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第二次世界大戦の終結を振り返る。平和について考える。

<第二次世界大戦とは>

1939年、ヒトラー率いるドイツと、イギリス・フランスとの間で戦争が始まる(第二次世界大戦の勃発)。 日本はドイツ・イタリアと同盟を結び、東南アジアの資源確保のためフランス領のインドシナ北部(現在のベトナム)に軍を進める(北部仏印進駐)。これで 日独伊三国同盟と、イギリス・アメリカとの対立が決定的となる。(中略)1942年中頃から同盟国側の後退が始まり、1943年7月にイタリア、1945年5月にドイツ、そして8月に日本が降伏して終結に至った。
世界での戦死者は4,000万人とも5,000万人ともいわれる大規模で悲惨な状況だった。

<降伏の大きなきっかけとなった原子爆弾>

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。 人類史上初めての原子爆弾が広島に投下され、約14万人の命が奪われた。
続いて、8月9日午前11時2分、長崎に2発目が投下され、約7万人の命が奪われた。

アメリカで3発の原子爆弾が製造され、 7月16日に最初の1発目をニューメキシコ州アラモゴードの砂漠にて実験で使用し、残る2発を広島と長崎の実戦に使用した。

<終戦の詔書|玉音放送>

1945年(昭和20年)8月14日の午後11時に鈴木貫太郎内閣のもとで終戦の詔書(ポツダム宣言受諾による太平洋戦争の終戦決意を述べた文書)が発布された。
そして、翌日の15日正午に昭和天皇が詔書を朗読したレコード音声が「玉音放送」としてラジオで流された。

降伏文書への調印は、米戦艦ミズーリ号の艦上でダグラス・マッカーサー元帥が見守る中、重光葵外相が行った。(1945年9月2日午前9時すぎ、神奈川県横須賀沖にて)

<詔書の現代語訳>

私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。

私は、日本国政府に、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、それらによる共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。

そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。しかしながら、交戦状態もすでに4年を経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。それどころか、敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、さらには人類の文明をも破滅させるに違いない。そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)にわびることができようか。これこそが私が日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。
私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。日本国民であって戦場で没し、職責のために亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。さらに、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。考えてみれば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。しかし、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。

私は、ここにこうして、この国のかたちを維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごすことができる。感情の高ぶりから節度なく争いごとを繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである。まさに国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動してほしい。

<詔書の原文>
朕(チン)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(カンガ)ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ココ)ニ忠良ナル爾(ナンジ)臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々(ソモソモ)帝国臣民ノ康寧(コウネイ)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(トモ)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(ケンケン)措カサル所曩(サキ)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ユエン)モ亦(マタ)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(モト)ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已(スデ)ニ四歳(シサイ)ヲ閲(ケミ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々(オノオノ)最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之(シカノミナラズ)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻(シキリ)ニ無辜(ムコ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真(シン)ニ測ルヘカラサルニ至ル而(シカ)モ尚交戦ヲ継続セムカ終(ツイ)ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ヒイ)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(カク)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(セキシ)ヲ保(ホ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ悲命ニ斃(タオ)レタル者及其ノ遺族ニ想(オモイ)ヲ致セハ五内(ゴナイ)為ニ裂ク且(カツ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(コウム)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(シンネン)スル所ナリ惟(オモ)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(シンイ)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情(ジョウ)ノ激スル所濫(ミダリ)ニ事端(ジタン)ヲ滋(シゲ)クシ或ハ同胞排擠(ハイサイ)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道(ダイドウ)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確(カタ)ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏(カタ)クシ誓(チカッ)テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

<在日アメリカ大使館での会見・エピソード>

9月27日、昭和天皇は通訳の奥村勝蔵と共に在日アメリカ大使館にてマッカーサー元帥と初の会見に臨んだ。

『マッカーサー回想記』によれば、会見の冒頭で天皇はマッカーサーに勧められた米国製煙草を吸う屈辱と緊張の中、次のように発言したとされる。

「私は、国民が戦争遂行にあたって行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした。」

昭和天皇は、自らが命乞いをするのではなく、「全責任は私がとる」ときっぱり告げ、さらに、「皇室財産を担保に国民の衣食住の保証を」と願い出た。

天皇を「戦争犯罪人」として起訴せよという米国内及び国際世論の中、このような発言をした天皇に対し、マッカーサーは次のような感想を抱いたとされる。

「私は大きい感動にゆさぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。」

天皇発言に感動したマッカーサーは、天皇への呼びかけを「You(あなた)」から「Your Majesty(陛下)」に改めたとされる。

<おわりに>

現在、アメリカと日本が友好関係でいられるのは、マッカーサーとの会見で昭和天皇が身を挺し、日本国民と文化を守ろうとしていただいたお気持ちあってこそと感じている。
当時の世界は戦争という機会を経なければ次に進めない苦しい時代だったのだとしても、もう二度と全世界を巻き込む大戦を繰り返してはいけない。
次回があるとすれば、地球規模の取り返しのつかない結末を迎えることになるだろう。
悲しいことに、大小の紛争や戦争が今なお世界に存在し、計り知れない尊い人命と貴重な時間、大切な財産を失い続けている。
これらについては、既に過去となった戦争を振り返り、どれだけ愚かな行為であるのかということを一刻も早く知ることで、終結に向けた相互の落としどころに向けて寛大な歩み寄りを願うばかりだ。

私たちの殆どは戦争を知らない。
戦前、戦時中、戦後を体験した両親からは、「お米は一粒もなくて、さつまいもの芋粥がどれだけ有難かったことか。」と毎年この時期になると聞かされた。
その意味は、少しずつではあるが年を重ねる毎に深い理解へと進んでいるようには感じる。
現実は知りようもなく、体験すべきではない。しかし、大き過ぎる悲劇を繰り返さないために、せめて記念日に過去を掘り起こして当時を想像してみる、自分事ならどうするだろうかと考えてみることが大切だと感じる。

地球温暖化による影響や地震などによる自然災害の脅威に対して油断できない現在、せめて人為的な脅威や恐怖は取り除き、平穏で平和だと実感し続けたい。
そのためには、一人ひとりが平和への願い、意識を常に高く前に向けていなければならないと感じる。

「荒野を彷徨う日が来ぬように」


日本のために尽力していただいた先人に感謝。尊い命を捧げて海に野山に沈んだ戦没者に哀悼の意を表します。
繰り返しになりますが、最終最期の場面で自らを投げ捨てていただき、国民を守っていただいた昭和天皇に厚く深く御礼を申し上げます。


※画像はPixabayDanielによるものです。
※Canvaでテキストを追加しました。

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