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次男出産のキロクと、夫がとった中途半端な育休の反省点


先月、長男出産から産後の母のありがたさについて記事を書き、ありがたくも多くの方に読んでいただいた。


母がその記事を読むことはないのだが、いつの日か、「実はこんなん書いとってん笑」と笑いながら見せたら面白いかもな、などとちょっと想像した。




産後の儚い記憶を書いておきたい第二弾は、次男出産の思い出だ。



次男は地元に帰らず、今住んでいる家の近くの病院で産んだ。
だから、出産時に母は登場しない。
産後だけ、はるばる関西まで来てくれて、身の回りの家事を手伝ってくれた。

めちゃくちゃありがたかったが、その期間ずっと、わたしや夫に自分の「推し」を布教し続けた。





さて。


次男出産については、わたしも2人目ということもあり、不安に押しつぶされるようなことは全くなかった。

ハッキリ言って、余裕をこいていた。



正産期に入る前、「しばらく行かれへんからデートしよか!」と夫とラーメンを食べに行った。

実はラーメンを食べる日の前夜、「前駆陣痛」があった。
あまりに痛かったので、「本陣痛」と思い込み、夜中に病院に向かったが、先生に「まだ全然開いてないね」と言われて、拍子抜け。


まあ、まだだよね。
その時、36週4日目。
今生まれたら、早産だよね。
でも痛えな。

そう思いながら、夜中帰宅し、翌日も痛みがひかないまま、ラーメン屋へ向かった。
今思えば、「ラーメン屋で破水!」なんてことにならなくて心底良かったと思う。

ラーメンはおいしかった。



ラーメンを食べた日の夜、いよいよ本陣痛らしき痛みが来た。
でも私は「まだ前駆陣痛だ!」と思い込み、夜通し家でのたうちまわった。

「ほんまに前駆陣痛なん‥?」と心配する夫に、なぜか強気で「絶対そう!まだ来る感じせえへんもん!」と言い返した。

でも、下から子どもが出る気はしないが、せっかく食べたラーメンが上から出そうになってきて、そこでやっと「あ、本陣痛かも」と自覚した。



結局朝まで家で耐え、ちゃんと長男を登園させてから、ようやく夫に病院へと運んでもらった。
さすがに朝は、吐き気と痛みで、大騒ぎ。
白目を剥く母親に、長男はドン引きだった。



病院に着くや否や、車椅子に乗せられ、猛スピードで看護師さんが診察室へ運んでくれた。
通常の診療時間のため、ふつうに患者さんも大勢いて、「なんだどうした、生まれるんか」とこちらを見てくる。
必死すぎて、まったく、気にならない。



「あ、すぐ分娩室行って!」

診察室で先生にそう言われた時、誰よりも焦っていたのは、私を車椅子で運んでいた助産師さんだったと思う。
「まだ力んだらあかんで!」と笑顔で言いながら、私の車椅子を押して駆け出した。
夫の方も、「あと5分で生まれるよ」と言われたらしく、めちゃくちゃ動揺していた。



しかし。
いざ分娩室に行くも、私としては全然「おりてきている」感じがしなかった。


ほんまか?
ほんまにこれ、あと5分か?

とてもじゃないけどそんな気がしない。
案の定、しばらく粘るも生まれる気配はなく、なんなら陣痛も遠ざかっていき、「これは、まだやな」とひとまず様子見となった。


たくさん集まっていた先生や看護師さんも、「なーんだ」という感じで解散し、助産師さんも「しばらく頑張ってみてね」と言ってどこかへ消えてしまった。
もともと立ち会い出産禁止なので、分娩室には、股を開いた私がポツンと残された。



ひとりぼっち。

あ、いや、お腹にいるから、一応ふたりぼっちか。


そんなくだらないことを考えながら、長男出産のときの母の言葉を思い出した。


とにかく、助産師さんのいうとおりにしろ。
それが一番の早道。


長男出産時、松岡修造のごとく喝を入れてきた母がそんなことを言っていたのを思い出して、よし、やろうと奮起する。

そこから結局2時間くらいは、陣痛の波が来ては、息をフーッと吐いて耐えた。
「やれぼできる、やればできる」
私は一人なのを良いことに、小さな声でひたすら念じた。


長男のときは、だんだん「おりてくる」のを感じたが、次男のときは、私が踏ん張って「出す」感じだった。

破水も、助産師さんの顔にバシャっとかけてしまうし、意識的に踏ん張る時間が長くて苦労した。
だが、運び込まれてから3時間後、ようやく出産。

わけわからんままに生まれた長男のときと違って、ちゃんと陣痛を自分で乗り越え、意識して踏ん張っての出産だったので、出てくる瞬間も「出した!」と思えた。

おっしゃー!
出しだったわー!!

まさにこんな気分。
長男は「生まれた」だったが、次男は「産んだ」という感覚。
内心ガッツポーズしながら、自分の力でやりきった感にしばし浸った。
謎の自信で、胸がいっぱいだった。




産後しばらくは、黄疸のため母子別室となったが、それも、2人目なので大して不安に思うことなく、入院生活を謳歌した。

病院は新しくて綺麗だったし。
看護師さんも優しい。
ご飯は大病院のソレという感じで、個人病院のような豪勢なご飯ではなかったが、「人が作ってくれたご飯」を味わって食べることができた。


おっばいも「初めからこんなに柔らかなおっぱい見たことない!」と看護師さんを驚かせるほどのふわふわパイだった。

YouTubeで、助産師さん監修の乳マッサージ動画を見ながらやってみたり、産褥体操を試してみたり、何かといそいそしていた。

多分、ちょっと産後ハイだった。



そんな気楽な入院生活もすぐ終わり、そこから自宅での育児が始まった。
最初は母がいたものの、私がある程度動けるのを見ると、すぐ帰って行った。




そこからは、夫が育休をとってくれた。

といっても、ほんの少しの間だ。

夫に許された育休の期間は5日間分だった。
それを、いつどのように取るかが産後の鍵になってくるね、と産前話し合っていた。

丸々5日連続で休むか。
半日仕事に行き、午後休みにして、5日分を小分けにし、少しでも長い日数(の午後)を休むか。


悩んだが、私たちは午後休みを少しでも長く取ることにした。
日数だけでいうと、10日ほどを午後から休めることになった。



結果として、それは、失敗だった。

夫は午前に仕事があるので、毎日準備が必要だ。でも午後休みなので、準備せず帰らなければならない。
でも、翌日の午前も仕事がある。

それを繰り返すので、毎日、中途半端に仕事があり、中途半端に家事育児にも追われた。

二兎を追う者は一兎も得ず。

仕事がうまく回らなくなり、そのストレスで家に帰ってからも大したことができず、結局どちらも宙ぶらりんの立場のまま、10日間はあっという間に過ぎて行った。

これなら、5日間まるっと休んだ方が良かった。


夫は、今でも時々この時のことを振り返って、こう言う。
よほど後悔しているのだろう。

私も思い返しても、その10日間、夫に何を頼んだのか記憶がない。


そんなわけで、夫の育休はイマイチ意味をなさなかったが。
それでも産後すぐ、毎日夫が午後にいてくれることは心強かったし、夫は育休後も、仕事をなるべく定時に済ませて、すみやかに帰ってきてくれるようになった。

夫の仕事が激務なのを知っているので、定時帰りがどれほど大変か分かっている。
だから、このことは素直にありがたい。



バタバタと夕飯に追われる時間帯。
夫が帰宅すると、家の中にか「安堵感」があふれるのが分かる。

家族が揃った。

このあったかい感覚が家中を満たし、イライラしていた私の気持ちがふっと緩む。
眉間の皺もだんだん離れていく。
長男も、甘えられる大人の帰宅に顔が綻ぶ。


家族が揃うって、大事なんだなあ。

育休のとき、この「家族が揃うこと」への共通認識が夫婦で持てたことが、何より一番の収穫だったかもしれない。

次男が生まれ、家族が増えて。
夫の育休は、うまくいかなかった。

だけど今、毎日ありがたいことに、家族で夕飯を食べる日が続いている。

それが、なにより一番うれしい。

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