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【創作長編小説】天風の剣 第70話

第七章 襲撃
― 第70話 希望の子ら ―

 深海の暗闇の中、新たな金の光が差し込む。

「シリウスさん……!」

 アマリアが目を見張り、その名を叫んだ。

 高次の存在……! 純白の翼が、四枚……!

 キアランは、突然目の前に現れた、四枚の翼の高次の存在に戸惑う。
 カナフは、とキアランがカナフのほうへ視線を向ける。カナフもシリウスと呼ばれる高次の存在を見て、どういう思いかはわからないが、少し驚いているようだった。
 カナフは、自分の胸に手を当て少し息を吸い込み、心を整えるようにした。それから、シリウスに対して言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いていた。

「……ヴァロは、自ら犠牲となる道を選びました。それは、我々に、あの四天王の急所を知らせるために、とのことです――」

 カナフは、キアランやライネ、シルガーから聴いたヴァロの行動の真意を、シリウスに伝えた。
 
「そうだったのですね――」

 シリウスの瞳は揺れ動き、改めて強く胸を痛めたようだった。

「アマリアさん……! あの、シリウスさんって――」

 シリウスを知っている様子のアマリアに、キアランは小声で尋ねる。

「シリウスさんは、私たちの村を訪れてくださり、様々な情報をくださるかたです」

「あ! 『翼を持つ一族』と呼ばれる、高次の存在……!」

「はい……!」

 アマリアは、キアランを見つめ頬を染め、少しはにかんだ笑顔でうなずく。
 アマリアの恥じらうような仕草を見て、そこで初めてキアランは、ハッとした。

 そうだ……! さっき、アマリアさんは、私に……!

 いきなり鮮明に先ほどの出来事が、キアランの脳裏に蘇る。
 泡の壁越しの、口づけ。忘れていたわけではないが、戦いに気を取られていたキアランは、そのことを思い返し意識する時間も余裕もなかったのだ。
 
 ぼっ。

 まるで、顔から火が出たのではないかと思われるほど、キアランは真っ赤になっていた。
 ふと、強い視線を感じる。キアランが視線の感じるほうへ顔を向けると、シルガーとライネの興味津々といった表情にぶつかる。

「なっ……、い、今は、それどころじゃない……!」

 あまりの気恥ずかしさにどうしていいかわからなくなり、キアランはシルガーとライネに向かい、持て余した感情を爆発させた。

「誰もなにも言ってないぞ。キアラン」

 飄々と、シルガーが答える。

『誰もなにも言ってないぞ。まだ』

 深海の中、泡の中にいるアマリアやキアランと違い、ライネは会話ができない。しかしその笑顔は、いかにもそう述べているようだった。

「それで、『それどころ』って、どれどころだ」

「おかしな言葉使いはやめろ! シルガー!」

 ますます顔を赤くし、シルガーに食ってかかるキアラン。 

『ほんと、それどころじゃないぞ』

 そういった様子でライネが顎をしゃくり、ふたたびシリウスとカナフのほうへ注意を向けるようキアランを促す。
 
「シリウスさん……。もしかして、皆との話し合いで、やはり私を連れ戻すということに決定したのでしょうか……?」

 カナフが、シリウスに尋ねていた。
 シリウスは、残念そうにため息をつき、うなずいた。

「ええ……。私は最後まで反対したのですが……。やはり、カナフ。あなたの心は人間に近過ぎると――」

「そうですか……」

「あの禁忌を破った四天王の破壊活動を封じるために、人間や協力的な魔の者の動きに力添えする、そういう方向で意見はまとまりました。しかし、やはり一定の線引きは必要という判断のようです」

「シリウスさんは、私を連れ戻すためにここまで……」

「いえ。違います」

 シリウスは、微笑み、穏やかな様子で首を左右に振った。

「え……?」

「その逆です」

「逆……?」

「海上に、たくさんの同胞が集っています。見つからないようどこかへ逃げるよう、あなたに伝えるために来ました。皆にそれと気付かれないようにして、ね……!」

「シリウスさん……!」

 カナフの顔に、驚きと喜びが広がる。自分のために、わざわざ工夫をしつつここまで来てくれた、その事実がカナフの心を揺れ動かしているようだった。
 シリウスは、キアランのほうへ向き直った。

「あなたが、四天王ゴールデンベリルと人間の娘アウロラ、のご子息ですね」

 キアランは、初めて自分の本当の母の名を知った。

「もしかして……! あなたが、私を育ての母に託したという……!」

「いえ……。違います」

 キアランは、シリウスの穏やかに響く声を聞いて思い出す。そういえば、アマリアさんもそれは違うと話していた、と――。

「おそらく、あなたを育てのお母様に預けたのは、四天王本人でしょう」

「え……!」

 キアランは、シリウスの顔を見た。

「父が……!」

「四天王は、あなたとあなたのお母様を魔の者にさらわれ、不利な状況のまま戦い、そして敗れたのだと聞きます。あなたのお母様はそのとき残念ながら命を落とし、そして瀕死の状態となった四天王は、なんとかあなたと天風の剣だけ救い出すことに成功したようです。そして、そのあとのことは憶測なのですが――」

 キアランは、一語一句漏らさぬように、シリウスの話に聞き入る。

「四天王ゴールデンベリルは、最期の命の炎を燃やして人間の住む山里にたどり着き、そこでたまたま初めて会った女性に、あなたと天風の剣を託したのではないかと――」

「偶然初めて会った……」

「でも、きっと、似ていたのでしょう」

「え……」

「彼女が、自分の深く愛した妻に――」

 シリウスのその言葉を聞き、キアランは目の前が、ぱあっと開けたような気がした。
 不思議な感覚だった。今、自分は深海にいるはずなのに、父と育ての母、その対面の様子の前に自分がいるような気がした。
 深い森の中。川が流れている。若い女性の前に突然現れた、恐ろしい四枚の漆黒の翼を持つ異形の存在。しかし、彼は激しく傷付いている。そしてその腕には幼子が抱えられている。女性は、逃げ出さなかった。そして、得体の知れない幼子を受け取った。それはきっと――、その異形の者の瞳が、とても優しく、悲しく、切なげだったからに違いない――。

『人の子として、育てて欲しい』

 そのときの父の声が、聞こえた気がした。

『私はもう間もなく死ぬ。この子を、この剣――、天風の剣と一緒に、どうか守って欲しい――』

 若い女性はうなずき、そして自ら進んで手を伸ばし、その胸に幼子を抱く――。
 川のせせらぎ。安心したように異形の者は微笑み、そして長いため息を吐き、川のほとりに崩れ落ちる。そしてそれきり彼は、動かなくなってしまった――。
 育ての母は、その異形の者を「魔の者」とも「四天王」ともキアランに説明しなかった。ただ、「翼を持つひと」と。それは、キアランへの気遣い以上に、彼のことを人間の敵とは見なさず、敬愛の気持ちを持ってそう述べたのではないか――。

「キアラン」

 シリウスの声を耳にし、キアランの心は現実に帰る。

「世界の均衡をなにより重視する我々の中には、あなたの存在を危険視する者も少なくありません」

 キアランは、黙ってうなずいた。

 私は、異端だ……。秩序を重んじる存在にとって、私は確かに――。

 高次の存在たちの、自分を見つめる無機質な表情が思い出される。

「しかし私やカナフは、あなたを希望の子、そう信じています」

「え……」

 シリウスの言葉に、驚きキアランは顔を上げた。
 シリウスの笑顔は、海のように深く透明で、優しく包み込むようだった。

「あなたのご両親にとって、そうであったように……!」

「シリウスさん……!」

 キアランは、胸がいっぱいになっていた。どこにも属することのできない異端の者、それが自分だと今までそう思っていた。

 希望の子――。

 ゆっくりとその言葉が心の中にしみこんでいく。大切な宝物のように、キアランはその言葉をそっと胸の中心に置いた。

「さあ……! あなたがたも、皆に見つからないように移動してください。四天王シトリンたちは、四天王アンバーやその従者たちの動きを察し、その場を立ち去りました」

「シトリンたちも……!」

「はい。『アンバーのおじちゃんたちも行っちゃったし、キアランおにーちゃんたちも無事みたいだし、四聖よんせいのとこ行こうっと!』と、私に耳打ちし、飛んで行きました」

 耳打ち、といってもシトリンのことだから、きっととんでもなく声は大きいだろうなあ、とキアランはぼんやり想像する。

「なるほど。真上に浮上しようと思ったが、それならばこのまま大陸のほうへ進むとするか」

 シルガーが呟く。

「シルガー! お前、私たちと共に行動してくれるのか……?」

 キアランは、シルガーの提案に思わず声を弾ませた。

「お前らだけで、あの連中のところに無事戻れるとは思えん。それに、お前らといたほうが、なにかと面白そうだしな」

 ライネが、じっとシルガーの顔を見ていた。

「その顔は、『ひまなやつ』、そう言っているようだな」

 ライネは元気よくうなずく。『ひまなやつ』、そう全力で述べていた。

「……私も、我ながらそう思うよ」

 シルガーは、自嘲気味にそう白状する。キアランとライネは顔を見合わせ、吹き出した。

「ありがとうございます……! シルガーさん……!」

 アマリアとカナフが声を揃え、顔を輝かせながら礼を述べていた。
 シルガーは、純粋な気持ちで礼を述べるアマリアとカナフに一瞬戸惑い居心地の悪そうな表情を見せたが――、軽くうなずいて返事をする。どうやら、まんざらでもないようだった。

 シリウスは、ライネとシルガー、そしてキアランとアマリアを笑顔で眺めていた。
 シリウスとカナフは、あたたかな視線を交わす。

『希望の子ら』

 シリウスとカナフの眼差しは、そう彼らを眺めているようだった。



 ハッ、ハッ、ハッ……!

 犬が、走る。
 荒々しい息遣いで、大地を駆ける。
 その嗅覚は、鋭かった。
 エネルギーは、高度な魔法で隠され守られている。
 しかし、匂いは別だった。
 犬は、探索し続ける。主人のために。
 不気味な三つの赤い目を持つ犬が――。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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