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他人から言われる「お疲れ様〜」の違和感

「お疲れ様です」という言葉を他人から言われた経験は、きっと多くの方があるでしょう。

しかし、私はこの「お疲れ様」という挨拶に違和感を覚える事があります。

今回は、「お疲れ様」と他人から言われた時に、今までに違和感を感じた場面と違和感の正体をサクッと述べていきます。


【お疲れ様の違和感①:浪人】

浪人していた時は、予備校に通っていました。
その予備校の人から「お疲れ〜」と言われれた事が、「お疲れ様」に対する違和感の始まりでした。

何故なら、「お疲れ〜」という台詞は、社会人(働いている人間)がするものだと思っていたからです。

ただ、この時は大きな違和感を感じる事はありませんでした。

【お疲れ様の違和感②:大学】

大学に入学すると、「お疲れ〜」を耳にする回数は、浪人時代に比べて著しく増えていきました。

世間一般的にいうなら、大学は社会人になる前の最後の極楽所だと言われていますし、私もそれには同意です。(勿論、人によります。ここでは多数派の話をしています。)

ほとんど自分で授業を選択でき、サークルという実質遊び場で戯れ、バイトで稼いだ金は自由に使える‥

小学・中学・高校・大学・社会人の中で、圧倒的に楽な大学生活において、「お疲れ〜」と言われるor言う資格はないと思っていました。

また、「お疲れ〜」と言ってくる人達に対して、「社会人かぶれ」だと内心バカにしていましたね。

【お疲れ様の違和感③:就労移行支援事業所】

私がかつて通っていた就労移行では、1日の終わりに利用者がそれぞれ今日は何をしたのかを発表するという決まりがありました。

その発表の際に、締めとして「お疲れ様でした」と言うのですが、そこでも大いに違和感を覚える時がありました。

例えば、ある利用者が「今日は一日ゲーム(Switchやカードゲームなど様々)をしていました。お疲れ様でした。」と発言をしたとします。

これを聞いた私は、「おまえ疲れてないやんけ。就労移行支援の目的分かってるの?お疲れ様でしたとか他人に言う資格ないよ」と心の中で思っていました。

【お疲れ様の違和感の正体】

「お疲れ様」と言われるor言う資格があるのは、社会人or何か目標を持って頑張っている人に限ると私は考えています。

一方で、多くの人は「お疲れ様」をただの挨拶(コミュニケーション)としてしか考えていません。
おはよう、こんにちは、こんばんはのようなもの。
つまり、「お疲れ様」に深い意味はないのです。

お恥ずかしい話ですが、この違いに気付いたのはつい最近です。

どっちが良いとか悪いとかはありませんが、引き続き前者であり続けたいと思いました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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