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こだわるよりも、のほほんと、ほどほどに。



「お下がりは、無理」

「お弁当に冷凍食品は絶対使わない」

「テレビはこの番組しか見せてないよ」



これらはすべて、いわゆる「ママ友」にあたる人たちの言葉である。
‥いや、「ママ友」ではないか。
友達と呼べるほどの仲ではない人もいる。


何にせよ、彼女たちは子育てにおいて、なんらかの「こだわり」を持っている。
ポリシーというか、これだけは譲れない部分みたいなものを。


わたしは、この「こだわり」が年々なくなってきた。
長男から次男まで、育児も5年目に突入するが、あらゆることへの「こだわり」が、どんどん薄れていっているのだ。

そして、そんなふうに「こだわらなくなった自分」でもいっか、と思えるようになってきた。




長男が生まれた頃は、わたしにも多少「こだわり」があった。

キャラものは絶対着せたくない。
欲しいおもちゃはどんどん買う。
食べるものはなるべく手作りを。
テレビは見せず、毎日朝日を浴びて、外で元気に遊ばせる。


こんな「こだわり」を持ったまま、育児を続けいたところ、だんだん息が苦しくなってきた。

こだわればこだわるほど、自分が苦しい。
おのれの首を絞めているようだ。
我が子のためを思っているのに、たいした成果も出ていない。
おまけに、正解も分からない。


わたしは、何のためにこだわってるんだ?

本当に、こだわる必要があるのか。
本当に、子供のためになるのだろうか。
わたしは、自己満足のために、こだわっているだけなのではないだろうか。


そんな疑問がわいてくると、「こだわる」のがどんどん億劫になっていった。



そんなとき、とある子育てプログラムの先生の話を聞いた。

先生は、「極端なことはしない方がいい」とおっしゃった。

「◯◯禁止」とか、「◯◯しかしちゃダメ」とか、そういう極端な育児をすると、子どもはどんどん反抗してくる。
大きくなればなるほど、親に止められていることをしようと、躍起になって反抗する。

そして、それを頑なにさせてくれない親とのあいだに、亀裂が生まれる。
極端な育児は、関係の悪化につながる。


だから、「ほどよい育児」でいいですよ。
親は、「3割」できればいい。
そのくらいの気持ちでいてくださいね。

そんな感じのお話だった。


先生のお話は、わたしの中にすとんと落ちた。
極端な育児。
すなわち、強い「こだわり」のある育児だ。

先生の話を聞いてからは、「こだわり」は捨ててもいいと思えるようになった。
むしろ、極端な「こだわり」は、息子の何かを奪っているような気さえしてきた。

こうして、こだわらない自分が始まった。
いまのところ、その方が気楽に過ごせている。






「こだわり」のある人が悪い、と言いたいのではない。
こだわれることは、むしろすごい。

どんなことでも、一本軸をずっと通して子供と接することができるなんて。
その強い信念がすごいとおもう。

わたしには、できない。
正解かどうかもわからないことにこだわれるほど、強い意志がわたしにはないのだ。




とはいえ、わたしも別の人から見たら、こだわっているのかもしれない。

例えば、わたしは子育てにおいて、「絵本」を大事に思っている。
子どもたちにとって絵本が身近になるよう工夫しているし、図書館にも通うし、リビングの一等地に本棚がある。
それもまた、わたしなりの「こだわり」。

ほかにも、砂場をするなら思いっきり遊ばせるとか。
裸足で、服を汚してもオッケー。
「汚れるからやめな」とはなるべく言わない。
これも、他人から見れば、「こだわり」だろう。


それが極端な「こだわり」かどうか。
線引きが難しい。
いや、線引きなんてないし、必要ないのかもしれない。

我が子のために、何ができるか。

親たちは皆、真剣に考えて、あれこれやってみて、たくさん悩んでいるのだ。
その結果が「こだわり」なのだとしたら、他人がそれをとやかく言うことなんてできないような気もしてくる。


それでもやはり、極端な「こだわり」は、したくない。
自分も、我が子も苦しめる。
まるで「縛り」だ。
縛りに囚われて辛くなる子育てなんて、楽しくないと感じるのだ。



一方で、教師をやっていると、「こだわり」と真逆のことを言う保護者に出会うこともある。

「うちは、放任主義なんで」

そんなことを平然という親もいる。
たいていそれは、放任どころか放置だ。

ゲーム時間無制限、おやつ食べ放題、おこづかい無限、寝る時間の決まりなし、休みの日に何をやっていても無視。
なんでもかんでも子どもに丸投げだ。

お忙しい親の気持ちも、親になった今なら十二分にできるのだが、やっぱりこれも極端な育児のように感じる。


何かに偏った育児より、真ん中あたりを右往左往するくらいでいい。
子どもと悩み、子どもと失敗し、子どもと学び、成長していく。
そんな「ほどほど」の育児が、ちょうどいい。

わたしは、そんな育児をしていきたい。


「こだわり」がないと言えば、嘘になる。
でも、私のエゴの「こだわり」よりも、息子たちのその時々の様子とか、成長とか、雰囲気を大切にしたい。
息子たちを見て、感じ取って、臨機応変に応じてあげられる。

そんな「お母さん」でありたいなあ。
毎日うまくいかないけれど、常々悩んで過ごす日々だ。


もうすぐ、春休みが終わる。
新年度が始まって、長男はまた不安定になるだろう。

それでもなるべく、のほほんと。
ほどほどな毎日が送れるように。

わたしの、春からの心がけを、ここに。

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