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冬、のち桜。【掌編小説】

白の世界はやがて緑とピンクに色づいていく。
桜の花びらがひらりひらりと踊っている。

ふんわりと漂う花の香りが、私の体を一グラム軽くした。

長かった冬が終わり、やっと春が来たんだ。雪国の春の訪れは感動的だ。

黒い空の下で凍える寒さにじっと耐える私達。

ふわふわした雪は地面に積もった途端に重さを増し、私達は雪かきと言う重労働を強いられる。

表面に露出している肌は凍えていくのに、着込んだダウンジャケットの下は汗でびっしょりだ。 

「もう雪なんかこりごりだ」
と雪国の住民は毎年の様にため息を吐く。

しかし春を迎えた時のこれほどの感動は、雪国の住人の特権であるはずだ。

寒くて凍えそうな、辛い冬を耐え抜いたからこそ感じる喜びがある。

恋も、きっとそうなのかもしれない。

***


「次の土曜日、二人で桜を観に行きませんか」
と百瀬君から誘われた。
たった今、電車を待つホームの中で。

たまたま帰る時間が合い、流れで一緒に会社から駅まで歩いてきた。

百瀬君は私の後輩で、確か二つ年下のはずだ。年が近いことや趣味が似ていることで話しがよく合う。

彼の仕事をフォローしたり、逆に彼の天然ぶりに癒やされることも多々あった。
彼は素直だった。

「俺、前から麻衣さんのことが好きなんですよ。麻衣さんが最近フリーになったと綾子さんから聞いたので、チャンスだと思って」

ここまで正直に言われてしまうと、むしろ久しぶりに眩しいものを見た気分になった。

今まで付き合ってきた人達は皆年上で、面倒くさい駆け引きが好きな人ばかりだったから、こう真っ直ぐに好意を伝えてくれるのは気恥ずかしいがかなり嬉しい。

自然に湧いて出た感情に任せて、私はその場で誘いを受けた。

「やった、後でまたメールしますね」

百瀬君は白い歯を覗かせて笑った。
私は微かに体温が上がるのを感じた。

「先に失礼します」
と百瀬君は先に来た電車に乗り込む。

隙間から小さく手を振るのが見えた。私も控えめに手を振り返した。電車が完全に見えなくなるまで、手は下げなかった。

***

私はこの冬まで、酷い恋をしていた。

いや、恋と言える期間など付き合い始めの頃だけだ。あとは無意味な期待と惰性でしかなかった。

繰り返されるDVとモラハラは私の為を思ってのことで、私が変わることが出来ればきっと喜んでくれると、馬鹿みたいに信じていた。

ついに顔を殴られて痣が出来た時に、やっと目が覚めた。三年付き合ったその人に別れ話を切り出したのは冬の終わり頃。

故郷では雪がようやく溶け始めている事だろう。東京の窓から覗く景色は無機質だ。

何回かの話し合いの末にようやく別れられた頃には、テレビが桜の訪れをしきりに報じていた。

***


百瀬君を乗せた電車が発車してしばらく経った後、ピロンピロンとスマホが鳴った。メールの着信音だ。

もしかして、と思って開いて見るとやっぱり百瀬君からだった。

近場で行ける桜が有名な名所を幾つか挙げてくれていた。近隣の私好みなレストランやカフェまで調べてくれている。

その下の一文を読んで、思わずふっと笑みが溢れた。

『麻衣さんの元気が出るような場所、俺沢山考えますから』

私の心臓を覆っていた冷たく硬い氷が、少し溶かされた気がした。


***

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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