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「真面目」って、いいね。


長男に、たずねられた。


「真面目って、なに?」



長男は、分からない単語があると、すぐに意味を聞いてくる。
すぐ言い換えることのできるものもあれば、説明が難しいものもある。
「真面目」は、後者だった。


「うーん。真面目かあ、たとえばルールやお約束をちゃんと守ること、とかかな?」


わたしが自信なさげにそう言うと、長男は「ふうん」と言っただけだった。
そして、ソファーの影にしゃがみ込んで、何かを描き始めた。
よく見えなかった。




たしかに、真面目って、なんなんだろう。
うまく噛み砕いて、説明できない。

そもそも、真面目で「まじめ」。
読めるか?
なんで面で「じ」なの?
まんめめ、じゃん。

そんなことを夫にいうと、「まんめんめだよ」と言われた。

いや真面目か!
そう突っ込んだあと、いや真面目ってほんとになんなんだ?と真顔になった。





人生で、何度も「真面目」だと言われてきた。

小さい頃は、「真面目だ」と言われることが誇らしかった。
わたしにふさわしいとさえ思っていた。

そう。
わたしは優等生。
荒れたクラスでも、先生の言うことをきちんと聞いて、約束も守る真面目な児童。
親の言うことに歯向かいもせず、勉強にもちゃんと取り組む良い子。

「真面目なんだねえ」と言われるたびに、「当然でしょ」と鼻高々だった。
それも、小学校までだけど。



成長するにつれて、「真面目」というのはダサい言葉だと思い始めた。

なに真面目にやってんの、ウケる。
自分だけ、真面目ぶんなよ。
真面目にやるとかダサいから無理。

周りがそんなことばかり言うので、いつしか私も「真面目なことは恥ずかしいんだ」と思うようになった。
これまた、バカ真面目に。

とはいえ、元来真面目な性格なので、影でこっそり真面目に過ごした。
真面目にしかなれない自分。
正しいと信じたい気持ちと、情けない気持ちが入り混じっていた。



そして、大人になると、「真面目」はもはや「言われたくない言葉」になった。
仕事や育児で悩みを相談すると、相手は呆れた顔でこう言うのだ。

◯◯さんは、真面目すぎるんやね。
もっと適当でええんやで。

つまり、しんどいのはわたしが真面目に考えすぎてるからと?
わたしが真面目なのが悪いのか?

そんなふうに捉えてしまった。
だから、真面目なんて言われたくない。

真面目と言われると、惨めになる。
頭がかたくて、柔軟性のない。
バカ正直だと言われた気分だった。



そんなふうに思ってきたので、すっかり「真面目」を憎んでいた。

でも、長男にたずねられた日の夜。
わたしは、あらためて「真面目」って何なのか、調べてみた。
ネットで検索した程度だが、そこにはおどろきの説明が書かれていた。

【真面目】まじめ

1. 本気であること。うそや冗談でないこと。 「―な顔をする」

2. まごころをこめること。誠実なこと。 「―に働く」

Google日本語辞書


本気?まごころ?誠実?

え?そうなん?
真面目って、そんな意味なの?

イメージしていたのと、ぜんぜん違う!

わたしは、「真面目」とは、決まりをきちんと守る人のことや、一生懸命働くことを想像していた。
たぶんこれも、間違ってはいないんだけど。

ルールに沿って動くこと。
嘘や不正を許さないこと。
自分にも他人にも厳しいこと。

真面目であることは、損をする。
そんなイメージすら出来上がっていた。


でも、そうか。
真面目とは、まごころを込める、ということだったか。

まごころという言葉を聞くと、途端にあったかい印象に差し代わる。
「真面目だねえ」と言われても、真心こめて働いてると思うと、ちょっと気分が楽ではないか。
わたしは少し、ホッとした。



しかし同時に、もうひとつ言葉を見つけてしまった。

「生真面目(きまじめ)」

融通のきかない程まじめなこと。
 「―すぎて面白くない」

Google日本語辞書

非常にまじめなこと。 真面目過ぎて融通がきかず、冗談が通じず、思いつめる性質のこと。

oggi.jpより


これまた、ネット情報になってしまうが。
思い悩んだときのわたしは、真面目じゃなくて、「生真面目」だったのか!

考えすぎて、動けなくなるとき、「真面目すぎや」と言われるのは、この「生真面目」のことだったのだ。

言葉の存在は知っていた。
でも、理解ができていなかった。


さらに、「真面目」について書いておられるnoteの記事も発見した。



この記事の中で好きだったのは、次の部分だ。

つまり、真面目(まじめ)という言葉は、他人を指して言う言葉ではなく、自分自身を振り返った時に、自分の美学に沿った恥ずかしくない生き方をしているのかどうか。そういう時に使う言葉なのです。

森俊弥『真面目であることのすばらしさを伝えたい』


真面目とは、他人を揶揄して使うのではなく、自分を振り返るときに使う言葉。

わたしの中の「真面目」という言葉の価値が、180度変わった瞬間だった。

それならわたし、真面目でいい。
真面目でいいんだ。
真面目でよかった。
これからもわたし、真面目でありたい。





ひとしきり調べて眠り、次の日の朝。
ソファーの横に、一枚の紙を見つけた。
昨日、長男がしゃがみ込んで、何か描いていた紙のようだ。

長男作「まじめなえほん」。



「この人は、ごみを集めてるんだよ」

起きてきた長男が教えてくれた。


「まじめのえほん」。
昨日までの私が見たら、この表紙の印象は違っただろう。

「ゴミを捨てない」というルールを、きちんと守って働く人の絵。
「ちゃんとゴミ拾ってて、えらいね」くらいのコメントしかできなかっただろう。

でも、そうじゃない。
ゴミを集めるこの人は、真心こめて働いているのだ。
ニコニコと笑って、みんなが気持ちよく過ごせるように、せっせとゴミを集めているのだ。

そしてそれは、真面目すぎてダサい、なんてことはまったくなく。
むしろ誠実で、美しい。
この人は、自分の美学のため行動しているだけなのだ。

‥まあ長男は、そこまで考えていないんだろうけどね。


でも長男のおかげで、「真面目」を嫌っていたわたしまで、なんだか救われた気分だった。


「真面目って、いいね」


そうやって言うと、長男はうなずいた。
そして、「続きも描く!」とペンをとると、勢いよくしゃがみ込んで描き始めた。



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