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5-思い出すとヒヤヒヤの昆虫採集キット

【1-こどもの野性と昆虫の首】
【2-こどもの野性と昆虫の首】

私7才、弟は5才。

夏休みに、子供2人だけで、大阪から、広島県福山市の山奥にある父の生家へ預けられていました。

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昆虫採集キット、注射器と毒液2種類

夏休みが始まった初日、大阪の駄菓子屋で売られていた注射器付きの昆虫採集キットを持って、父の生家へ向かいました。

使い方; 知っていたことは2つだけ。

1.赤いのは死なせる。

2.青いのは腐らせない。

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ある日、トンボをとりに、近くの人工池へ向かいました。

今は、幼児期に小動物を殺傷したら、将来えらいことになる、と心理学的にも問題視されていますよね。しかし昭和40年代当時の小学生にとって、「絵日記」「夏の友」「昆虫採集」は、皆がやらねばならないものでした。

その人工池では、水面ギリギリのところを、色んなトンボなどが、ハイスピードで左右に行き来しています。

行き来の頻度は、2~3分に1回。トンボが来たら、タイミングを合わせて、上から下へ、バシャッ。

空振りばかりです。空っぽのままの虫かごのまま、夕方になり、帰る日々。

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人工池の回りには、柵はなし。高さ10センチほどのセメント囲いに、片足をかけて、乗り出します。

今思うと、昆虫採集キット以上に危ない。現在の実写です。当時はなかった白いガードレール。深さは約3メートル。


安井


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トンボとりを初めて習ったのは、父からでした。

夏のある日、私たちの様子を見がてら、突然日帰りで来た父は、ほんの30分ほどで、10匹以上のトンボたちを捕まえました。虫カゴの中は、ごちゃごちゃ!!トンボの羽はボロボロになりました。

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そのうちの一匹のオニヤンマの胴体に、長い糸をくくりつけ、風船のように持たせてくれた父。

ーーあとは練習や。池に落ちたらあかんで

と言い残し、父は大阪へすぐ帰っていきました。まさにトンボ帰り……。

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父が水中へトンボを叩き落とすシーンを思い出しながら、練習を繰り返すこと一週間ほど。空振りばかりの日々。

たぶん、人生初の挫折。

note題名は、昆虫採集キットなのに、キットを使う場面がまだない^^;


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夜8時。

お風呂も、晩ご飯も、ハミガキも済み、弟と二人で、蚊帳の中に入ります。

お布団に転げながら、私は思いつくままのデタラメな『物語』を弟に聞かせるのが日課でした。

まだ眠りたくない私たちの、蚊帳の中での楽しいひととき。

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その夜は、トンボをバンバン捕まえる女の子の物語。

思い付くままに、話す空想の世界で、私は虫取り名人の主人公です。

「その女の子は、トンボを100匹以上捕まえて、日本からトンボがいなくなりましたとさ」

弟がげらげら笑い、私もげらげら笑い、笑い疲れて、眠りました。

エアコンなかったけど、涼しかったです。


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※以下へ続く




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