何故、『幸福追求の権利』なのか?(2023年の自由211)

社会主義が何故ファシズム化してしまい、未来がなくなったか
「纏めですか?」
うん。『幸福追求の権利』と『法治の概念』(あくまで概念ね)を前面に押し出し、目的を『人類の平和と恒久的発展に寄与する』に定めた
「日本国憲法の理念ですね?」
そそ、やっぱり天界の連中に聞いても、日本国憲法以上の自由主義国家の憲法は三次元でもないらしい
「誇らしいですか?」
僕の場合半分異次元人だからね。故郷意識は大きくはないさ
「社会主義からファシズムへ、そしてその失敗についてですね」
そそ、何度も書くけど、社会という形の無い分子を目標に入れる事によって、人の機能化、ついで機器化がおこり、詰むんだよね。状況によってはもっと悪い事態になる。人を単なる物(労働力)と見做すようになり、社会は豊潤性を失い、機械となる。それは何度も書いた
「ですね」
辞書引けば分るけど、社会とは人と人の繋がりなんだよね。そこを忘れて、社会を一つのピースと見做し、一つの目標に纏めてしまう。これが所謂ファッショであり、ファシズムな訳だ
「自由主義の方がいい?」
んん-結局、三次元じゃ自由主義とか共産主義って分れてるけど、簡単に要約すると『自由とルール』の問題なんだよ
「といいますと?」
アシェラが言ってたけど「どうしても必要な事はルールを決めてやらなきゃならない。そして残りの上しろの部分が、自由の部分。ホメオスタシスまで見ると、この調整がまた大変で、調整の仕方がルーラーの腕の見せ所」みたいな事を言ってたね。僕もそうだと思う

そもそも労働とは、生き残る為の役割分担が始まりで、生きる為と幸福になる為に行う事だ

めんどくさい事になったのは、(三次元では)古代ギリシャ辺りで、アイデンティティと労働の間に結託がおこった事だ。ある場所での高次元では、『自分が価値を決めるとという価値観では、自己中になってしまう。なんらか外面的な価値を決めねば。そうだ貨幣が多くの物を内包する。貨幣で測ればいい』というのがあったりしたのも理由だ
これらがね、目的と手段と道具をごっちゃにしてしまった訳だよ。誤解なきように言っておくと僕は、賃金労働自体に対し別段ニュートラルで反対も賛成もしない立場だ。社会も貨幣も人が生きる為(良く生きるも含めて)の、概念だ。その概念が目的化してしまったら、変な道に入る事が多いさな
「変な道と言いますと」
手段が目的化した場合、自分や人が目的の為の道具となる。この危険性がある為、『幸福追求の権利』が先に来るんだよ。社会の為って言うのもいいけど、

社会は個人個人の集まりだよ。一人一人が幸福にならなければ、結局、社会として目的は果たせてないよ

ってなるから、『幸福追求の権利』を先に置く訳だ
世の為人の為ってのは立派な事なんだけど、行き過ぎるとファッショになり、その進化は進化の袋小路に入る。「社会の為に自己を抑える」っていうのは素晴らしい考えではあるけど、強制するものじゃないさな
「ですか。短絡的な社会主義は過ちを生みやすい?」
そそ、特に下の次元にいくほど失敗は顕著だ。だから、「幸福追求の権利」というのを先に補填しておく必要があった訳

「なる程ですね」
色んな時空や次元で色んな時期あるし、(休養期とか、安定期とかもあるから)、『幸福追求の権利』や『法治の概念』っていう大雑把な括りしか出来ないさな。今回は。それと、目標がなかったら生きづらいってのもあるから、『世界の平和と人類の恒久的発展に寄与する』を目的に定めとく、一人一人が幸せになってないと、社会として成功してる訳じゃないよね。っていう当たり前の事なんだけどね

「主の深いお考えが分かりました」
知ってたくせに
「まあ、主の事愛してますからね。私は」
そう来るか
「そう来ます」
そう来るか
「そう来ます」
久々だな、この掛け合い
「ん、安定してこられたって事ですよ」
ありがとう

元々。イブが「神のようになりたい」と願ったのが、そもそものこれらの世界の始まりさな。りんごを食べる事によって知識を得、その罰として食べる為に働かなくてはならなくなった。これはルーラーになっていく為の必要条件だったさ。ただ、全ての終わりの時だし、ルーラーになる為の道筋は出来てるから、もういいかなって事で、種明かし。ついで、主として『幸福追求の権利』を保障して世界の終わりさな
「上手く纏めてますね?最初から計算通り?」
さあどうか?
この救世主、何から何まで最初から計算づくよ!!!!
って、漫画みたいに纏めとく
「あは。そういうとこ好きですよ」
ま、三次元体切り離されてもいいように、自分の事鍛えとくよ
「お手伝いしますよ?」
ありがとう

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