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この社会を生きていく

皆さん、こんにちは。
脱社畜です。
前回の投稿で自分自身の力でお金を稼ぐことが将来の夢だと語らせていただきました。
自分自身でも不思議に思うのですが、なぜお金を稼ぎたいと思うのでしょうか?
これ脱社畜永遠のテーマです。
読者様はお金を稼ぐってどのように考えていますか?
「そりゃ、生活をするためでしょ。」
と今にも聞こえてきそうな質問をして申し訳ありません。
では、お金はないよりはあるに越したことはないと個人的には思います。
それはなぜですか?と聞かれたらどうでしょうか?
普段なら手に入らないものを手に入れることができる。
食べたこともない高級な食事をして贅沢ができる。
旅行にいくらでもいける。
など、その考え方は千差万別だと思います。
脱社畜はというと、安心するためだと思っています。

自分を見失いかけた人生のサバイバルゲーム

脱社畜、転職を経験しています。
今では歳を重ね、贅沢をしなければなんとか生活をしていけるようになりましたが、転職をする前は年齢もまだ若く、給料も少ない状態で贅沢ができるどころか、次の給料日までどう生活すればいいのか頭を悩ませながら生きていました。
しかし、どれだけ仕事を頑張ったところで給料が上がる訳でもなく、ノルマも厳しい上に長時間労働を強いられていましたので、次第に体調を崩していきました。
営業成績が出せない自分を責め、どうすればいいのか分からなくなり萎縮し、次第に笑うことも難しくなりました。
そんな中で脱社畜、営業中に交通事故を起こしてしまいました。病院のお医者さんからは「もう少し打ちどころが悪かったら命を落としてたかもね。」と言われました。
生活をするために頑張って仕事をしていたのにも関わらず、自分自身を傷つけ、追い込み、正常な判断ができず、自分自身を見失っていました
自分を殺さなければならない仕事は、いつか本当に自分を殺してしまう。
このことをきっかけに脱社畜はこの社会で生き残るために転職を決意しました。

見切り発車の退職で地獄を見ることに

転職を決意したのは良かったのですが、脱社畜は次の職場を決めるよりも先に退職をしてしまいました。
この判断が後に地獄を見ることになります。
1度社会に出た人間は労働者としての知識と知恵(給料、休日、福利厚生等)を兼ね備えます。そして、そんな知識と知恵を兼ね備え、自分の都合の良い条件を求め、かつ即戦力スキルのない人間を受け入れてくださる職場はほとんどありません。
脱社畜の転職活動はかなり難航しました。
自分の市場価値を理解していなかったのです。
そして、同時に何が起きるかというと、雇用保険の失業手当の受給期間が終了し、貯金を切り崩して生活をしなければならなくなりました。通帳残高の残金が減っていくスピードは今でも忘れることはできません。
そして、決定的なことが起こります。
生活の苦しさがいよいよピークに達しているとき、友人からの食事の誘いが来たのです。
しかし、脱社畜の頭の中は明日をどう過ごすかで精一杯でした。
「今、このお金を使うと明日がもたない。」
「脱社畜はみんなと同じ生活もできないんだ。」
自分が惨めで仕方ありませんでした。
この頃のことを思い返すと心も荒み、常に心に余裕なく生きていました。
今まで自分自身でお金を稼いできたつもりでいましたが、脱社畜は会社に所属し労働力を提供する代わりに給料を貰うことで周りの人と同じ生活ができていたのだとようやく気が付いたのです。同時に脱社畜は労働力を提供しなければお金を稼ぐ術を何も知らないということにも気付かされました。

お金を稼ぐ=安心するため

その後、脱社畜はなんとか採用をいただいた会社で今現在も仕事に励んでいます。
もうあんな惨めな思いはしたくない。
この思いが脱社畜を動かす原動力になっています。
「お金がないと何もできない。」
この言葉を脱社畜よく耳にします。
個人的には、この考え方あながち間違っていないと思います。
お金が全てではないと思いますが、お金がないとできないことはたくさんありますよね。
でも、お金があればできる選択肢が広がり、それなりの欲求も満たせると思います。
そのお金を自分自身の力で稼ぐことができたらどうでしょうか?
心の余裕につながると脱社畜は考えます。
心の余裕があるということは、いつ何が起きても対応できるという安心につながると考えます。
これがお金を稼ぐ=安心するためと考えてる理由です。
それに加えて、脱社畜には守らなければならない人がいます。
その人の大切な笑顔を守るために今日もこの人生のサバイバルゲームをクリアできるように生きたいと思います。

次回に向けて

今回、脱社畜の思いの丈をこのnoteに書かせていただきました。
気がつけば2,000字を超える記事になっていました。
自分でも驚いています。
補足ですが、今回の記事はあくまで脱社畜の個人的な考え方であって、その他の考え方を否定するものでありません。
むしろ、脱社畜の個人的な意見にも関わらず最後まで記事を読んでいただき本当にありがとうございました。
それでは、次回の投稿でお会いできることを楽しみにしています。

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