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最終電車、蜜柑の香りとセーラー服。       #2000字のホラー


ガランとした無人駅、最終電車を待つホームの外は黒い闇に包まれている。

静寂を切り裂くように、ぎこーん、ぎこーんと看板が揺れる音がどこからか聞こえた。

新任の高校教師である土方が座るベンチの隣には、セーラー服を身に纏った少女が蜜柑の皮を剥いている。

「先生も、お一ついかがですか?」

細長い指がそうっと伸びてきて、酸っぱい香りが鼻についた。 

「だ、大丈夫だよ。ありがとう」

土方はおろし立てのネクタイを慌ただしくさすり、上ずった声を出した。

そうですか、と少女はパクパクと蜜柑を頬張り始める。

「ふふ、美味しい」青白い端正な顔が綻ぶ。
咀嚼する度にポニーテールが小さく揺れた。

――いつから隣にいたんだ。この子は、何者なんだ。なんで僕が先生だと分かるんだ。

今日、土方は赴任先の高校の歓迎会に主賓として参加した。

車を所有していない土方は周りが家族の迎えや代行で帰るのを見送り、一人終電を待っていた。

田舎の年配教師達の勧める酒を断れず飲み過ぎてしまい、電車を待つ間ウトウトしていると、気が付けばこの少女が隣に座っていたのである。

「先生はどこの駅で降りるのですか」
「古山駅…ここから三つ先の駅だよ。き…君は?」
「私はもっと遠いところ」
「そ、そうなんだ…。親御さんには連絡したのかい?」

少女は可愛らしい笑みを浮べたまま「意味ないので」と言った。

「先生はどうして先生になったのですか?」
「えっ…」

唐突に話題を変えられ土方は面食らった。
「やっぱり学生生活が楽しかったからですか」
確かに今日の歓迎会では、教師を目指した理由としてそのことを話した。

しかし、本当の理由は違う。

もう二度とこの風変わりな少女には会わないだろうと思い、土方は「虐められていたから」と口に出した。

「そうですか」
その声は抑えてはいるが、嬉しそうだった。仲間を見つけた、という顔をしている。

「弱虫でね。小学校から虐めの標的だった。高校に入学してからも変わらなかった」
「あたしと同じです」

土方は少女のためを思い、語気を上げた。
「でもね」

「高校の時のある教師が、僕をずっと鼓舞してくれてね。それで初めて言い返す勇気がわいて、それから虐めはなくなったんだ。僕はそれで、弱さを助け強きを挫く教師になりたいと思ったんだ」

土方は話しながら、酔いが復活し、体温が上がりかけていた。

しかし返事がない。

隣に顔を向けると、先ほどまでの柔らかな笑みが少女の顔から消えていた。

青白い顔には表情がない。土方は背筋が凍りつくのを感じた。

「同じじゃなかった」

少女はゆらりと立ち上がり、点字ブロックの向こう側まで足を踏み出した。

土方は「あ、危ないよ」と声を掛けるが反応はない。少女はバックすら持っていなかった。 唯一手にしていた蜜柑の皮を線路に落とす。

「先生、これ、取ってきて」

「え」
「早く、落としちゃったから、拾って」

「き、君は」
「最後の日、あの子の鞄に蜜柑の皮を沢山入れてやった」

「あいつの机には、バッタの涙を塗ってあげた」

「先生の机には、トカゲの涙?」
薄暗い照明に照らされた少女の顔に悲鳴を上げそうになる。

先ほどまでの大きな瞳は、黒々とした二つの空洞に変わり果てていた。

キイイイ、と車輪の擦れる音がして、辺りは急に眩しくなる。二両編成の電車がホームに滑り込んできた。人影は見当たらない。

「先生、帰ろう」
――これに乗ってはいけない、土方の本能はそう訴えかけていた。

少女はベンチから動けない土方の腕を掴んだ。指が食い込む。

「ま、待ってくれ」
土方は抵抗するが、少女の力は大男のそれより強かった。

ズリズリと土方の体とコンクリートが擦れる音がして、電車へと引きずられていく。

「先生に教えてあげる」
少女と土方が電車に入り込んだ瞬間、プシュウと音が鳴りドアが閉まる。

「そういうこと口にする教師が一番、生徒を裏切る責任逃れのクソなんですよ」

鉄の匂いがした。何の匂いだと思ったら、掴まれている腕を伝って血が流れてきた。

セーラー服は赤く染まっていた。そこには人ではない何かが、いた。

「ぼ、僕は関係ないじゃないか」
土方は必死に声を絞り出す。その叫びは、人気の無い車内に溶けて消えた。

電車は警笛を二回鳴らして動き始めた。

がたんごとん。

二人を乗せた電車が走り去った五分後に、まばらに人が乗った電車が来て、ホーム下の蜜柑の皮を轢いた。

***

――土方先生、まさか赴任してすぐ行方不明なんてね。

――あの駅で電車を待っていたそうよ。…噂通り連れ去られたのかしら。

――誰か教えてあげればよかったのに。あの駅は曰く付きだって。

――二年前に、虐められていた女子高生が飛び降り自殺した駅だって?そんなこと、来てそうそう言えるわけないじゃない。

――これで三人目よ、若い男性教師がいなくなるのは。

――人手不足で困っちゃうわ。
また、新しい人を呼ばないとね。

――今度は、あの駅に行ったら駄目よって、誰か教えてあげないとね。


***

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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