見出し画像

さよなら完璧なママ像。私は笑っていられるママになりたい【子育てエッセイ】

「日本はママに求めているレベルが高い」

久しぶりにフィリピン人の友達をメッセージのやり取りをしていて、そう思った。




そもそも、共働き世帯が過半数を超えて、「共働きが当たり前だよね」という空気がもうすべてのママのプレッシャーになっている気がする。

共働きママは、仕事も子育てもしている先輩ワーママのように自分もならなくてはと思う。
子育て専念ママは、お仕事しながらも子育てしている人がいるんだから自分はもっと家事に育児にちゃんとやらなきゃと思う。

完璧なママ像だけが日本中をひとり歩きしていて、そこについていけなくて疲弊しているママって私に限らずいるんじゃないかと。
やることありすぎて、千手観音像みたいに手がいーっぱいないと無理だよね。




フィリピンは、ベビーシッターやお手伝いさんが普及している。

5年前、実際にフィリピンでベビーシッターをしていたときは、「家事は母の仕事ではない。母の仕事は子どもを愛することよ。」と言われたことがあった。(たしか同じ家の家事手伝いの人に言われた)

その通りだと思う。

きちんと整理整頓されて掃除の行き届いているおうちで、栄養バランスのとれた一汁三菜の食事をとれたら、それは素晴らしいことだ。
でも、母の仕事ってそこがメインではない。子どもを愛することが大きな仕事。



去年アメリカに行ったときは、友達のママに「お弁当?こんなのでいいのよ」と言われたお弁当の中身はジップロックにパンとトマトとチーズとりんごが入っているだけ。「中身なんてなんでもいいじゃない。楽しくお友達と食べてくればいいのよ」とのことだった。

その時も、その通りだと思った。




日本で過ごしているときの私はどうだろう。

掃除が行き届いていないと、誰に叱られるわけでもないのに必死で掃除をしる。お弁当の中身にごはんと冷凍から揚げしか入れられないときは、すごく周りの目を気にしてしまう。

本質よりも周りからどう見られているかを気にしている。

そして、常に完璧のきらきらしたママのイメージだけがそばにあって、それになれない自分に残念な気持ちになる。




やっぱり、それは、日本のママに求めているレベルがちょっと高いんじゃないかな。

もっとだめな部分や至らない部分、苦手な部分を許し合える世界になったらいいなと思う。

完璧なママよりも、笑っていられるママになれたらいいなぁ。



明日もいい1日になりますように。






この記事が参加している募集

いただいたサポートは、毎日をハッピーにするものに使わせていただきたいと思っています♪