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怪物か人間か

「先生、私。本当に弱い人間なんですね。こういう病気になるって…」
遠くのどこかを見てため息交じりに
弱々しく吐いた。
すると、主治医はこう答えた。
「弱かったらここに来てないでしょう」

意外な答えだった。
この言葉は2院目の診療内科で言われたことだ。

あ、そうそう。
私の人生の中の23年で、
心療内科2院
精神科1院
ご厄介になっている。

「弱い人間なら、ここに来る前に死んでるよ。
よくここまで生きてこられました」

主治医はまっすにぐに私をみて言った。
私は言葉がでなかった。
目を見開き、瞬きすることさえ忘れ
予想だにしない主治医の言葉に驚いていた。

生きてるだけで褒めらたのか?
それだけで?
私にとっては「それだけ」なのだ。

その後、程なくして
心身ともに不調を訴えた私は精神科へ転院した。
どうにも、この世と私という「入れ物」が
合わない。
上手く歯車が回らない感じだ。


意識が時々朦朧として、
ベランダから下の階をみて吸い込まれそうになる。
ふらふらと車道へいつの間にか飛び出しそうになる。
こんな状態だったため、一旦下界から離れることになった。

精神科へ入院と聞くと、みんなどう思うだろう。

当時、友人と「思っていた」人間に
「ヤバい」よね、と言われた。
世間的には「ヤバい」らしい。

そもそも、精神科=頭おかしい。
もしくは、犯罪者くらい思われてもおかしくないのか。
そして、ご多聞にもれず私自身にも偏見があった。
「人生、詰んだな」
という底暗く、
光も出口もない長いトンネルを延々と
息も絶えだえに、歩いているような気分だった。
ま、私の個人的な意見だ。あくまで…

入院がどれくらいの期間かわからなかったため、大量の本と筆記用具にノート。
一人遊び用のチェスを持って行ったが、
本以外全てダメだった。
携帯はナースセンターに預け決まった時間だけ。娯楽品は病院のものを使用。
筆記具も許可を経て使う。
外の情報に触れるものは極力ない
「遮断の世界」だ。

ここで記していることは、誤解を恐れず話しているが
あくまで「私の出来事」であり、
他の人とは別である。
(精神科が全て閉鎖病棟だと勘違いしないように、症例による)

入院したその日から、
環境が突然変わったせいか
原因不明の高熱で3日ほど苦しんだ。
風邪でもなかった。
ここがきっかけとなり、私の治療方針が変わった。
ある男性看護師の
「じゃ、これまでと変えよう」の一言を覚えている。
そして、1週間ほどで退院した。

「認知行動療法」というらしい。
投薬治療も行うが、
どちらかというと臨床心理士、カウンセラーと定期的にカウンセリングする
という方向に変わった。

今まで心療内科では、
時間はそんなに与えられなかった。
ここでは(精神科)カウンセラーと世間話から始まったような感じだ。
そこから11年。

ある日のこと。
「先生。「スーツ」っていう法廷ものの海外ドラマを今みてるんですけどね。
離婚した時も、恋人と別れた時でも、
『カウンセリング受けろよ』って
同僚から言われたり、
カウンセラーと個人的な話をするシーンまであるんですよ」
私はカウンセラーにこう言った。

私は続けて
「雰囲気なんですかね。
ケガしたら外科とか、風邪ひいたから病院行ってくるみたいに、
気分がよくないからカウンセリング受けてくるって言わないっていうか、言えないですよね」
そういうと

「日本はないよね~。閉鎖的というか、勝手なイメージがついてるし。」
カウンセラーは柔らかく、砕けた感じでこたえた。

私のカウンセラーは、時に感情を素直にだし、
私の疑問には冷静に専門的なことをわかりやすく話してくれる。
私が自分の病名に疑問と違和感を感じていると
従来と違うということを
説明してくれた。

SEKAI NO OWARIのボーカルが公言している。
精神科の閉鎖病棟に入院することになって、『あ、俺の世界終わったな』って思ってバンド名をそれにしたという。

これは、生きている世界線が「アーティスト」「芸術家」
というジャンルだから皆
「やっぱり、天賦の才能を持っている人だから違うよね」という
認知のされ方なのだろうか。

その世界線に立てない私のような者は、
ある意味、頭のおかしい「怪物」なのだろうか。

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