見出し画像

【体験談】SES入社から鬱と診断され退職するまで

こんにちは、hanaです。
新卒で入社した企業を一年で辞め、
その後入った企業も合わずに鬱になり、1ヶ月休職ののちに退職しました。

体調を崩し始めたのは、入社後半年のこと。私がいたのはSESの会社で、私は完全未経験のエンジニアでした。

業務に必要な資格は取得したものの、実際のプロジェクトでどんな技術が必要かも全く分からずに、語学力やコミュニケーション力、(あと少しだけIT系の経験)を買われてプロジェクトに入場。

私が働くことになったプロジェクトは、本格的なJAVA開発の知識が必要な現場でした。聞いていた内容とは全く異なりますし、私は開発もプログラミングもほぼやったことがありません。
「私は開発経験はなく、勉強もしたことがないから自分には難しいかと思います」と正直に会社の人に伝えました。
会社の担当者は「まあこれから勉強頑張ってくれたら良いから!」と、私を客先に送りました。私は盛りに盛られた職務経歴書とともに、現場に入場しました。

当然のことですが、急に開発などできるようになるはずがありません。
とりあえずプログラミングの基礎を勉強したり、JAVAの講座を受けたり、自分にできることを必死で勉強し始めました。
休みの日や業務後にも必死で勉強をしました。・・・がしかしプログラミングの知識ゼロから独学を少ししたところで、業務に役立てるレベルにはなかなかなれないものです。

現場の社員の人は私が経験者だと思っているので、助けてくれませんでした。基礎的なこともちゃんと理解していなかった私が、基礎的な質問をするたびに、わざとらしくため息をつかれたり、「そんなこともわからないのか」「君にできる仕事はない」などと言われたり。

私なりに前向きに頑張っていたつもりでしたが、私の心はどんどん疲弊していっていました。今思えば、
「勉強を始めてするのだから、できなくても当然」
なのですが、当時は思い詰めてしまって
「開発できない私が悪い。私には何もできない。できる仕事はない。」
という思考で頭がいっぱいでした。
ある日、会議で皆の前で「hanaさんにふれるタスクはないですね…困ったんだけど…」と言われた時に、目から涙が一気に溢れてきて、私は無力感でいっぱいで消えたくなりました。それがたとえ事実でも、みんなの前で言う必要はなかったんじゃないか。


そのままPCをそっと閉じて、布団に潜り大泣きしました。(フルリモートでした)そこから起き上がることも、会社へ連絡することもできなくなり、そのままプロジェクトから退場します。
私には何にもできない。私はできることがない。誰かが言った軽い一言は、呪いのように私の頭にこびりついてしまいました。
この時点で相当病んでいて、当時付き合っていた人との関係もその時からどんどん悪くなっていきました。

悪いことは続くもので、ひどく病んだ私の心を更に追い込むように、
この時に例の感染症に罹ってしまいました。症状がひどく2週間ベッドから起き上がれない生活(しかも1人)が続き、精神だけではなく身体の調子もこの時から悪くなってしまいます。

病気から回復した後、同じ会社のほかの部署で働き始めますが、
次は明らかなパワハラ・モラハラにより更に症状悪化。②へ続く



・実際にある企業様に迷惑をかけない為に、少し話を変えて書いています。
・SESを批判する意図はありませんので悪しからず。
・自分の感情の整理と、今精神的に困っている人たちの参考になればと思い書いています。何か質問があればお気軽にどうぞ^^

#SES   #適応障害 #鬱闘病中 #駆け出しエンジニア
#精神疾患 #HSP   #ADHD


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?