宗教依存者の行動とその子供への影響とは?
宗教中毒:精神性への執着
Religious Addiction: Obsession with Spirituality
依存症というのは、何も特別なものではなく、よくありふれたものだと認識している。
例えばSNSから離れられなかったり、家族や恋人、会社など特定の対象から離れたくても離れられなかったり、やめたほうがいいと思っていてもなかなかやめられないものは、広義の意味では依存症に含まれるんじゃないかと思っている。
何も依存が悪いというわけではない。私たちはそんなにタフにはできていないので、心理的にも物理的にもなにかに依存せずに生きて行くのは難しい。
なので広く薄くいろんなものに依存できるというのは、一つの幸せの技術なのだろうとも思う。
すこし話が脱線したが、今回取り上げるのは宗教依存について論じた論文である。
以前、ある程度の信仰的な生活は心身の調子を整えるという論文を取り上げたが、
これが度を過ぎるとどうなるかについて、様々な実例を取り上げながら説明してあるのが、今回取り上げる論文である。
この論文によると、宗教依存症は、他の行為依存(ギャンブル、仕事、性)と同じプロセスを通し悪化していくこと、
強迫神経症と類似した症状を示し(祈りの方法の厳密化など)、断食などの被虐的な行為に傾いていくこと、
家族にも同じような宗教的行動(厳密な祈りや行動規範)を求め、そこから外れるのを見ると感情的に興奮し身体的、心理的な攻撃すること、
試行については白黒どちらかの二極思考になり、曖昧な状態を受け入れられなくなること、
これらの宗教依存者の子供は、自分に自身が持てなかったり、安定した人間関係を構築できなかったり、アイデンティを適切に構築できなかったり、自分の頭で考えることができなかったり、長じて宗教以外の依存症になりやすっかたりすることがあると。
また宗教依存症については、他のアルコール依存症のように長いプロセスを経て回復可能であるとのこと。
Q: 宗教はどのようなプロセスを経て、社会と共存できるようになるんだろうか?多分、どんな宗教であれ、できた当初は相当ラディカルで反社会的だったと思うので。どんなプロセスを経て丸くなるのか?
明日目を通す論文:
宗教的権威の衰退としての世俗化
Secularization as declining religious authority
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