ただ、そばに居てくれるだけの存在。
弟がいる。
5つ下の弟。
今回、帰省が重なり、1年ぶりの再会となった。
おだやかで、しずかな弟。
日本の伝統や、和の音楽が好きな弟。
関東で、ひとり暮らしの弟。
そんな優しい弟を、うちの長男がすっかりお気に召したらしい。
今回の帰省で、ほぼ初対面だったにもかかわらず、めちゃくちゃ懐いた。
この帰省中、夫が不在だったのもあるだろう。
手のかかる次男に付きっきりのわたしに代わって、自分と遊んでくれる存在を探し回り、わたしの弟に目を付けたようだ。
悪意なく、気安く呼び捨てて、連れ回す。
◯◯!来て〜!
◯◯!起きて遊んで〜!
◯◯!トイレに行くよ、ついてきて!
ハイハイ、とついてきてくれる30歳男。
しまいには、「◯◯と寝る」と言い出した。
私と夫以外の人と寝るなんて。
長男にとって、うちの弟は特別な存在になったようだ。
なぜ、こんなに気に入られたのだろう。
特に、おもしろいことを言うわけでもない。
子どものように、元気に遊んで走るようなタイプでもない。
鬼ごっこも、抱っこも、肩車もしてくれない。
「子ども好き」には、見えないのに。
長男だけではない。
うちの次男も、姪っ子も、「弟」のことをえらく気に入っている。
次男は、弟に何度も擦り付いた。
他の人には、寄っていかないのに。
なぜ?
子どもたちが、弟に惹かれる理由は何なのだろうか。
ふしぎに思って、慣れないチビたちに囲まれる弟を観察してみる。
そのときふと、ひとつの言葉が頭に浮かんだ。
__まるで、「木」みたいだ。
そうだ、弟の存在感は「木」に似ている。
大きくて、立派な木ではなくて、中くらいの、地味で細い木。
山とかに並んで立つやつじゃなくて、丘の上か、公園の隅にあるような。
自然な形の、一本の木。
木に詳しくないから、種類は分からないけど。
そんな木に、子どもたちが寄りかかったり、おしゃべりしたり、抱きついたりしている。
根っこに座ってジュースを飲んだり、木陰で本を読んたりしている。
木は、存在感もなく、ただそこに居るだけ。
呼びかけても、「そうなんだ」「へえー」「ああ、いいね」「すごいねえ」くらいしか返事はしない。
低くて、大きくない声で。
ただ、子どもの呼び声に静かに答える。
ああ、なんか。
弟が好かれる理由、分かったかも。
弟は、子どもを「喜ばせよう」なんて思っちゃいないんだ。
ただ、ひとりの人間として、となりに座り、相手の話を「ふうん」と聞いて、気の利いたことも言わずに、ひとこと返す。
ただ聞いて、返す。
それだけの存在。
ただじっと、そばに居るだけの存在。
それが、子どもたちには、心地いい。
長男は、何度も何度も弟の名前を呼んでいた。
ねえ、◯◯!
◯◯、聞いて!
そして、ずーっと喋っていた。
弟に向かって、ペラペラペラペラ。
これが、わたしだったら?
たぶん、途中で遮っちゃう。
提案したり、注意したり、小言を挟んで中断してしまう。
弟には、そういうのが、ない。
だから長男は、安心なんだ。
もちろん、それは「親ではないから」できることなのかもしれない。
弟自身には、子どもがいないし。
たった数日だけの絡みなのだから、今だけと割り切って頑張ってくれているのかもしれない。
ただ、そうだとしても。
子どもたちからの「好かれっぷり」は、弟の根底にある人間としての魅力みたいなものによって、引き起こされているように思えてならなかった。
子ども達には、それが分かっているように見えた。
弟の見方が、すこし変わった。
頼りない、幼い「弟」だと思っていたのに。
いつのまにか、大人になっちゃって。
ふうん。
というわけで、今回の帰省。
弟がいてくれたおかげで、長男はあまり寂しい思いをせずに済んだ。
そのことがなにより、ありがたかった。
長男も、私と夫以外に「信頼できるオトナ」がいると分かったはずだ。
そんな体験ができるなんて。
帰省して、ほんとうによかった。
長男や次男のことを大切に思ってくれるオトナは、うちの弟だけではない。
ばあばも、じいじも、わたしの妹も。
今回初めて出会った親戚も。
みんな、息子たちの、そしてわたしの味方だ。
遠くても、会えなくても。
わたしたちには、家族がいるのだ。
今回の帰省は、そういう「家族」のつながりをじっくり味える数日となった。
帰省は、明日でおわり。
また、夫とわたしと、子ども二人に戻る。
いつもの日常に戻る。
離れたあとに戻る、いつもの家や町は、どんなふうに見えるんだろう。
お盆は、もう半分。
のこりの夏休みは、まだ数週間。
さて、ひとつ思い出を蓄えて。
明日から、どんなふうに過ごそうか。
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