その瞬間に、立ちあえるよろこび。
次男がはじめて、「影」を見つけた。
朝日をうしろに歩いているとき、ふと自分の目の前に、黒いものが落ちているのに気づいた。
__ん?
ふしぎそうな顔で、立ち止まる。
そして、避けようと横にずれる。
すると、それも横についてくる。
___ん??
今度は反対に逃げるも、またついてくる。
大きく足を開くと、向こうもする。
おなじ動きだ。
手を振ると、おなじようにパタパタする。
おもしろい!!
小さく飛び上がって、ひとりで笑う。
そのあと、また「影」を指さして、今度はその発見をわたしにも伝えようとする。
まだ喋れないし、「影」という言葉も知らない。
だから、「あ!だっ!」と言葉にならぬ声を発しながら、ニコニコとわたしに教えてくれる。
わたしはその一連の流れを、カメラ片手に、静かに見守った。
そして、「よかったねえ」「おもしろいねえ」と、息子の喜びを受けとった。
誰もが当たり前のように持っている、「影」。
その存在に、もはや何か思うことすらない。
そこにあって、当たり前の「影」。
それを、人類初の発見かのようにおどろき、喜ぶ次男を見ながら、おもう。
子どもって、すごいなあ。
どんなに育児が大変でも、「子どもがいてよかった」と素直におもえるのは、こういうとき。
「子どもの目線で世界を見つめたとき」だ。
子どもの目線で、世界を見直すと、この世はこんなにも驚きと美しさに満ちている。
いつもならスルーしていた、木々の色や空の移り変わりに目を奪われたとき。
わずらわしいだけの踏切で、電車が来るのを今か今かと待ちわびたとき。
子どもがいなかったら絶対にしなかった。、気づかなかったことをいっしょにしたとき、目の前に新しい世界がひらけたように、すがすがしい気持ちになる。
落ちている小石ひとつですら、彼らは感動して飛び上がる。
その喜びをいっしょに受け止めていると、「親になってよかったなあ」と、心底感じることができるのだ。
◇◇◇
「影」を発見した次男に、それは「かげ」という名前があると伝えたい。
そういうときは、「絵本」が役に立つ。
tupera tuperaさんの『いろいろばす』に、「影」が出てくる。
次男の大好きな絵本のひとつだ。
黒いバスがやってきて、影がそこへ乗るシーン。
「ひっそり かげが のりました」
そんな一文が添えられている。
まだ自分の影を見つめて、ぴょんぴょん跳ねている次男に向かって、言う。
「次男ちゃん、かげだよ。
ひっそり"かげ"が、のりました、だよ!」
すると、次男がハッとする。
あの本の、アレね!という納得顔。
そして、次には「かーげ!」と言う。
わたしが「そうそう、かーげ!」と返すと、さらにぴょんぴょん飛び跳ねる。
ずっと読んできた絵本の言葉と、現実の世界がつながった瞬間である。
うれしそうだ。
それこそ、飛び上がるくらいに。
大人だっていっしょだ。
勉強してきたこと、本で知った言葉、知識として蓄えていたモノに現実でも出会ったとき、「ああ!これがアレか!」と感動する。
学んできてよかった、と実感できる。
次男もそうなのだ。
次男は「かげ」とはなにかよく分からないまま、絵本に登場する絵だけ見つめてきた。
そして今日、ようやくホンモノに出会ったのだ。
そりゃあ、飛び上がるほどの喜びだよ。
そして、その特別な瞬間に立ち合わせてもらった、たったひとりの存在。
母である、わたし。
子育てはたいへんなことばっかりだけど、こういう奇跡の瞬間に出会えるから、報われる。
疲れて、泥のように濁っていた心が、次男の笑顔ひとつで、洗われるような気持ちになる。
__動画、夫にも見せよう。
そうおもいながら、わたし次男の手を引いて、朝の散歩に向かった。
次男は歩きながら、ついてくる影のことを、何度も何度もふりかえって、見つめた。
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