母になった日に、誰よりも頼もしい味方がいると気づいた
もうすでに、産後の記憶があいまいだ。
忘れぬうちに、書いておかねば。
産後一年くらいの記憶って、なんでこんなに儚いのか。
出産の痛みも、生まれてすぐの思い出も、なぜかぜんぜん思い出せない。
「そんな痛くてしんどい記憶がずっと残ってたら、次の子を産もうって思えないからよ」
三人産んだ母は言っていたけど、ほんとかも。
長男は、出産時、息をしていなかった。
あ、べつに暗い話ではない。
長い陣痛を経て、「おぎゃあ」と産まれるのかと思いきや。
出てきた瞬間、看護師さんや助産師さんが数名で「がんばれがんばれ」と取り囲んで何かを懸命にほどこし、そのまま大急ぎでどこかに運ばれて行ってしまったのだ。
「おぎゃあ」を聞くどころか、生まれたすがたも見ないまま連れ去られたわたしの赤ちゃん。
でも全然寂しさはなかった。
おわった・・・。
長い闘いが・・・。
大汗かいて、足プルプルの私は、ベッドの上で「妊娠と出産が終わったこと」への喜びと達成感でいっぱいだった。
赤ちゃんのことは、看護師さんたちが何とかしてくれるだろう。
任せよう。
そうしてしばらく待っていると、ちゃんと遠くの部屋で「おぎゃあ」と泣く声が聞こえて、その後ちらりと赤ちゃんを見せにきてくださった。
容体をみるため、そのまま隔離となったが、生まれた瞬間の写真を持たせてくださったので、不安はなかった。
出産に立ち会った母にあとで聞くと、長男は生まれた瞬間、体が紫色だったそうだ。
羊水に混ざった便が喉に詰まって、息ができなかったとかなんとか。
‥今こうして書くとおそろしいが。
大きな問題もなく、元気に育っているので、あのとききちんと対処してくださった看護師さんや助産師さん、小児科の先生の感謝だ。
産後は、右も左もわからない赤ちゃんのお世話に心が折られた。
面会に来た夫とふたり、真っ青な顔でこれからのことを不安がっている中、母だけが「がんばったね~!かわいいね~!」と言ってくれるのが頼もしかった。
おもえば、人生で母に一番感謝したのは、「陣痛」のときだった。
遠方の夫は間に合わず、朝から夜中まで丸一日陣痛に付き合ってくれた63歳の母。
そのあいだ、まったく小言も言わず、「大丈夫!絶対終わりが来るから!」と松岡修造のごときテンションで、腰を押したり、水を飲ませてくれたりしてくれた。
さすが、三人産んだだけあって、私が「痛い」とか「吐きそう」とかぼやいても、まったく動じなかった。
後々、「あんた大袈裟なのよね」と笑われたほどだ。
いざ生まれるときも、「歯ぁ食いしばって!」とか「目ぇ開いて!」とか、またもや松岡修造に負けない掛け声で接近してくるもんだから、もう看護師さんは特にコメントもなく、分娩室は、母と私の一騎打ちだった。
退院後。
実家でしばらく過ごしたときは、だれよりも沐浴に奮闘してくれた。
事前にYouTubeで沐浴動画を繰り返し視聴し、タオルや道具をいっぱい買っておいてくれた。
はじめていっしょに沐浴させた後、耳の裏や首のしわが洗えていなくて、ガッカリしていた私に、母が言ってくれた言葉がある。
「今日は60点よ。でも、明日は65点を目指すの。そうやって毎日ちょっとずつ点数があがるよう、洗えてないところをきれいにしていけば、上手になるわよ。それでいいのよ。」
この言葉は、今でも忘れていない。
初めての育児。
はじめから100点を目指さない。
育児中、この考え方に何度も救われた。
その日以降も、沐浴は毎日、母主導で進めていった。
一か月たって、湯舟に一緒に入れるようになったときには、水着まで着用して湯船に入った。
小さな赤ちゃんを抱いたおばさんが、水着で風呂につかるのを、どういう気持ちで見つめればよいのか。
その時の記憶が、‥ない。
でも当時、赤ちゃんのことが何にもわからない私は、抱っこのしかたも、声かけの言葉も、ミルクの作り方も、おむつの替え方も、ぜんぶ母の真似をした。
経験者が実際に見せてくれる。
それがなにより、ありがたかった。
もうひとつ。
産後、母の言葉で忘れられないものがある。
それは、人生ではじめて尿漏れを経験したときだ。
母といるとき、くしゃみをした瞬間、おしっこが止められないことに気づいて、仰天した。
「うそやん!おしっこ止められへんわ笑!」
わたしは、恥ずかしいようなおかしいような気分で、大声で笑って言った。
でも母は、めずらしく笑っていなかった。
そして、こう言った。
「そりゃそうよ、おかしくなんかないわ。あんた、赤ちゃんを産んだんだよ?すごいことを成し遂げたんやから。体も言うこときかんくなって当たり前よ。」
そしてこうも言った。
「赤ちゃんを産むって、奇跡なんよ?それだけすごいことをしたんやから、おしっこが漏れたって何も心配いらんよ。ゆっくり休まないかんということよ。」
そうなんだ。
わたしって、すごいことをやり遂げたんだ。
赤ちゃんを産むという、奇跡を成し遂げた。
このことを初めて実感したのが、母のこの一言だった。
母は滅多なことで褒めないし、お世辞も言いやしない性格だ。
だから、そんな母が言うんだったら、私はすごいことをしたんだなあ、と感じることができた。
こうして産後、母にいろいろ助けられ、無事実家を離れて今の家で過ごせるようになった。
もう4年も前の言葉が、今もわたしの育児の土台になっている。
母に対しては、過去のことでいろんな感情が渦巻いている。複雑だ。
「お母さん大好き」とはいえないし、「嫌い」「毒親」なんてこともまたいえない。
ただ、出産から産後に散々頼りにしたときのことばかりは、心から「感謝」の気持ちでいっぱいだ。あの時は本当にありがとう。
今、母はすっかり孫熱も冷めて、推し活に勤しむ毎日のようだ。
ただ、孫のことよりも、私のことを度々気にかけ、応援してくれる。
遠く離れて暮らし、年に数回顔をあわせ、数えるほどのLINEのやりとりしかしない母。
だけど、なぜかその距離を感じさせないほど、強いパワーを持って私を支えてくれるのを感じられる。
「私には母がいる」。
そのことが、わたしの背中を支え、時として揺さぶり、良くも悪くも、わたしにとっての主柱になっていることに気づかされる。
私が母になったあの日、知った。
「わたしの母」という、誰よりも頼もしい味方がいることに。
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