

 逆に、俺よりレイオルのほうが、人間を食べそうだよ。
 
 そんな言葉が口をついて出そうになったが、慌ててレイは引っ込めた。
 ほどなく、町に着いた。昔レイが訪れた町とは異なる町だった。
 もしかしたら、レイが封印された当時にはなかった、新しくできた町なのかもしれない。

「わあ、すごい……!」

 約束通り、レイオルは真新しい帽子と服、靴に身を包まれることになった。
 
 なんだか、嬉しいな……! 服や靴って、こんなに心が落ち着くんだ……!

 体を守るお守りとか、新しい自分になる魔法みたいだ、と思った。

「窮屈じゃないか? 嫌じゃないか?」

 支払いを済ませ店を出て、雑踏の中を歩きながらレイオルが尋ねる。
 行き交う人は、レイが小鬼であることに誰も気づかないだろう。

「ううん……! 全然! 楽ちんだし、すごくいい気分だよ……!」

「それなら、よかった」

 レイオルは次に訪れるべき店を見つけ、レイを伴い入店する。

「わあ、こんなに……! すごい……!」

 レイの目の前に、見たことのないご馳走が、湯気を立てつつ並んでいる。
 レイオルは、自分と同じ料理をレイのぶんも注文していた。

「俺、そんなに必要としないんだけど……?」

「気にするな。食べておけ。これから働くことになるだろうから、栄養をつけておけ」

 働く――。

 そういえば、とレイは思う。
 従え、手駒だ、働け、とレイオルは言うが、レイオルがレイを封印から解いた理由はなんだろう、と。

 俺みたいな小鬼、レイオルが必要とする理由って、なんだ?

 レイオルの力の強さは、ひしひしと感じる。封印の解除、分身、他にも色々な術を使えるに違いない、と思った。ちっぽけな子どもの小鬼の自分の力など、レイオルにとって取るに足らないものなのでは、と――。

 そして、この待遇のよさは、なんで……?

 レイオルは、なにも告げない。ただ、食え、元気をつけろ、と言う。嫌いなもの、食べきれないのであれば、食ってやる、とレイの皿に箸を伸ばしてくるあたり、他の人間の目、行儀に関しては無頓着らしい。

 おいしいし、楽しい、な……。ずっと、ひとりの食事、必要最低限の食事だったから――。

 レイは、うさぎと並んで草を食べたこともある。木の実を食べるのに、リスと並んだり、小鳥たちと並んだことも。それは賑やかでいつでも新鮮で、楽しかった。
 でも、自分とこんなに似ている姿かたちの存在と食べたのは、幼いころ、両親との食事以来だ、と思う。

 あったかいな……。

 胸に感じるあたたかさは、目頭が熱く感じるのは、喉を通る食事のあたたかさなのか。よくわからないが、レイにとって深く、心揺さぶる時間が続いた。
 気が付けば、空には三日月が輝く。
 大きな建物に着いた。

「ここに泊まるぞ」

 レイは、ここでも大いに驚く羽目になる。

「ここは、宿屋というものだ。眠るために使う」

 風呂、そして布団。衝撃ともいえる、快適すぎる人間の暮らしに触れる。

 小鬼がだめになる布団……。

 色々尋ねるべき疑問、今後の自分に関する不安、向き合うべきことがありすぎたが、レイはふかふかの布団に、すっかり心を奪われてしまった。

 人間って、いいな……。

 呟いたのかもしれない。呟かなかったのかもしれない。
 レイの心の声がだだ洩れだったかどうか定かではないが、隣の布団に横たわるレイオルは、レイのほうを向き、そっと笑みを浮かべたようだった。
 
 優しい人間なのか。恐ろしい人間なのか。

 小鬼も夢を見る。
 夢の中で、レイの父親と母親が、丸、バツ、と書かれた札を持っていた。

 使役するのは、恐ろしい人間なの……?

 父親と母親は、札にせっせと赤い筆でなにか上書きしている。

 星形。

 夢の両親は、白黒の判断を放棄していた。

 夢の中で、現実逃避しないで欲しい……。

 頑張れ、両親は両の拳をそれぞれ小さく上下に振り、励ますことでレイの不安を丸投げしていた。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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