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趣味でできることに才能は隠れているのかもしれない。

私は趣味でnoteを書いていて、登録開始した2019年からもうすぐで5年が経つ。

今でこそ連続更新300日をこえているけど、登録を始めた当初は気が向いた時に文章を書き、気が向かない時は書かなかった。気まぐれ更新だった。

私にとって書くことは趣味で、めちゃめちゃ努力しているわけでもなく、ただただ書いているだけ。でも、noteで文章を書いていることを人に伝えると「え、すごい!!!」と褒められることが多いなぁとは感じていた。

でも、ただの趣味だし。今でこそWebライターの仕事に繋がるようになったけど、もともとは趣味だからな~ぜんぜんすごくないのにな~と思っていた。



ところ変わって、旦那さんの話。

最近知ったことなんだけど、旦那さんが趣味の延長でYouTubeにアカウントを作って、動画を作って、アップしていた。

2024年から始めた(おそらく)のに、チャンネル登録者数が数千人。再生回数は1万以上。まだ伸びているらしい。

パソコンに向かって何かやっているな~とは思っていたけど、まさかこんなことになっているとは思わなくて驚いた。旦那さんはお花屋さん。YouTubeになんも関連しないのに。

「え、趣味でそんなんできるもの!?すごすぎない!?もはや才能じゃん!」

私は旦那さんにそう声をかけた。

その時に趣味ってもはや才能じゃん!と気づいたのだ。



私は趣味で動画編集をしようとは絶対に思わない自信がある。だからこそ、趣味でYouTubeに動画をupする旦那さんを「めっちゃクリエイティブな才能じゃん!!!」と思うことができた。

でも、当の本人は私の言葉に感謝はするけど「もっと再生回数ある人なんてたくさんいるし、才能ってほどでもないよ~」と言うのである。照れ隠しかもしれないけど。(それはそれでかわいいよね)

「じゃあ、私みたいに趣味でnoteで書き物しようと思ったことある?」と聞いてみた。すると、

「いや、ぜっったいにないね。文章は本当に無理。」

とのことだった。

ならさ、私が趣味で文章を書き続けることができるのって才能だと思うのね。たしかに上を見ればきりがないけれど、少なくとも、「すごいな」と思わせるだけの何かはある。



趣味で楽しくできること、苦しくなく軽やかに継続できること。

そういうものに才能は隠されていて、当の本人からはなかなか気づけないんだなぁと気づいた。



子どもたちにも同じことが言えると思う。

私はちびちーちゃんのように、絵本の暗唱はできないし、お箸で大豆を食べてみようと思わないし、靴のマジックテープを白い部分が見えないようにぴったり貼ろうとも思わない。

そういう部分に才能は隠されているのかもしれない。



生きているって楽しいなぁ。



明日もいい1日になりますように。

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